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 これは彼が死ぬ十秒前。


 落ちていく。落ちていく。死んでいく為に落ちていく。

 骨すら残さない為に落ちていく。


 彼の表情に恐怖はなく、やりきらなければ、という決意に満ちていた。

 だが不意に、一人の少女の顔がチラつく。

 刹那、彼に迷いが生じたがそれはすぐに飛散し、やはり真っ直ぐに落ちていく。


 どうか迷子の自分が見つかることを祈って、彼はそのまま爆ぜた。

 

◇◇◇


 月が藍色の空にひっそりと佇んでいる。月は見守っていた。魔法人形が起動するその瞬間を。

 左頬を月の光で照らされた男は、震える手で最後の部品を付ける。

 魔法人形の瞼が僅かに震えた。


「――おはよう」


 男の呟きに、言葉が返る。

 凛とした真っ直ぐな声。


「魔法人形、起動しました。私の名前を教えてください」

「え? ……えっと、そうだ、君の名前は」


 そこで暫し静寂がその場を支配した。

 人里離れた森の中では、この場で唯一の生き物である男が動きを止めればなんの音もしなくなる。

 それから数秒後。男は十二歳程の少女型魔法人形に跪き手を取った。


「君の名前はリセロットだ。うん、それが良い」

「リセロット、会得しました」


 一つ頷くリセロットを優しい目で見つめる。


「では次に、貴方の名前を教えてください」

「僕? そうだね、僕は『博士』とでも呼んでくれ」


 白いワンピースに身を包んでいるリセロットは「博士」と口を動かす。


「わあ、お喋り上手! 嬉しいなぁ」

「光栄です、博士」

「うんうん、これからよろしく」


 長い茶髪の髪を緩く一つに束ねている博士は、自分と同じ茶髪であるリセロットの手を繋いだまま立ち上がる。

 

「君の為に美味しい紅茶を用意したんだぞう。僕のお気に入りのシナモンクッキーと一緒に食べたら、まさに天にものぼる心地だよ。さ、行こう」

「死ぬのですか、博士。さようなら」

「天にものぼる心地っていうのは比喩だよ? 僕はまだまだ死なないからね!」

「博士の生命力の高さを測定しました。博士の生命力はこの部屋の隅を這っているあの茶色い虫と同じです」

「こーら、リセロット。今のは悪口だよ。可哀想な僕に謝って」


 博士の怒る基準を会得しました、と言ってから、リセロットは表情をピクリとも動かさず「ごめんなさい、博士」と謝った。

 博士は眉を下げる。


「あれ〜? 感情もあるように作ったんだけどなあ」

「まだ会得してない感情は表すことができません」

「なるほど。じゃあこれから沢山教えてあげるよ。まずは美味しいっていう感情からにしよう」


 機嫌良さげに鼻歌を歌う博士をそっと見上げながら、リセロットは「笑顔を会得しました」と小さく呟いた。


◇◇◇


 カタカタ、とやかんの蓋が動くのを見届けてから、リセロットは紅茶を淹れる。


「博士、紅茶淹れましたよ」


 分厚い書類を読む博士の横に置けば「ああ、ありがとう」と博士が顔を上げた。

 頷いてから、リセロットは朝食を作ることにする。

 リセロットが起動してから、早三年。身体の上背が成長するように作られており、現在十五歳の少女の形であるリセロットは髪を編み込んで後ろに纏めエプロンを身に着け、博士のお世話に精を出していた。

 起動して最初の半年程は、髪を下ろし白いワンピース姿のまま博士に与えられた本を読むだけの生活を送っていた。リセロットは食べれるが食事を必要とせず、また皮脂なども出ない為に着替える必要もないからだ。


 本を読み、読み終えたらまた博士に与えられる本を読む。時たま博士に与えられたクッキーなどを食べる。

 そんな日々の繰り返しだったが、転機が訪れた。


 とある日、リセロットは何冊目かの本を読み終わったので、博士の下に向かった。

 そして発見したのだ。目の下に隈を作り、ぐったりと床に転がる博士の姿を。

 リセロットとて本を読んで学習した。

 そっと手を合わせる。


「さようなら、博士。どうか安らかに」

「ちょ、まだ、死んでいないから……」


 虫の息だが、まだ生きてはいた。

 リセロットは辺りを見回し、物で散乱した部屋に一つため息をつく。次に少し頬のこけた、げっそりとした博士を見遣った。

 不意に、リセロットはなにかに気づいた。そうだ、今さっき読んでいた本と似ているのだ。その話では、自堕落な生活を送る不健康な男が登場した。

 だが、その男には献身的な妻がいた。しかし博士には献身的どころか妻もいない。


「憐れを会得しました。感謝します博士」

「今、リセロット。僕で変なこと考えたでしょ……」


 抗議してくる博士を無視し、常人の数倍の力を持つリセロットは博士を横抱きにしてソファの上に置いた。

 とりあえずなにか食べるもの……とキッチンへ向かう。そこもまた酷い有様だった。

 汚く、食べかけの食べ物が散乱し、飲み物が入ったコップにはホコリが浮いている。

 

「なんていう有様。今まで生きていたことが奇跡ですね」


 中身がカビた紅茶缶を放り投げ、カピカピで固くなったパンも放り投げる。

 うーん、うーんとそこらを歩き回っていると、玄関に紙袋があった。シナモンの香りがする。開ければ予想通り、博士お気に入りのシナモンクッキーだった。

 

「よし、よし。腐ってません。丁度良く食べ物がある辺り、博士の生命力の高さを感じます」


 ついでに、飲み物が入っていなかった比較的綺麗なコップに水を注ぎ、リセロットは博士の下へと向かった。


「わあ、ありがとうリセロット!」


 口に次から次へとシナモンクッキーを放り込みサクサクと食べる姿を見てリセロットは決意をした。


 この汚い家を、小汚い博士をどうにかしよう、と。


◇◇◇


 現在、髪を結いエプロンを身に着けたリセロットのお陰で、この家は機能している。


 脂を敷いたフライパンにベーコンを入れ、じっくりと焼く。脂が出てきて良い焦げ目が付き始めたら、今度は卵を二つ割った。透明な白身が、ブクブクとしながら白に変わっていく。

 半熟好きの博士の為に卵を取り出すタイミングを見定めながら、食事は良いとリセロットは思った。

 リセロットには全く必要ないが、ご飯を食べるのは好きだ。美味しくていくらでも食べれてしまう。


 そろそろかな、と木べらを構えているとトタトタと軽やかな音を立て博士が降りてきた。


「そろそろ、ご飯……」


 リセロットの口に手が当てられる。抗議をしようと博士を見上げるが、博士の目は、真っ直ぐに外へ繋がる玄関を見つめていた。


「リセロット、来客が来た」


 普段、家の道具を直して欲しいと森の近くに住む住人たちがやって来る。それかと一瞬思ったが、この分では違うのだろう。


「お茶はお出ししますか?」

「いいや」


 短く答えられ、そのまま手を引かれる。

 連れて来られたのは、家の一番奥にある部屋だった。ドカドカと博士が蹴り上げながら物を退ければ、床に扉が現れる。


「床下収納、ていうのかな? 大事なモノはここに入れておくんだ」


 なるほど、それは理解した。だが何故今なのだろう。


「ここに入って、リセロット」

「……何故?」

「魔法人形、いや、魔法で人間を作ったのは、僕が初めてなんだ。それが露見するのは危険だからね」


 床の扉を開けた博士が、不意に顔を上げ窓の外を見た。


「それに、リセロットが人間の女の子だと認識されるのも、ちょっとね」


 首を傾げるリセロットにいつも通りの笑顔を見せてから、リセロットの肩に手を置いた。


「さ、入ってリセロット」

「……はい」


 聞きたいことは沢山あるけれど、基本的にリセロットはマスターである博士に逆らえない。

 大人しく床下に潜る。


「僕がいなくなって、そうだな、五日後には出てきて良いよ。それまでは、出てきちゃ駄目だからね。あと、迷子レーダー(・・・・・・)も切っておきなよ。ピコーンって音が鳴るから。じゃあ、僕が帰ってくるまで、家のことよろしくね」


 博士と同じ茶髪を撫でられる。水色の瞳を細めて博士は笑ってから、ゆっくり扉を閉じた。

 光が小さくなっていき、暗闇が満ちていく。


 リセロットは博士の言う通り迷子レーダーを切ってから、その場に座り込んだ。中は博士にしては珍しく丁寧に掃除されているらしく、ホコリもない。


 この家は、あまり大きくない。だから耳をそばだてれば、博士の声が聞こえてきた。


『騎士様方が、一体こんな森の奥になんの御用でしょうか』

『魔法使い様。貴方に戦争への招集がかけられた。ご同行願います』

『……分かりました。行く、行くよ』

『――この家には、他にも誰か?』

『いないに決まってるじゃないですか。僕、女の子との出会いもないのに』

『ではその二人分の食事は?』

『僕はよく食事をおざなりにしちゃうから、まとめて作るんですよ』

『そうか』


 そうして声が遠ざかっていき、扉が閉まる音がする。


 リセロットはそっと目を閉じた。


 次に目を覚ましたのは五日後。

 中から扉を押し、リセロットは地上に出る。辺りは静かだ。

 

『リセロット、今日のご飯はなに?』


 きゅ、と唇を噛み締めた。

 博士はいつ帰ってくるのだろう。

 分からない。だから、いつ帰ってきても良いように家を綺麗なままで維持するのがリセロットの役目なのだろう。


「まずは、なにをしましょう」


 家を散らかす人もいない。ご飯を食べないと駄目な人も。服がヨレヨレのままでいる人も。

 なにかが胸につかえた気がして、リセロットは首を傾げる。

 なんだろう、この気持ちは。分からない。まだ会得していない感情なのだろう。


 浮かんだ疑問を誤魔化すように、リセロットはとりあえずご飯を食べようとキッチンへ向かった。



 ――それから二年。

 十七歳の少女型になったリセロットの前には、金色の髪を持つ男が座っている。

 姿は簡素だが腰も下げている剣から、彼は騎士なのではとリセロットは推察した。


 カタカタと湯気を上げているやかんを見ながらリセロットは問うた。


「ずっとお湯を沸かしているので、熱いお茶、飲めますよ? 飲みますか?」

「いえ、お気づかいなく」

「そうですか」


 リセロットも椅子に座り、顔を歪ませた青年を見つめる。今の自分と同じ年頃に見える青年の緑色の瞳には、疲労が滲んでいた。


「それで、ご要件はなんでしょうか? 残念ですが、今魔道具の修理は出来ないんです」


 リセロットは魔力で作られたが、その魔力を放出することは出来ないし、魔道具の直し方も知らない。

 困ったように頬に手を当てれば、青年は慌てたように手を振りながら「ち、違うんです!」と話し出す。


「その、戦争に、俺たちは勝利しました」

「そのようですね」


 人里に下りて買い物をする時に、井戸端会議中の奥様方にリセロットも教えて貰った。


「子どもでも知っているようなことをわざわざ言う為に?」

「いいえ。違います。――博士が、死にました」


 まあ、とリセロットは声を上げた。


「遂に、その時が来たのですね」


 リセロットはもっと勉強をした。

 

「まずは死体をください。火葬とやらをします」


 それからお墓を作り、花を供え……と考えるリセロットに青年が躊躇いがちに声をかけてくる。


「あの……その、死体はないんです」

「野ざらし、という訳ですか?」


 どうせ流れ弾でも辺り死に、誰にも気付かれずそのままなのだろう。

 大丈夫、リセロットは既に憐れという言葉を会得している。


 博士に付けられた機能、迷子レーダーを二年ぶりに発動させた。博士が持っているペンダントが発信機のような役目を持っており、この迷子レーダーで見つけることができるのだ。

 また使うことになるとは、とため息をつきながらリセロットは立ち上がった。呆然と青年がリセロットを見つめる。


「あの……?」

「では、私はこれから博士の死体回収に向かいます」

「え」


 そのまま出て行こうとするリセロットを、青年が引き止める。


「まだ、なにか?」

「えと、えと、俺が来たのは、君にあともう一個言いたいことがあって」

「手短に」

「〜〜っ、リセロット、貴方が好きです。結婚してくれ!」


 顔を真っ赤にした青年は、少々ヤケクソ気味に叫んだ。

 リセロットは瞠目した。青年とは、はじめましてである。


「……まずは、貴方の名前から伺っても?」


 ようやくリセロットの戸惑いに気づいたであろう青年は、それから恥ずかしそうに顔を赤らめた。

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