3.捜査一日目 ②王子との約束
豪華な応接室に入ると、ブラックモア侯爵様が「来たか。」とつぶやき立ち上がった。
お嬢様の御父上であるオーガスタス・ブラックモア侯爵様は、立派な口ひげを生やした大柄な方で、短く整えた黒髪をしっかりとなでつけている。
侯爵の対面に足を組んで座っている長めの前髪をセンターあたりで分けた、すこしウェーブがかったきれいな金髪をした美少年が王子殿下だろう。王子の後ろには赤い制服の兵士が控えている。
「昨日お茶会でご挨拶申し上げたかと思いますが、改めて。こちら娘のシェヘラザードです。」
旦那様がそう言うと、お嬢さまは美しい所作でスカートの端をつまみ、右足を後ろに引いて膝を軽く曲げながら、ゆっくりと上体を前に傾けた。美しい髪が肩に流れ、一拍おいた後姿勢を戻し、あどけない笑顔を作って王子を見つめながら
「シェヘラザード・ブラックモアでございます。本日ははるばる会いに来てくだり、ありがとうございます。」
と言った。
猫を何重にも被ったぶりっ子だ。正しく訳せば「こんなとこまで会いに来んな」だ。
王子のアルビオンの空のように澄んだ大きな青い瞳がぼーっとお嬢様を見つめている。
まぁ、お嬢様、普通にしていれば美少女だもんな。
光の加減で色を変える不思議な色合いを見せる神秘的な琥珀色の瞳、アーモンド形の大きな目、長く伸びたまつげ、癖一つない光沢のある黒髪は完璧に仕上げられた人形みたいなわけで。中身があまりにもあれなので、旦那様に言われて前髪を短く切りそろえられていて、それが大きな瞳と妙にマッチしている。本人は嫌そうだけど。
頭を少し下げた状態で部屋の隅に控えながらそんな様子を観察する。
王子殿下は目を瞬いたあと、やさしそうにお嬢様に微笑んで
「あぁ、突然訪ねてしまい申し訳ない。どうしても君ともう少し話がしたくて、お邪魔させてもらったんだ。」
と言った。
二人の様子を満足そうに見ていた旦那様は、
「それでは、私は失礼させていただきましょう。若い二人で秘密の話もあるでしょうし。」と言った後、はっはっはと上機嫌に笑って退出した。
王子殿下に促されて席に着いたお嬢様は、手を胸の前で組んで首をかしげて
「申し訳ございません。昨日はお茶会の時にお城で迷ってしまって…あまりお話できなかったと思うんですぅ。」
と言った。
子どもぶりっ子続行だ。
「あぁ、だから話がしたいと思って。改めて、ウィリアム・ド・アルビオンだ。昨日君が迷ったっていう話はトマスからも聞いたよ。」
「そうですか。私もお話できなくて残念だったので、うれしいです。」
お嬢様は渾身の作り笑顔を披露している。女優になれるんじゃないだろうか。
「それで、どんなお話をいたしますかぁ?」
少し上目遣いでお嬢様が訪ねると、王子殿下は「そうだな…」といって、テーブルに用意されていたカップに口をつけ、俺の方をちらっと見た。
え?出てった方が良いの?
「実は、昨日王宮で事件があったんだ。君も悲鳴を聞いたって聞いたよ。それで、君のところの従者の彼も、現場に居たって。それで、その…」
王子の言葉は歯切れが悪い。何かを考えながら話しているみたいだ。
「そうなんだですぅ。すごく怖くて…」といって目を伏せたお嬢様は一流の女優も真っ青の名演技を披露している。
「そうか。実は…その…。君の噂を聞いたんだ。2年前の…」
2年前。それは俺がお嬢様と出会ったある事件があった年。
お嬢様は王子殿下の言葉に一瞬でそれまで被っていたものをすべて脱いで、実に興味なさそうに「噂ね…」とつぶやいた。
「それで、殿下はわざわざ噂の真偽を確かめにきたということで?」
冷たいお嬢様の言葉と豹変した口調に王子殿下は戸惑ったように口をつぐんだ。信じられないものを見るような顔でお嬢様を見つめた後、一瞬口を開きかけたが、言葉が出ないのか、再び口を閉じてティーカップの方に視線を移した。
戸惑うよな。でも、これがお嬢様の素なんです。
すると、王子殿下の代わりに後ろの兵士が口を開いた。
「殿下、発言の許可をいただけますか?」
それに、王子殿下がはっとしたように顔を上げて「あぁ」と小さく応じると、
トマス殿はお嬢様に一礼して話し始めた。
「実は、昨日の事件は殺人事件だったのです。本当に不可解なことが多く、捜査が難航しているんです。」
「1日に満たない捜査で難航とはな。」
お嬢様が口角を右側だけ上げてそう言うと、彼は眉を寄せて口を結んだ。
「それは、…。面目ない限りですが、本当に難解な事件なのです。」
「首を突っ込んでいたうちの従者からその件は話を聞いている。それで、私にどうしろと?きちんと捜査をすればいずれ事件は解明するだろう。解明されなければ、それは暴くべき謎ではなかったということだ。」
お嬢様の言葉に王子殿下が
「それでは困る!」
と声を上げた。
お嬢様は王子殿下の方をじっと見つめている。
彼は眉を寄せながら少しうつむいて、ぽつぽつ話し始めた。
「あの部屋は…母上が生前使っていた部屋なんだ。今まで開けることができないと言われて、中がどうなっているのかわからなかったが…あんな状態で…。殺害されたのも私の面倒をみてくれていた侍女なんだ。母上の故郷の話をしてくれた…。それに…。」
言葉をきった王子殿下の背中をトマス殿は唇を結んで見つめていた。
お嬢様は入れたてのお茶を吟味するように、静かにティーカップに口をつけた。
「どうしても事件を解決したいんだ。君は、事件解決のために警察にも協力していると聞いた。どうか、力を貸してくれないか?」
王子殿下は決意したようにお嬢様の方を見てそう言った。
「見返りは?」
王子殿下の問いに一拍おいてお嬢様が返した。
簡潔で冷ややかな一言。
王子殿下がかわいそうになってくる。もう少し優しくしてあげなさいよ。王子殿下は親しい侍女がなくなったばっかりなんだし。
でも俺は知っている。なんだかんだお嬢様は謎を解いてくれるんだ。そして、王子殿下を救ってくれるに違いない。彼が何を抱えているかはわからないけど…
俺が救われたように。
「私にできることなら、なんでも。」
「では、私を婚約者候補から外していただけまいか?」
王子殿下は目を丸くしてお嬢様の提案に驚いている。
きっと今まで婚約者の座を狙うギラギラなご令嬢ばっかりだったんだろう。婚約者にしてくれじゃなくて、しないでくれだもんな。
王子殿下は少し考えた後、一つ頷いて答えた。
「わかった。国王陛下に進言しよう。ただし、進言するのは事件が解決した後だ。」
王子殿下は今8歳のはず。上流階級の子どもは子どもらしさを母親のお腹の中に置いてきてるんか?とても7歳の少女と8歳の少年のやり取りじゃないんだよな。
「では、契約成立ということで。」
満足そうに微笑んだお嬢様はそう言うと、俺の方に振り向いた。