3.捜査一日目 ②お嬢様の行方
例の被害者の身元を保証した夫人の居場所を確認してくれるというので、一旦警部と別れて侯爵家のタウンハウスに戻ってきた。
お嬢様も、もう戻っているだろう。
昼食は家でとるって言ってたし。
戻ると、みんななんだか慌ただしくしている。
廊下を行き交う使用人たちは皆、忙しそうで、その表情には焦りと不安が見える。
何かあったのかな?
「エドモンド! どこ行ってたの?」
侍女のエリナに声をかけられた。
彼女は俺の一つ年上で、ブラックモア侯爵家に仕え始めた時期も近いので比較的仲がいい。
彼女は息を切らしながら、俺の腕を力強く掴んだ。
結構痛い。
「どこって、街だけど? なにかあった?」
困惑しながら答える。
「お嬢様が…。シェヘラザードお嬢様が、さらわれたって! エドモンド、無事だったの?」
瞬間、言葉が理解できなかった。
お嬢様が? さらわれた? 何言ってるんだ?
「エドモンド…無事でよかったぁ…」
エリナはまるで崩れ落ちそうな顔で俺を見つめている。
先ほどまでの両腕の痛みを消えて、彼女は瞳を拭っていた。
「旦那様もすぐに戻ってきて、みんなでお嬢様の捜索をしてるんだよ…」
彼女の声は落ち着いた優しさを含んでいた。
耳の奥で響いているのに、全く頭に入ってこない。
世界が一瞬止まったように、視界がぼやける。
お嬢様が…さらわれた?
何言ってんの?
「エドモンド!」
背後から突然大きな声がした。反射的に振り返ると、スチュアートさんが険しい顔でこちらに向かってきた。
「エドモンド、お嬢様の件だが…」
「お嬢様はどこにいるんです? 王宮から帰ってきてるんですよね?」
すがるようにスチュアートさん近づいて尋ねた。
エリナが俺を支えるように、背中に手を当ててくれていた。
スチュアートさんの顔は困惑と、何か言いにくそうな表情で固まっていた。
彼は深く息を吐き出し、落ち着いた声で言った。
「お嬢様は…帰っていない。王宮に行く前に、街のパン屋に寄って、その時に何者かにさらわれたらしい。」
頭の中で鈍い音が響いた。
まるで鈍器で殴られたかのように意識が遠のく。
言葉が意味を持たない。ただ、スチュアートさんの声だけが現実感を持たないものに聞こえた。
「警護についてた兵士が、お嬢様がなかなか戻らないのを不審に思って店に向かうと、デニッシュの入った紙袋が落ちていたそうだ。店の店主に確認すると、お嬢様が買ったものと同じだと…。エドモンド、大丈夫か?」
全てが遠い。まるで夢の中の出来事のようだ。
お嬢様が…どこにいるの。
みんな言っていることを理解したくない。
「エドモンド!」
突然、スチュアートさんの大きな声で現実に引き戻された。
「今、侯爵家の総力を挙げてお嬢様を探している。お前も手伝うんだ。いいな!」
俺は自分に言い聞かせるように、無言で頷いた。
顔が熱くなる。
しっかりしろ、俺。
両頬を自分で軽く叩いて、気合を入れる。
お嬢様なら、大丈夫。大丈夫。
「はい。」短く答えると、スチュアートさんは満足そうに頷き、続けた。
「それで、王子殿下がいらっしゃっているんだ。話があるそうだから、対応を頼む。」
「え?」
思わず声が漏れた。
王子殿下?
なんで?
「あの…俺、お嬢様を探しに行きたいんですけど…」
「王子殿下のご指名だ。旦那様を訪ねていらしたんだが、旦那様は既に捜索の指揮を取って外出してしまってな。それでお前だ。頼んだ。」
肩をバンバンと叩かれ、俺は立ちすくんだ。
普通にやなんだけど…。
でも、使用人がそんなわがままを言うことなんてできない。
気持ちを押し殺し、応接室の方へと向かった。
さっさと話しを聞いて、お嬢様を探しに行こう!
応接室のドアをノックすると、中から使用人の一人がドアを開けてくれた。
王子殿下は中央のソファに腰をかけていて、その後ろには…
あれ?
グレイ殿じゃない?
彼は王宮で起こったローザ・ロドリゲス嬢の事件の時に知り合った王宮の警護兵団の兵士だ。
王子殿下の護衛係に出世したのかな?
俺が頭を下げて挨拶をすると、王子殿下は険しい表情のまま、「座ってくれ。」と短く命じた。
俺は緊張感を押し隠しながら席に座り、王子殿下と向き合った。
形のいい彼の眉は深く寄せられ、明らかに不安と焦りが見え隠れしていた。
「シェヘラザードの件、俺のところにも報告が来たんだ。約束をすっぽかされたのかと思ったんだけど…」
そうだったらどんなに良かったか。
胸が締め付けられるような思いで俺は手を握り締め、視線を落とした。
「それで、関係あるかどうかわからないんだが、実はオスカー、ケンウッド公爵家の嫡男なんだが、彼もさらわれたらしいんだ。」
王子殿下はそう言うとグレイ殿の方に振り返った。
どういうこと?
ケンウッド公爵子息もさらわれたって…
「トマス、説明してくれ。」王子殿下はグレイ殿に話を振った。
グレイ殿は一歩前に出て、静かに説明を始めた。
「ケンウッド公爵家から我々警護兵団に連絡が来ました。子息が誘拐され、犯人から手紙が届いていたと。」
「どうして、警護兵団に?」
「前の事件で捜査の指揮をとった功績で、警察より我々の方が信頼できると判断されたようです。」
たかが事件を一つ解決しただけで?
それに、事件を解決したのはお嬢様じゃん。
とは言えないので
「そうですか。」
と相槌を打つ。
「公爵夫人に話を聞いたところ、ケンウッド公爵子息は今日の朝、街に買い物に行った際に何者かに襲われたそうなんです。ブラックモア侯爵令嬢は登城前に街でさらわれたと伺いました。」
「なるほど。ケンウッド公爵子息がさらわれた場所と時間が、お嬢様がさらわれたのと近いってことですね。」
「そうだ。それで、ケンウッド公爵家に行こうと思っているんだけど、君も一緒にどうかと思って。君はシェヘラザードを手伝って事件の捜査に協力しているそうだし。どうだろうか?」
俺の言葉に頷いて、王子殿下が言った。
うーん。
同じ日に公爵子息と侯爵令嬢が街でさらわれた。
偶然にしては、ひっかかるし、何か手掛かりがあるかもしれないし…
「わかりました、ご一緒させていただきます。」
何でもいいから手掛かりが欲しい。
みんなとは違う視点で手掛かりを探した方が良い気がした。
お嬢様、お腹すかせてないかな。
大丈夫かな。