19.捜査三日目 ①科学的検証とサム
一夜明けて。
昨日の出来事が、まるで夢だったかのように静かな朝が訪れた。相当疲れていたみたいで、ぐっすり眠ってしまった。まだ体のあちこちには、捕らえられていた時の鈍い痛みが残っている。部屋の薄いカーテン越しに射し込む光が、目にじんわりと滲みた。
スティーブさんからは今日はゆっくりしているように言われたんだけど、起きてしまうとなんとなくお嬢様が気になってしまうわけで。
スティーブさんが言うには、お嬢様は「荷物が届いた!」とかで朝からは大はしゃぎした後、書斎にこもっているらしい。
コンコン。
返事はない。
ので、ドアを開ける。
「何やってんですか?」
お嬢様はなんだかよくわからないものを覗き込んでいた。
「ふむ。なかなかに、なかなかだな。」
にやついた顔でそう言いながら、お嬢様は顔を上げた。
「何です? それ?」
執務机の前まできて、お嬢様が覗き込んでいたものを指して聞く。
よく見ると、机の上にはなんだかいろいろ置いてあった。
2枚の紙の上に、カスみたいなものがたくさん置いてある。
何してんだ、この人?
「お前、今日は休養するように言われただろう? 戻って寝なおすんだな。」
お嬢様は俺を見ると、顔をしかめてそう言った。
「別に何ともないですよ。ケガも大したことなかったですし…」
そう言う俺をじとーッという目でお嬢様は見ている。
確かに、ちょっと、いや結構、まだ痛むけども。
「大丈夫ですってば! お茶くらいは入れますから。」
そう言ってお茶の準備を始める。
お嬢様はやれやれと言った様子で俺を見ていた。
いたたまれない。
けど、じっとしてるのも嫌なんだもの。
お茶を注いで、執務机の上にティーカップを置いて。
「で、これ何なんです?」
もう一度尋ねた。
「これは、光学顕微鏡だ!」
その『こうがくけんびきょう』っていうのを両手で指して、お嬢様は誇らしげに言う。
「何です? それ?」
「光学顕微鏡が何かを説明する必要があるのか?」
必要あるけど、まぁいいか。
「それで、何やってるんですか?」
お嬢様は、ふふふと笑った。機嫌がすごくよさそうだ。
「お前が昨日、現場から拾ってきたものをこれを使って調べたんだ。」
あーー。あの藁みたいなのとかか。
「あれ、一つずつ全部見たんですか? 結構いっぱいあったとおもいますけど。」
「見た。」
そう言ってお嬢様はにんまり笑った。
こう言うのは好きなんだよなー。お嬢様は。
「右側の紙に置かれているものは、お前が言ったように藁のようだ。そして、左側の紙に置かれているものは、木片だった。」
へー。
「そんなのわかるんですが?」
「父上に頼んで、最新の光学顕微鏡を買ってもらったからな。最大倍率は100倍だ。昔、使ってみたいと思っていたが、女の私ではどうにも難しかったからな。」
そう言ったお嬢様はほんとに機嫌が良かった。
「それでだ! 特に変わったものはなかったが、藁の一部の繊維片の中や周囲に、何か粉上の粒子がついていたのだ!」
「そうですか…」
「そうだ! 見たところ、金属のようなんだが、流石に見ただけでは断定できないからな。これを使う。」
そう言って、お嬢様は机の上に置かれていたガラス瓶たちを指した。
ガラス瓶は、透明な容器と赤い容器にそれぞれ液体が入っていた。他にも、二のない空のガラス瓶が四角い木製の仕切りのある箱のようなものに、仕切りごとに一つずつ収納されていた。
「なんですか? これ。」
「これは、硝酸。こちらは、チオシアン酸カリウム溶液だ。」
「硝酸は分かりますけど、もう一個のは…」
「チオシアン酸カリウム。三価の鉄イオンと反応して、赤色の錯体を形成する。化学式はFe³⁺ + SCN⁻ → [Fe(SCN)]²⁺。この世界ではつい最近発見された代物だ!」
なるほど。わからん。
「この藁についているものが、何の金属かを推測する。色味はシルバーだったので、銀か鉄と当たりをつけた。これから、この粒子が銀か鉄か調べてみようということだ。」
そう言ってお嬢様はゴーグルを着用し、手袋をしっかりはめた。さらに、椅子にかかっていた白衣のようなカーディガンを羽織った。
まるで科学者みたいだな。
「まず、この硝酸を試験管に入れる。、次に、調べたい藁に一つを硝酸につける。しっかり粒子が反応するように、しばし待つ。」
しばし。
「そして、藁を取り出したら、こちらのチオシアン酸カリウム溶液を入れる。」
そう言って、お嬢様は赤色の容器に入ってた液体を、先ほどまで藁を入れていたガラス瓶に垂らした。
すると、
「赤くなりましたね!」
「鉄だ!! やったーー!」
お嬢様は結果を見てぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。
「ちょっと、危ないですよ。」
そう言うと、お嬢様は飛び跳ねるのはやめたけど、喜びを持て余しているように小刻みに震えていた。
こんなにうれしそうなお嬢様…
かわいいなー。
いっつもこういう表情ならいいのにー。
「ということで、これは『鉄粉の付着した藁』だということが分かった。」
意気揚々と宣言したお嬢様の表情は、どや顔だった。すんごいどや顔。
「『鉄粉のついた藁』って、なんでそんなものが現場に?」
「知らん。」
知らんのかい。
「それで、お前の方は?」
お嬢様は俺を休めせるのを完全に諦めたようだ。
よしよし。
「あー、はい。まず、ウェストウッド殿ですけど、証言が二転三転しちゃって、全然信ぴょう性のある話が聞けませんでした。だから、怪しいっちゃ怪しいですけど、被害者とは面識がほとんどないないらしいんでよね。」
「そうか。」
「それで、商会の人たちに片っ端から話聞いてきましたよ。何件か、エスパーニャ産の家具やら、家具の一部やらを買ったっていう人がいました。」
「人相は?」
「えーっと、背格好のいい男性。身長は、170センチはあるか。頭から布を被っていて、顔ははっきりしないが、目の色はブラウン系。ですね。」
「なるほどな。では170センチ以上でブラウンの目の『サム』を当たってみるのがいいだろう。」
ふふふ…
「そう言われると思いまして! 帰りに王宮によって、サムの情報をリストにしてきました!」
そうなのだ! クレイトンさんに無理を言って、王宮中の『サム』の情報を集めたのだ。
そう考えると、昨日の俺って働きすぎでは?
「リストには目の色も書いてあるので、該当しそうなのは…8人もいますね。」
十三分の八って全然絞れてないな。
でも、なんの情報もなかった時よりはましか。
該当する『サム』は…
1.サム・グリーン
厩舎勤め。病気の母親に薬を買いに街に出ている。目は茶色。身長182センチ。
2.サム・ブラック
警備兵。今年配属されたばかり。目は茶色。身長176センチ。
3.サム・ホワイト
厨房勤め。特にデザートが得意。結婚して子供が5人いる。目は茶色。172センチ。
4.サム・ブラウン
庭師。勤続30年の大ベテラン。息子も別の城で庭師をしている。目は茶色 。180センチ。
5.サム・レッドフォード
書記官。まじめな子爵家4男。家から独立するために仕官。目は茶色。171センチ。
6.サム・ブルー
宮廷楽士。出身はヴァロワ王国。むこうで何かやらかしたらしい。目は茶色。 175センチ。
7.サム・クロス
王宮医の助手。何年か前に不正により爵位を剥奪された伯爵家の子息。目は茶色。186センチ。
8.サム・グレイ
フットマン。下級。主に掃除や雑用をこなす、はやく上級フットマンになりたい。 目は茶色。172センチ。
サム・リドルは候補に入らないんだな。
彼の青い瞳を思い出す。
お嬢様にリストを見せると、顎に手を当てて「ふむ」と呟いた。
「関係がありそうなものを特定はできるが…決定打にかけるな。」
「それと、南京錠と鍵を借りてきましたよ。」
俺がそう言うと、お嬢様はオレンジ色に煌めく瞳をこちらに向けた。