18.捜査二日目 ⑦交渉
あの公爵令嬢は本当になんだったんだろうなー。
ほんとになんだったんだろうなー。
そして、今俺は、どこにいるんだろうなー。
公爵令嬢と別れた後、俺はサム・リドルの話を聞きに行った。 彼の話を思い出す。
「だーかーらー、俺は殺してないんですって。ローザじゃなくて、他に女もいるし。その…、実はアンと会うのにあの旧棟に行ってたんですよー。もう一人の堅物侍女はお茶の準備だとかで1時間は戻ってこないから、その間ってことで。え? 何してたって…それは察してくださいよー。なんで、俺がローザとできてて、どうこうなんてこと、ぜっったいにないんですってー。」
要は、職務中に彼女といちゃこらするために旧棟に行っていたと。
「実は、隣の空き部屋で会ってたんで、それがばれるとまずいでしょ? ね? いろいろまずいっすよね?」
まずいことしかないのに何言ってんだと思ったけど、良く考えると、確かにまずいよね?
奴らが隣の空き部屋でいちゃこらしてたってことは、ブライトン嬢が控えの間にいなかったってことで、そうすると、王妃様とウェストウッド殿は二人っきりだったってことだもんね?
そうなると、王妃様とウェストウッド殿にやましいことがなくても、その状況だけで問題になる。 ウェストウッド殿が支離滅裂なことを言ってたのは、そのことを知ってたからなのかもしれないな。
とにかく、王妃様と二人きりだったって事実を隠したかったのかも…。
「おい。起きろ。」
野太い男の声がした。 俺は汚れた床に横になっていた体を何とか持ち上げる。頭の後ろにじんわりとした鈍痛が残り、ぼんやりとした視界の中で、ぼろぼろの靴を履いた二人の男が立っているのが見えた。
「良かったなぁ。お前の飼い主は、ちゃーんと迎えに来てくれたみたいだぞ。」
別の大柄な男がそう言った。彼の笑みは歪んでいて、その目にはまるで獲物を狙う獣のような輝きがあった。
どちらの男も身なりが悪い上に人相も悪い。彼らの周囲には漂う酸っぱい臭いが鼻を突いた。堅気の人間じゃないんだろうけど。
「どういうことですか?」
俺は声を絞り出した。口の中は乾き、舌が貼り付くように感じた。
「お前が知る必要はねぇんだよ。」
大柄な男がそう言うと、すぐに俺の体を強く蹴った。靴底が肋骨に当たり、鋭い痛みが体に走る。背中を丸めながら何とか立ち上がろうとするが、手は後ろで縛られていてバランスが取れない。
いってー。
立てって言われたって、後ろで手を縛られてるから動きづらいんだよ。
遡ること数時間前。
王宮からの帰り道、街で商会への聞き込みをしたらすっかり遅くなってしまった。辻馬車を拾おうとしたその瞬間、何か硬いもので殴られたような衝撃を感じて、目の前が真っ暗になった。気がついたら、この薄暗く湿った小屋の床に転がされていた。
手足はきつく縛られ、縄が食い込む痛みが鈍く広がっている。逃げ出そうにも、ずっと見張りの男が一人、小屋の隅で腕を組んで睨んでいた。外に出る音もせず、薄暗い室内の空気はどこか圧迫感がある。
「ほら、行け。」
背中を蹴られた俺は、よろめきながらも何とか足を前に進めた。足元は不安定で、何度も地面の小石に引っかかりそうになる。背中に加わる痛みが、前のめりに体を揺らし、その度に男たちがクスクス笑っている。
なんとか、ドアの方へたどり着くと、大柄の男がニヤニヤしながらドアを開けた。
外に出ると、夜の冷たい風が急に体を包み込み、肌を刺すような寒さを感じた。空は曇りがかかり、月明かりがぼんやりと広がっている。森の向こうには、ぼんやりと灯りが見えるが、それがどこに繋がっているのか分からない。
そこには、ブラックモア公爵家の執事スティーブさんと…
お嬢様!
なんでこんなとこに…
そう思っていると、後ろから再び引っ張られ、首元に冷たい感触が走った。ナイフだ。男が俺の首元にナイフを当て、さらに強く押し当ててきた。
「言われた通り、持ってきたぞ。」
お嬢様がそう言うと、スティーブさんが持っていた包みを静かに掲げた。
俺は人質ってこと?
お嬢様は何を持ってきたんだろう?ブラックモア侯爵家の迷惑になるのは嫌だ。
お嬢様を見ると、彼女は一瞬だけゆっくりと瞬きをして、僅かに頷いた。何かの合図のようだったが、それが何を意味するのか分からない。
「そこに置け。」
男が命じると、スティーブさんはゆっくりと包みを地面に置いた。乾いた草が包みの下でざわつき、その音がやけに大きく響いた。
「よし、そのまま下がれ。」
「その前に、うちの使用人を開放してもらおうか?」
お嬢様の声には一切の揺らぎがなかった。彼女の鋭い目が男をじっと見据えていた。
男たちが何かを考えているような様子で、互いに目配せを交わした。
ついに、ナイフが俺の首から外れ、男は俺を強く蹴り飛ばした。前のめりになり、何とか転ばないように踏みとどまる。
「エドモンド、戻ってこい。」
お嬢様の声が冷たく響き渡った。それでも、その一言に温かみを感じたのは気のせいだろうか。
本当に自分が嫌になるなぁ…
転びそうになりながら、お嬢様の方に進む。
申し訳ない気持ちがいっぱいで、顔を上げることができない。
「そのまま、後ろに下がれ。全員だ。」
大柄の男がそう言うと、スティーブさんは俺を支えてくれて、お嬢様と一緒に後退する。
だいぶ後退すると、男たちが例の包みの中身を確認した。
二人は頷いて、
「よし、そのまま帰れ。おら、行けよ!」
と言ってナイフを振り回した。
「行くぞ。」
お嬢様は小さくそう言うと、くるりと振り返って停めてあった馬車に乗り込んだ。お嬢様に促されて俺も馬車に乗り込む。
俺たちが馬車に乗ったのを確認した後、スティーブさんは向きを変えずに後退して、最後に馬車に乗り込んだ。
馬車が動き出した。
申し訳なくて、やっぱり顔を上げることができない。
スティーブさんが「大丈夫か?」と言って、縛ばれた縄をほどいてくれた。
「大丈夫です。あの…申し訳ございません。」
「謝る必要はない。」
お嬢様の声が聞こえた。
「今回の件、被害者が十字監査機関に関係があった時点で、もっと警戒すべきだった。考えが至らなかった私の責任だ。お前は気にするな。」
思わず顔を上げると、お嬢様が優しい顔でこっちを見ていた。
そんなことを言わせたかった訳じゃない。
「謝るなよ? いいな?」
「そう言われると、謝れないじゃないですか…」
「必要がないから、誤らなくていい。うちに損失があったわけでもない。」
え?
「どういうことですか?」
「奴らの要望は、ローザ・ロドリゲス嬢の日記だった。」
え?
ほんとにどういこと?
「じゃあ、奴らに渡したのって…」
「彼女の日記だ。古代語の方を渡しておいた。」
「なんで、そんなもの…」
「さぁな。」
お嬢様は興味がなさそうに答えると、外に目を向けて
「すまなかった。」
と呟いた。
自分は謝るなって言ったくせに。
「お嬢様。来てくれて、ありがとうございました。」
謝罪の代わりにそう言うと、
「俺にも礼を言って欲しいな。」
リチャードさんが笑いながら俺の背中をたたいて言った。