1.事件
「お嬢様。大丈夫なんですか? こんなところウロウロして。」
「問題ないだろう。特に立ち入りを禁止された場所の説明はうけていない。」
「そう言っても、お茶会に戻った方がいいんじゃないですかねぇ。」
「お前は、こんな年端も行かない少女を並べて、品評会のように品定めするような場所に戻れと言っているのか? 私に?」
うぅ…
俺、ことエドモンド・アンリは、すんごい眼力で俺に圧をかけていらっしゃるこちらのご令嬢、シェヘラザード・ブラックモア侯爵令嬢の従者です。
ブラックモア家は代々、国の外交に秀でて国を支えてきたお家柄で、こちらのお嬢様はそのブラックモア侯爵家唯一のご令嬢なんだけど…
「でも、王子殿下主催のお茶会に招待されて、参加しないのはまずいですよ。色々と。」
「参加しただろう? きちんと王子には挨拶もしたし、責任は果たしたはずだ。」
そう言って、お嬢様はすたすたと歩き始めた。
はぁ。まじかぁ。
今日、お嬢様はこの国、アルビオン王国の第一王子であるウィリアム殿下主催のお茶会に招待されて、王宮に来ているわけなんですけど。それを抜け出して、王宮を自由に散策していらっしゃるのわけで…
王宮の奥まった場所にある小さな庭園には、整然と手入れされた美しい花壇に、色とりどりのバラが咲き誇っている。俺の前を歩く小さな頭を見つめながら、ため息をつきつつ後をついて歩く。
そんな俺の心の声など知らない彼女は、庭園に点在する古い彫像の一つの前で足を止めた。
「素晴らしいな。見ろ。まるでサモトラケのニケのようだ。」
サモトラ家のニケって誰だよ。
「実物を見たことはないが、資料で見ただけでも神秘的な美しだった。ここの良いところは、これまで見れなかったものを見ることができるということだな。まぁ、同じものではないが。」
「お嬢様――。俺のこともちょっとは考えてくださいよ。怒られるの俺ですよ。まじで!」
わけわかんないことを言ってるお嬢様に懇願するも、普通に無視される。
「侯爵様にもしっかりアピールするように言われてたじゃないですか。」
「冗談じゃないな。せっかくだから、今回は自由に生きると決めている。また勝手に知らん人間に嫁がされるなんてごめんだ。」
またって何? あなた今7歳でしょ? その年で誰に嫁いだんだよ。
お嬢様はこんな感じでわけわかんないことを言うのである。俺がお嬢様と出会った時にはもうこんな変な子だった。
はぁー。何度目かわからないため息をついた時だった。
「きゃーーーーーーーーー」
突然、遠くから悲鳴が聞こえた。
なんだ? あたりを見回しても、俺とお嬢様以外に人はいない。
「あちらの棟からだな。」
お嬢様が顎で庭園に面している一つの棟を指した。
「行ってみましょう。」
「行ってらっしゃい。」
「え? お嬢様も行くんですよ。」
「なぜ? 気になるなら一人で行け。私はここを散策して待っているから、心配するな。」
「いや…お嬢様を一人にするわけにはいかないじゃないですか!」
そんなやり取りをすること数分、結局お嬢様は一緒に来てくれなかった。お嬢様なら大丈夫だろうけど、「それなら行くのやめようかなー」と言ったら、「気になるなら行け!」と言われて、結局来てしまった。お嬢様とのやりとりでかなり時間をロスした。
棟の入り口、重厚な木製の扉の前で考える。
勝手に入って大丈夫かな。でも、ここまで来てちゃんと確認しないで帰ったら、お嬢様の冷ややかな視線とネチネチとした小言に耐えなきゃいけなくなりそうだしなぁ。
そもそも、何で誰もいないの?
普通、兵士のひとりでも警備してるもんじゃないの?
おそるおそる、重たい扉を押すと、普通に開いた。
そのまま棟の中に入る。すると、正面にそびえ立つ壮麗な中央階段が見に飛び込んできた。窓からさす光以外に明かりはないので、すんごく薄暗い。
日中でこれなら、夜は相当怖いな。
「誰かいますか――――。」
自分の声が石の壁に吸収されるようにすぅーっと消えた。
反響もしないし、返事もない。
「二階に行ってみますか…」
意を決して、二階に上がる。
二階に上がると、長い廊下が階段を中心に左右に伸びてた。小さくたくさん開いている穴のような窓から光がさしているけど、薄暗い。
「誰か、いますかねぇ…」
とりあず、確認するしかない。右と左、どっちから行こうか…
『こういう時は右に行くと決まっている。』
前に聞いたお嬢様の変なルールを思い出して、とりあえず右に進む。
一つのドアの前で立ち止まると、ドアには大きな鉄製の南京錠がついていた。外から鍵がかかっていて、部屋に入れないようされている。ドアをノックしてみたけど、返事がない。
なんか怖くなってきた。
これ、誰もいなかったら、あの悲鳴はって話になるじゃん?
その時。
「失礼ですが、こちらで何を?」
しわがれた声が背後から聞こえた。
「ぎゃーーーー!」
事件 (二)
思わず叫び声をあげて後ろを振り返る。
すると、ランプの明かりにぼんやりと、人の顔が浮かんでいるのが見えた。
「ひぇ!」
「驚かせてしまい申し訳ございません。」
その人は丁寧に一度頭を下げてそう言った。
モノクロをかけたその顔には皺が刻まれている。勇気を出して足元を確認する。足はあるので、人間だ。大丈夫。
はぁーびっくりした。
俺は姿勢を正して、その男性に挨拶した。
「ブラックモア侯爵家でシェヘラザードお嬢様の従者をしておりますエドモンド・アンリです。」
「ご丁寧にありがとうございます。執事を任されております、クレイトンと申します。」
確かに、冷静によく見るとその男性は質のよさそうなタキシードを着ていた。
「それで、ブラックモア侯爵家にお仕えの方が、どうしてこちらに?」
「あっ、失礼いたしました。実は、こちらに隣接する庭を主人と散策させていただきましたところ、悲鳴が聞こえまして…。人命に関わるかもしれないから確認するように主人に言われたのです。」
ちょっと嘘だけど。
「勝手に入って申し訳ございません。」
俺がもう一度深く頭を下げると、クレイトン執事は、「いえいえ」と言って
「悲鳴の件ですが、少々立て込んでおりまして。今、私が人を呼び見行くところです。こちらはお気になさらず、どうぞお戻りください。」
と言った。
「そういうわけにはいきません。うちのお嬢様は少々、その、あれでして。申し訳ないのですが、私たちも悲鳴を聞いた当事者ですので、きちんとお嬢様に説明できませんと、私も立場がないと申しますか…」
クレイトン執事は少し考えた後、
「かしこまりました。」
と言って、棟の左奥に他の人が集まっているので、そこに合流するように教えてくれた。
俺の必死さが伝わったんだろう。
彼はそのまま、廊下の右を進んだかと思うと…
ひぇ! 消えた…
彼の持っていた燭台の明かりが、吸い込まれるように消えたのだ。
恐る恐る彼が消えた方を確認すると、何だ! 階段を下りただけの様だった。
ほっとして言われた方に進む。
念のため、途中の部屋のドアも確認しておく。全ての部屋のドアに南京錠がついてた。
廊下の奥に人が集まっている。その人たちに自己紹介をして、経緯を説明する。
すると、皆さん丁寧に自己紹介してくれた。
そこにいたのは、フィリップ・ウェストウッド殿とカロライン・スタッフォード夫人だった。
ウェストウッド殿は、王都で商会を開いているらしく、今日は王妃様との商談に来たんだとか。
なんで、こんなところでと思ったら、王妃様の部屋の一つがこの棟にあるんだって。その部屋からウェストウッド殿も悲鳴を聞いたらしい。悲鳴は右隣の部屋の方から聞こえたそうで、廊下に出てみたらみんな集まってきたって話だ。
そして、スタッフォード夫人は王宮の侍女頭をしている方ならしい。彼女はこの棟にいなかったから、悲鳴は聞いていないらしいけど、クレイトンさんに呼ばれて、一緒に状況を確認しに来たとか。
気になることを聞いてみよう。
「あの、みなさんどうしてここで待ってるんですか?」
「実は…。私が悲鳴を聞いたのはこの部屋の方なんですが…」
そう言ったウェストウッド殿は歯切れが悪い。
彼の言葉に続けるように、スタッフォード夫人が言った。
「この部屋の鍵は、長らく紛失しておりまして…。鍵を開けられないのです。」
二人が視線を向けた部屋の方を見る。ドア自体は、他のものと同じように黒壇で作られていて、鉄製のバンドで補強されている。ドアには二つの南京錠がしっかりついていた。
「鍵が二つついてますね。」
「えぇ。それぞれ異なる鍵が必要なんですが、そのうちの一つが行方知れずで…」
そう言ったスタッフォード夫人はすごく不安そうに見える。
しばらくすると、クレイトンさんが、深い赤色の兵士の制服にマントを着用した男性と、白いシャツに黒い革のエプロンをつけた男性と一緒に戻ってきた。マントをつけているのは、王宮警護を担当する兵団の団長だろう。
「国王陛下から部屋を開ける許可が出た。」団長がそういうと、その場に緊張が走った感じがした。
クレイトンさんが「お願い致します。」と、エプロンをした男性に頭を下げると、彼は腰にさげていた小さなランタンを点灯し、南京錠を確認し始めた。
彼はエプロンのポケットから何か取り出して、作業を始めた。
カチャカチャという音だけが、しばらくの間響いていた。
やがて「カチッ」という音がした。
おー! 外れた!
彼は南京錠の一つをドアから取り外し、ポケットから鍵を取り出すと、もう一つの南京錠も開けた。
「終わりました。」
そう言って、彼は外れた南京錠2つをこちらに見せ、鍵をクレイトンさんに返した。
錠前師なのかな?
錠前師は鍵のプロだ。鍵の作成から修理、開かなくなった鍵の対応をする。
団長は皆に下がるように言うと、慎重にドアを押し開けた。
ドアが開くとそこには―――――
何もない空っぽの空間が広がっていた。
空っぽの空間の真ん中に、一人の女性が倒れている。
薄暗い部屋の中で、鮮明な赤色だけが、妙にはっきりしていた。
よく見ると、ぼんやりと誰かが彼女を見下ろしているようだった。