短編2 「鉄の人」
あたたかい場所を探していた。
吹きすさぶ風は、鉄の体にはとても冷たかった。
彼には、自分に感覚があるのか。
それとも、そんなものはもはやなくしてしまっているのか。
それはとても及びがつかず、判らないことではあったが。
あたたかい場所を探し、彼は雪の中を彷徨い歩いていた。
いつしか眠ってしまっていたらしい。
目が覚めた時、彼の前にはパチパチと燃える赤い焚き火があった。
温かい、と感じた。
身じろぎをして体を動かした彼の耳に、声が聞こえた。
「あら、生きていたのね」
小さな声だった。
どうでも良さそうにそう言うと、彼の前の少女は焚き火に枝を投げ入れた。
「あなた達も寝るのね。知らなかったわ」
厚手のコートにブーツ、そして雪原を歩くには軽装のリュックサック。
彼女は雪の降りしきる中、目の前の彼に向けて続けた。
「どうしたの? もっと火に近づいて温まってもいいのよ」
あなたに感覚があればの話だけど。
そう小さく続けて、少女は手袋の両手に何度か息を吹きかけた。
体を動かして火に近づく。
少女は彼を見上げて言った。
「少しお話をしない?」
「君は……」
彼はくぐもった声で、呟くように聞いた。
「君は、どうしてこんなところにいるんだ?」
「そんなことはどうだっていいことじゃない?」
クスリと彼女は笑ってから、彼を見上げた。
「じゃああなたは、どうしてこんなところにいるの?」
「私は……」
彼は少し、それを口にするのをためらった。
しかし少しの沈黙の後、絞り出すように言った。
「ここには、少し前まで村があった」
「…………」
「私は、この村を守っていた。創られてからずっと」
「そう。それは難儀なことね」
どうでも良さそうに彼女はまた、焚き火に木を投げ入れた。
「……村を敵が襲った。沢山いた。私は、守りきれなかった」
「…………」
「みんな死んだ。気がついたら、私はこの廃墟の中にいた」
「そう」
「私は何もできなかった。私には何もできない。昔も、これからもずっと」
鉄の体が小さく震えていた。
それを見て、少女は軽く首を傾げてみせた。
「寒いの?」
「……ああ。とても」
「雪も沢山降ってるからね。それにもうじきここも虚無に飲み込まれるわ」
「虚無……?」
「稼働しない世界は、この世界では止まってしまうのよ」
意味不明なことを口にし、彼女は続けた。
「虚無は恐ろしいわ。何もかもがなくなってしまう」
「…………」
「そこに誰かがいたという証も。記憶も。痕跡さえ消えてしまう」
「それは……とても怖いことだな」
「新しい世界が稼働するためには必要なことよ。忘れることも」
「忘れられることも、必要なのかな」
彼は小さな声でそう呟いた。
「忘れられたいの?」
「できれば……忘れられたい。いや、私は、私自身を忘れたいのかもしれない」
「…………」
「何の力も持たず、何を為すこともできない私を。私は忘れたい、なくなりたい」
「なら、虚無に身を委ねればいいわ。そうすれば消えることができる」
また焚き火に枝を投げ入れて、少女は小さく笑った。
「簡単なことでしょう?」
「君も消えたいのか?」
問い返すと、彼女は少し考えてから答えた。
「そうね……消えてなくなりたくないと言ったら嘘になるわ」
「…………」
「こんなにも虚無が近づいたのは、私も初めてのことだから。上手く言えないけど」
「逃げればいい。ここから、遠いところまでずっと」
「そうできればいいんだけどね」
フフ、と笑ってから彼女は、目の前の彼を見上げた。
「私は多分、私が私であったという証。それが消えてしまうのが怖いんだ」
「自分が……自分であった証……」
「死ぬことと、虚無に飲み込まれることは違うの」
「…………」
「そこに確かに在ったことを、誰かが覚えていてくれるのが死ぬこと」
「…………」
「多分虚無は、それさえもなくなってしまうことなのよね」
パチ……パチ……と焚き火が音を立てる。
とても眠い。
彼は薄れ、落ちていこうとする意識の中で少女を見た。
「ここから一緒に『外』へ出よう。そうすれば、きっと……」
「ありがとう、優しい人。ただ、ここの『外』はないわ」
少女はにっこりと笑って続けた。
「ただ、できることなら」
「…………」
「できることなら、私とここで話したことを。どこか遠くでいつか」
「…………」
「思い出してもらえないかな」
瞬きをした。
眠い。
もっと話していたいのに。
とても眠い。
彼は答えようとして。
スッ……と眠りの中に落ちていった。
◇
目が覚めた時、雪は止んでいた。
体に積もった雪を落としながらゆっくりと立ち上がる。
彼の前には焚き火も、少女もなかった。
ふと考えて、少女の座っていた場所に手を入れる。
そっと雪を掘っていくと、深いところに土があった。
そこに、雪と瓦礫に押しつぶされそうになりながら。
小さな赤い花が咲いていた。
◇
どれだけ歩いただろうか。
あたたかい場所を探していた。
吹きすさぶ風は、鉄の体にはとても冷たかった。
彼はその手に、既に枯れた赤い花を握っていた。
その目に、雪原の向こう。
そこに、明かりがあるのが見えた。
人の村だ。
手の中の花を握りしめて近づく。
夜になるので、人々は家の中に入っていくところだった。
一人が彼に気づき、大声で何かを話しながら近づいてくる。
人間達が驚いた顔でこちらを見ている。
彼は。
万感の思いを込めて。
手の中の枯れた赤い花を、人に向かって指し出したのだった。