"僕"
あれからというもの、命を狩り取る行為に、恐れを抱かなくなった。
それからは、殺戮兵器と堕した。
恐ろしく、機械のような毎日。
日の落ちた頃合いを見て、幼子を探しに、村を縦横無尽に奔走し、
狩り取った贄を神に送り届けては、今日も呪いに晒されなかったことに安堵する日々。
変化のない単調な作業に、
代り映えのない虚ろな世界。
それでも僕は続けた。
逃げはしなかった。
止まることも、後ずさることも、決してしなかった。
どうあろうと僕は、進み続けた。
贄を神の御前に送り届けるだけの簡単な作業だと思えるほどに、
余計な感情を排して、完全に効率化された合理的な策を見出すほどに。
ーーーそうして、自由を得た。
本当の束縛のない、自分でいられる時間を。
ようやく渇望していたものを。
ようやっと得られた。
だが、その代償は、あまりに重かった。
無限の殺戮に、心が廃れてしまった。
心が無となってしまった。
ようは、虚無。
贄に対する苛む感情も、思わず胸が温まるような感動も、もう感じられない。
正常な心の機能は、停止され、殺人鬼に特化するように歪んだ。
ーーー全てが虚ろだった。
結局得られた、自由時間とて、思い描いていた安寧な過ごし方とは程遠い。ただ、明日の贄のことばかり、考えていないと、心が落ち着かなかった。
そして、あろうことか、僕に唯一許された、砂の異能が、贄の捕捉にもっと役立つのではないかと、頭を働かせる始末。
それからというもの、隙間時間を見つけては、異能の技術習得に磨きをかけた。
ここまで己の責務に全うする奴はいないのではと、自嘲を浮かべながらも励んだ。
しかし、確かに、責務を効率よく遂行するために始めたものに過ぎなかった鍛錬が、思いのほか良い方向に進むこととなる。
習得に励んでいる間、未来への途方もない不安を忘却できた。
何かに熱中している間は、悩みに囚われることは無かった。
数少ない心のオアシスとして、知らず内に僕の心が救われた。
そうして、自主練に励み、
いつしか、小細工程度だった使い物にならない技が、
悪名通りの、砂嵐を巻き上げるまでに成長した。
これ程の威力となれば、神殿の隅っこで、鍛錬を続けるのは無理がある。
それに部外者の目を気にしていたから、そろそろ自分だけの鍛錬所を見つける頃合いかもしれない。
そうして、場所を移し替えた先は、村はずれにある、砂の丘だった。
異能の鍛錬に欠かせない砂が無限にあることに加え、丘の陰に隠れてしまえば、他人の視界から完全に外れる。
僕が理想とする場所だった。
それからは、励みに励み、磨きに磨いた。
極限まで練り上げた異能はもはや、一種の災と遜色ない。
村を脅かす程の威力を帯びていた。
自分が、手に負えない何かに成りつつあることに恐れるも、目に見える威力の上昇が、己の成長として、廃れた心を歓喜させた。
ーーーそう。それは、長らくは忘れていた感動の証。
気付かぬうちに、鍛錬を積むことこそが、生きる意義になっていた。
それからも、修練に明け暮れる日々。
そんな毎日が続いたある日のことである。
その日は、砂を海面に見立て、獲物の足を奪えないか試行錯誤していた。
自分なりに、かなり見込みのある技だが、如何せん、範囲攻撃の類の為、体力消耗が激しい。
休息を小刻みに挟んで、鍛錬の回数を増やすのが望ましい。
足腰に疲労を感じてきたので、一旦休憩を挟むと決断した。
この丘には、もともと遺跡でもあったのか、瓦礫の残骸が散らばっている。
そのまさに、瓦礫の上を休憩場所としている。
何とも味気ない場所であるが、そこから村の夜景が一望できる。
火照った体を夜風で冷ましながら、ぼんやりと眺めた。
だが深く堪能することはせず、一目見るだけで、すぐさま頭を働かせた。
休息後の鍛錬に向けて、改善点を探っていた。
ーーー今日はひどく調子がいい。
ーーー理想とする技が、次か、その次ぐらいで体現してしまうかもしれない。
自分の成長度合いに怖さを覚える程に興奮していた時であった。
ドサッ
何やら、倒れ込む音がした。
音のした方を振り返り、少女が盛大に転んでいるのが目に映る。
、、、気付けば、その少女に手を差し伸べていた。
ーーー何たる、悪手。
通常の冷徹な僕であれば、目撃者がいたとして、逃亡を図るか、処分を下していた筈だ。
なのに、今、僕は、何をしている。
裏社会の住民であるこの僕が、どうして純朴な少女の手を取っている。
首筋に冷や汗が垂れる。
興奮状態だったとは故、あまりに蛮行。
それは紛れもなく御法度に値する行為。
自分という立場を考慮するのであれば、愚行なのも甚だしい。
兎に角、ここから見る眺めを薦めることで、ごく普通の一般人を装った。
この後、どうやってやり過ごそうか、必死に頭を回転させたが、その必要は無かった。
なんせ、少女はよく喋った。
話題が尽きることも、沈黙が落ちることも無かった。
どうも、聞いていると、身内に対する愚痴らしい。
よっぽどストレスが溜まっていたと見える。
鬱憤晴らしに利用されたかもと思いつつも、相槌程度の愛想は振りまいておいた。
ーーーしかし、この少女、あまりに、無防備だ。
巷を騒がせる連続誘拐事件を知らないのか?
今日の分はすでに済ませたから、これからどうこうするつもりは無いが、あまりに贄として格好の的過ぎる。
正直、明日の候補に挙げてもいいレベル、、、。
この少女は、僕がこの村を脅かす真犯人だと気付いていないどころか、疑いを抱いてすらいないだろう。
おまけに、個人情報を明かす始末。
悪の身でありながら、少女を憐憫した。
そして、彼女の愚痴から察するに、仲違いになったのは、教徒の仕業とみて間違いないだろう。
恐らく、隠蔽工作に勤しむ教徒と、彼女か或いは、その家族の誰かしらが、鉢合わせしたものと思われる。
まあ、いずれにせよ、危機管理の無い奴だ。
いずれ、不遇な目に遭うに違いない、、、。
そんな風に彼女を見下していたが、
何故だかどうして、彼女の声色はやけに響く。
聴き耽ってしまうというか、何というか、、、。
彼女の声は、心地いい。
無意味で無意義にも拘わらず、彼女の文句に耳を傾けてしまう。
そういえば、誰かと話したのは、いつ頃ぶりだろう。
教徒とも、会釈する程度で、会話と呼べる会話は、していない。
僕は頷くだけで、彼女が一方的に話続けるソレは、対話とは呼べないかもしれない。
しかし、他人という誰かに向き合えたのは、紛れもない事実。
長らく閉じ込もっていた自分にとって、大きな進歩であった。
そんなことがあった翌日。
その日も変わらず鍛錬に明け暮れ、休憩ついでに瓦礫へと向かえば、そこに、あの少女がいた。
座っているだけにも拘わらずサマになっており、まるで遺跡を守護する妖精のよう。
何処か神々しさに似た、近寄りがたさを感じ、遠めに座する。
すれば、彼女が僕の存在に気づき、近寄ってきた。
そして、友達同然かのように話し出す。
呆れに似た感情を覚えつつも、彼女の話を聞き耽った。
そうした日々が続く。
捕捉側と逃亡側の何とも違和感な関係。
交じることの無い二人が話に花を咲かす。
有り得ない交流が、いつしか日課となっていった。
色んな話を聞いた。
色んな事を聞かされた。
村の貧しさも、僕の悪行も。
全部、全部、耳にした。
嘘偽りなく話す彼女からしか得られない、貴重な意見。
分っていたものだが、客観視した自分については、聞き苦しいもので、機能しない筈の心が翳った。
しかし、彼女に対し、怒りだとか、苛立ちだとか、そういう感情は芽生えなかった。
彼女の話は、説教とはまた別の、寧ろ、これからの生き様を教えてくれそうな、何だか希望に満ちたものに聞こえたからかもしれない。
だからなのか、砂嵐の悪事も、被害者の思いも真摯に受け止め、自分の中で飲み下せた。
僕の為してきたことは、鬼畜であり、畜生であり、悪であると、、、。
だが、、、まあ、そんな思いに駆られるのは、稀と言えた。
なんせ、この少女は、僕を悪と罵っているわけではない。
何かと言い告げてしまったら、コロッと話題が変わっていく。
本当に、少女は単に、ただ話し相手が欲しいだけのなのだと思われる。
日々の鬱憤を晴らす捌け口として、誰かに伝えたいだけなのだろう。
だが、たとえそうだとしても、心安らぐものだった。
救いだった。
飾り気のない日々に光が差し込んで、
血塗られた情景に、色が舞い戻る感覚。
彼女との時間は紛れもない幸福であった。
”楽しみ”とそう呼べるその時間が、かつてない宝だった。
ーーーーー
彼女との密会は、心のオアシスとなりて、僕を支え続けた。
だが実は、神との関係がどうも芳しくない。
考えられる要点、、、否、心当たりは一点しかなかった。
"贄の選別"これしかない。
僕はこれまで、呪いから逃れるため、独断で選出した贄を授ける行為を続けてきた。
それは、禁忌との絶妙な狭間の行為だが、神からすれば、望みでない食にありつく日々に等しい。
可能な限り、神の気持ちを汲んできたとはいえ、神が所望する贄とは、どうしても齟齬が出てしまう。
その年月の蓄積が、綻び始めたのである。
その証拠に、贄を捧げたのにも拘わらず、体に不具合が生じている。
ピリッとひりつくような、筋肉が強張るような感覚に襲われ、
血を渇望する感情に囚われる。
だが、呪いのソレと比べれば、屁でもない。
生活に支障をきたすことも無ければ、彼女との時間を邪魔立てする程でもない。
違和感程度の甘い認識で、放置していた。
しかし、その違和感が、無視できない程に脅威となっていく。
痒みが痛みとなりて、悪寒が震えとなりて、身体の自由を奪っていく。
だが幸いなのは、突発的なもので、山さえ越えてしまえば、平常に戻ってこれる。我慢すれば耐えられないことは、無い程度であった。
しかし、それでも尚、違和感の脅威は、益々増していき、そして、ある日、認識を改めざるにえない状況に陥る。
その日、腸煮えくり返る衝動に襲われた。
長年忌避してきたあの感覚。
二度と囚われまいと我武者羅に策を講じたにも拘わらず、あの呪いが蘇った。
しかし、従来のソレとはどこか違う。
歪というか、不完全というか、何というか。
兎に角、強度が違うのである。
心身ともに完全に奪われるわけではない。
ごく一部分が支配されるのだ。
言わば、指先だけが、どこか自分の意に反して動くような感覚。
まるで、体と脳が切り離されたような、或いは、動きが拙い悪夢に魘されるような、局所的な金縛りにでもあった気分。
それは、一時的に体を明け渡す、嘗てとは違う。
まるで時間をかけて飼いならすような、、、全てを取り込んでいくような恐ろしい感覚。
神に引きずり込まれて帰れぬ身になるのではと
自分が"自分"でいられなくなるのではないかと
あまりに悍ましい想像が脳裏を過る。
懸念の数々が脳を圧迫する。
ーーー震えが止まらない。
そうこう惑う間も、刻一刻と蝕まれていると思うと、冷静になれる筈も無かった。
気は動転する一方で、対抗する策を練るなど出来やしない。
そんな心境化で頼りになる存在と言えば、あの少女しかいない。
折れかけた精神を癒す存在は、彼女以外にいまい。
当然、少女との接触を図ったところで、直接的な治癒効果など微塵も存在しないが、痛みから気を反らすのであれば、充分であった。
苦痛を耐え凌いで彼女の話を聞きいった。
そう。もう、ここ最近は、鍛錬目的ではなく心を癒すために赴いていた。
されど、無残なまでに日が増すにつれ、痛みは増幅し、彼女と時間を共にしようとも、紛れない程に看過できぬ状態へと悪化していた。
だが、そんな苦悩如きで、彼女との時間を奪われるなど、許せる筈がない。
たとえ不具合だらけの身体であろうとも、少女には欠かさず会いに行った。
僕があの場にいかねば、その子が悲しむと義務感を抱いて自身を鼓舞した。
将又、会わねばその日を終えたことに、実感できないと心を鬼にした。
自分がボロボロになろうとも、少しでも彼女のそばにいたかった。
ただ、彼女の声を聴いていたかった。
既に、尋常ではない痛みが体を軋ませ、僕ではない誰かの殺意が湧いてくる。
絶えず殺意で圧迫する脳は、今やもう、少女と顔を合わせてから何日だとか分からない。
昨日だとか、今日だとか、その判別すら怪しい。
更に、彼女の発することが、意味する言葉として捉えられない。
もう、会話なんてどころではない。何の話で、何をどう説明しているかもわからない。
にも拘らず。
「私。命を狙われているかもしれないの。」
絞り出すように、掠れたその言葉だけは、やけにはっきり聞こえた。
ーーーーーーーーーーー
時が止まったのかと錯覚した。
上手く頭が回らない。
ーーー彼女は、今なんと、、、。
動悸が高まり、脳が白に染まっていく。
何か言葉を、何か気の利いたセリフをと、はやる気持ちが抑まらない。
目前にいる少女は、酷く苦痛そうに、今にも零れそうな涙を堪え忍んでいる。
ーーーどうして、彼女が苦しまなければならないのか。
彼女は、絶え間なく笑みを浮かべる子だ。決して、苦悶に歪んだ表情になったことなど無かったのに。
ーーー彼女の身を脅かすのは、いったいどこのどいつだ。
僕の心の拠り所であった彼女を苦しめる存在に、かつてない殺意が湧いた。
感情が昂るとともに、ズキリと、頭を刺すような痛みに囚われる。
ーーーいったい誰だ。
僕は、彼女には手を出さないと決めた。
贄に選出するなど愚かだと心に誓った。
故に、僕ではない、誰かが彼女を狙っている筈だ。
一番候補となるのは、教徒。
しかし、あれは、あくまで機密保持のための組織。
情報漏洩を防ぐために、贄に選出された遺族が暴動に移った際、迅速に事を済ませるのが主な任務だ。
ようは、贄に選出された子の親が怪しんで申し立ててきた際に、大事にならぬ内に処理するわけだ。
つまり、贄に干渉するのではなく、贄の身内を制御するのが役割。
なれば、贄の候補にすら入っていない彼女が、教徒から注目視される線は薄い。
ーーーでは誰だ、、、、、。
ズキン。再び脳を抉るような痛みが走る。
ズキリ、ズキリ、ズキリ。
釘で打ち込んでくるような、連続する痛みが脳を支配する。
痛みに耐えかねて、手で頭を抑え込み、気持ち和らいだとみて、抑えた掌を眺めた。
赤く、赤く、染まって"見えた"。
ーーー本当は理解していた。
少女の身を脅かす存在は、他でもない「僕」であると。
少女を危険に強いているのは、他ならぬ自分であると。
頭の片隅では、分かっていた。
目を反らしていた。
否、背けていたかった。
認めてしまえば、彼女との安らぎを得られなくなってしまうから。
孤独への逆戻り
其れは、死より尚、辛い、、、。
彼女を危険に晒す存在は、僕ではないが、"僕"だ。
要は、囚われの身のもう一人の自分。
少し、時間を遡ろう。
僕が痛みを堪えながらも、少女に会いにっていた時のこと。
実は、苦痛以外にも、摩訶不思議な現象に悩まされていた。
例えば、覚えのない場所に来たり、記憶の無い行動を取ったりといったところ。全て挙げるとなるとキリがない。
それらは、気付かぬうちに、時間が経過してている不可解なもので、思い出せない確かな空白が存在するのだ。
ある種の記憶喪失であり、その時間だけ綺麗に削ぎ落ちているような感覚。
あまりに異様で異常。
だが、、、どうしても、身に覚えのある感覚。
そう。紛れもない。呪いに完全に囚われた時のソレ。
認めたくない事実だが、気付かぬうちに移動していたという錯覚も、覚えのない疲労も、神の仕業だと見なせば、頷ける。
自分の身に起きたことだ。
自分がどんな状態であるか、理解するのにそれほど時間は要さなかった。
どうも僕は、神が空腹時であるかどうかなど関係なく、常に、呪いの脅威に晒されているらしい。
それは、神の意に反し、僕が選別した贄を与え続けてきた罰であろう。
通常時でさえ、神からの殺意の念を感じる状態。
そこから容態が悪化すれば、完全に神の支配下になる。
ようは、常時、僕の意思と神の意志が混濁するのだが、呪いの増幅に応じて、僕の意思が掻き消される。
つまり僕と、僕でない"僕"。
何度でも言うが、僕が彼女に手を出す筈がない。
では、"僕"ならどうか?
問うまでも無い。
更に最悪な話、神が彼女を狙う節がある。
それは、身体から感じ取れたもので、かなりの信憑性がある。
それとは、彼女との距離が狭まるにつれ、体を軋ませる痛みが増幅すると言うもの。
寄り添えば、寄り添う程、体内が暴れ狂う。
気晴らしのために、彼女に会いに行っているというのに、更なる辛苦に陥るとは、なんたる皮肉。
傷口を広げる行為も同然であった。
この拒絶にも似た現象、、、
或いは、執着が招く、呪いの増強。
そう。これは即ち、神による感情の昂りに他ならない。
ーーー「目前に珍食がある。」
人語で訳せばこうか。
滅多に巡り合うことの無い美味。
喉から手が出る程の珍味佳肴。
ようは、、、
ーーー神は、彼女をご所望なのだ。
あまりに理不尽な事実。
あまりに酷な現実。
僕は、目を背けた。
認めたくなかった。
否、認められる筈など無かった。
彼女は、窮地に瀕した僕を救ってくれた。
荒んだ心を癒してくれた救世主的存在。
恩義を尽くしても、尽くしきれない、そんな存在。
だと言うのに、、、いずれ、この手で狩り取るとは、何たる悪夢。
彼女が贄として差し出される光景など、見るに堪えん。
だから、背けた。
だから、瞑った。
心安らぐ彼女の声を
生きる糧である彼女の笑顔を
失うことは、酷く恐ろしいものだから。
、、、そう。
彼女の喪失に比べれば、この身の痛みなど霞む。
神に反した仕打ちなど、些事でしかないと、無視を決め込んだ。
、、、だから、耐えた。忍んだ。辛抱した。
彼女の為だと、静かに、密かに戦った。
だが、実際はどうか。
彼女を守護するどころか、彼女から、「命を狙われているかもしれない。」と、相談を受ける始末。
おまけに、不安に駆られている彼女に、気の利いた言葉さえ出ない。
いったい、僕は何をしている?
どうしてこうなってしまったのか。
何を悔めばいい、、、。
彼女を守りたい僕と、それを壊す"僕"。
ーーー僕には、何ができる、、、
答えは出ていた。
恐ろしい程に、明確に。
為すべきことは、至って簡単。
"一生の別れを告げる"
ただ、それだけのこと。
彼女が帰らぬ人となることが、この世で一番恐ろしい。
なれば、物理的な距離を置くのが最善であろう。
遠い、遠い異国にまで、足を運べば、神も目移りするだろう。
それか、先に僕が朽ち果てるかもしれないけれど、、、。
だが、どちらに転がろうと、彼女を庇護できることに変わりない。
だが、何故だ。
体が動かない。
喉が詰まって声が出ない。
ーーー何故ベストと分かっていながら最善を尽くせない?
その先が、酷く酷く怖く、
その未来が、酷く酷く恐ろしい。
寒さを覚え、体が震えあがる。
それは、呪いによるものではない、生理現象による懐かしい身震い。
ーーー何故どうして、僕はここまでして彼女に固執する。
救世主的存在がいなくなろうと、嘗ての孤独に戻るだけの話である。
昔の自分が乗り越えられたのだから、力と知識を備えた今の自分なら出来て当然の筈だ。
だが、それでも決断に至れないのは、まさか、再会を望めない事実に、怯えていると言うのか。
何たる惨め。
そんな癒しなど、嘗ては無くとも生き延びてこれたというのに、、、。
それでも諦めきれないのは、それなりに理由が、因果があるというのか、、、?
ーーーまさか、これも神による誘導?
離れがたくない感情は、贄から距離を取られないようにするための装置だとしたら、、、。
彼女との出会いも、始めから仕込まれた茶番劇だとしたら、、、。
苦痛に耐え忍んでまで、少女の顔が見たかったのは、僕の欲望では無く、単なる神の執着によるものだとしたら、、、。
血の気が引いた。
確かに、それらは逸った感情が下した暴論でしかない。
しかし、気が動転した僕に冷静な判断など望めない。
それに、彼女と時を同じにしすぎたせいで、呪いが限界にまで増幅しだした。
僕と神の意識が混在した中で、今の自分が"僕"に変容しないよう、僕という自我を保ち続けるのは、相当難しい。
次の瞬間、"僕"が襲いだしたとしても別段おかしくない。
ーーーようは、タイムリミットだ。
ぐずぐずしていられない。
今更だが、ようやっと決意できた。
確かに、彼女との別離は惜しい。
けれど、これから為すことは、悲劇ではない。
救うための勇気ある一歩だ。
俯いた顔をあげる。
そこには、手に余る相談をしてしまったと悔やむ彼女の顔がある。
沈黙する僕に、随分気を使わせてしまった。
幾度、救われたら僕は気が済むのだろうか。
そろそろ、此方が恩を返す番だ。
最後に、僕であれたことに感謝感激だ。
これまで救われた数々に、謝辞を述べられる、、、。
怯える彼女に、運命を変えられると優しく諭す。
そして、もう会うべきではないと、詳しい旨を告げずに、別れの言葉を口にした。
その言葉にひどく困惑する彼女。
もし、僕との別れを惜しんでくれるのだとすれば、決意が揺らぐ。
ーーーだが、迷えない。
もし、次に会うことがあれば、それはきっと、僕では無い、"僕"だから。
呼び止める彼女を振り切って足を運びだす。
昇る太陽目指して進みだす。
別段、その方角に目指す理由がある訳ではない。
強いて言うのであれば、東の果てに、彼方まで広がる無限の水があると、耳にした事があったから。
極地まで体が保つと思えないが、その道中で、あの忌まわしい太陽の出所を突き止めるのも悪くないかもしれない、、、。
僕は歩む。
僕は進む。
その先が少しでも光り輝くものであればと願いながら。