対談
「何かよう?」
千優は、男を睨み据え、ぶっきらぼうに言い放つ。
「用も何も、原因を探りに来た。この辺から『厄』の気配がするんだが、、、、、。心当たりはないか?」
それは単なる確認か、将又揺さぶりか。
男の意図は、分からずじまいだが、雨音を売るつもりは毛頭ない。
「知んないわよ。アナタの言う通り、この辺り一帯、雨がどうだか、聞いて回ってみたわ。でも、そんな怪しげな奴、一人もいなかったわ。」
「それは、、、本当だろうな。」
男は、千優の言い様に訝る。
「居ないったら、居ない。」
半場躍起になって、自分の主張を貫く。
それに対し男は、怪訝そうにしつつも「分かった、分かった、そういうことにしてやる。」と首肯する。
その反応に満足しつつ、千優は、なおも続ける。
「でもね。教会の方なら望みがあると思うわ。なんたって人がわんさかいるもの。探し者なら、きっとそこに居るわよ。」
何処か意気揚々に語りながら、教会めがけて指さす。
何処もかしこも泥水で覆われ、家屋をなぎ倒す濁流、、、とまでは言わないが、上からの眺めからするに、水位は膝元にまで及ぶ。ここから落ちたら一溜りもない事は、火を見るより明らかだ。
こんな現状で、そこへ赴くには、建造物の屋根や壁を上手く伝う他ない。
濡れた壁をパルクールするのは、難儀であるが、雨音の守護者として村中を駆け回った千優からすれば、造作もない事であった。
家屋を次から次へと飛び移り、最短経路で目的地へと目指す。
ふと千優は、振り向いて、後続の存在を確認する。
・・・いない。
男が来ていない。いつの間に置いてきてしまったのか。
すぐさま踵を返し、何処かで事故ったのかと注意深く辺りを観察しながら、戻る。
しかし、一向に男の姿は見当たらず、結局、あのベランダの位置に、男は居た。
私を追ってくれるものと、ついてきてくれるものと、そう慢心していた。
それと、『厄』を探すために、わざと留まったのかと危惧したが、ベランダの窓から家屋に入った形跡は見られず、杞憂に終わった。
恐らく、動くことなく、定位置で突っ立ていたのだろう。
男が勝手に家屋に侵入し、雨音を見つけるに至らなかったことに喜べばいいのやら、それとも協力しようとする素振りすら見せないことに怒ればいいのやら。
つくづく、この男とは馬が合わない。
呆れ混じりに、一つ文句を放つ。
「ねえ、何ボサッとしてんのよ。アンタ事でしょ。手伝いに来なさいよ。」
その指摘に難癖付けてくると千優は、身構えていたか、意外なことに、男は、不満すら漏らさず千優の後を追ってきた。
そのまま順調に家屋を伝い、目的地へと向かう。
・・・うまくいったの、、、かな?
男の行動理念を判じかね、千優は、男が従順に従う現状に、戸惑いを覚えていた。
自分でも誘い出し方が強引であったものだと認識しているものの、この男を雨音から離すことに成功したから良しとしよう。
しかし、問題はここからだ。
誘導出来たとはいえ、次の算段については、何も考えていない。
このまま、探しているふりして、時間を稼ぐのはいいが、如何せん、この男が雨音を狙っている要注意人物だと知っているのは私だけ。
つまり、私がここで、時間を稼いだとて、雨音自身が逃げることはなく、快斗が警備を強化してくれるわけでもない。
要は、雨音を本当の意味で、脅威から逃すには、この男をコテンパンに撃破する他ない。
・・・さて、この男をどう処理するか。
後方を振り返り、男の存在を確認する。
私の最速でもって移動しているつもりだが、男は苦悶の表情すら見せず、難なくついてきている。
非常に悔しいが、それだけでも私よりも遥かに優れた相手だと分かる。
それにだ。前から疑ってかかっていたことだが、化物を食い止めていた存在は、この男で間違いない。
私が安全な場所まで村人たちを避難させようと奮闘していた時のことだ。
目と鼻の先まで迫られた状況にも拘わらず、全員が無事に逃げ切れた。
それは、起こりえない話だ。誰かが化物を足止めしない限り。
その殿的役目を担ったのは、あの場面、状況から察するに、この男で相違ない。
要は、少なくとも、あの化物とやり合える程の、手練であることと想定できる。
そんな男を出し抜かねばならない。
実に、先が思いやられる。
しかし、そう悲観する程の話でもなかった。
彼女には、とっておきの切り札が残っている。
それでなら、どんな上手の存在であろうとも勝つ見込みは充分にある。
だが、この戦いには千優だけではない。雨音の命も懸かっている。
負けは有り得ない。必勝でなければならぬのだ。
男を敗北に追いやり、勝利を収める光景を何度も思い描く。
理想の戦術構成を練り終えたと同時、本来の目的地に到着する。
そこは教会とは違い、鉄筋とコンクリートのみが残存する廃墟だ。
私にとっては、辿り着いたのだが、教会が目的地だと教えた男には、休憩場所だと説明しておいた。
休憩場所と称して、立ち寄ったことに、男はある種の疑念を抱いたかもしれないが、おびき寄せた時点で私の勝ちである。
ここは、恐らく、撤去しようにも手が回らず、世間から置き去りにされた場所なのだろう。
当然、人気がなく、これからの荒事を黙秘するには、もってこいな場所だ。
しかし、人の目をやり過ごすのであれば、他の廃墟だって構わない筈だ。
それに、ここのおんぼろのコンクリート壁では、これから行う、衝撃どころか防音の役目すら果たさないかもしれない。
だが、それでも、千優がこの場所を選んだのは、他でもない天井があったからである。
この天井とて、頑丈さを信頼できるものでは無いが、一時的に濡れずに済む環境が、即ち雨を凌げる場所が、千優にとって何よりも必須な条件であったのだ。
この場所なら確実と言える程の勝算が見込める。
「教会に着く前に、作戦を立てて置こうと思って。着いた所で、バタバタして、成果を挙げられなかったら、馬鹿みたいじゃない。だから、作戦会議も兼ねて、ここに寄ったのよ。」
「ここなら、誰にも気取られないわ。」と付け足して、ここに立ち寄ったのは単なる偶然に過ぎないのだとそういう雰囲気を醸し出す。
警戒されたら、私の切り札は、恐らくこの男には通用しない。
慎重に、慎重を重ね付け入る隙を狙う。
それに対し男は、私の企む事をつゆ知らず、休息の案に頷いて首肯の意を示す。
男との距離は、申し分ない距離だ。
この数mの間隔が最大火力で葬り去れる理想な幅。
しかし、私の不穏な行動に感づいて攻撃を躱す恐れがある。
もし、そうなれば、攻守が逆転し、今度は私が危機に瀕する番となるだろう。
それだけは、何としても避けねばならない。
次は無い。
全ては初弾。
この一撃に全身全霊を込める。
「私が、尋問して回って、逃げ出した者をアンタが対処する。そういう分担でどう?」
男に気取られないよう、会話を紡ぐ。
「ああ、それでいい。」
男が首肯し、今尚、降り止まぬ雨を怪訝そうに、私から天へと目線を動かした瞬間。
千優は、音とならぬ程の高速で口元を動かし、掌に轟々と猛々しく燃ゆる炎を形成していく。
翳った廃墟一面が照らし出される
掌に
そう告げた彼女は、右腕を突き出した。
すれば、ボワッと爆ぜる音がしたかと思えば、彼女自身と男を取り囲むように一面に炎が昇る。
突然の現象に、怯みを見せる男を見て、彼女は密かに笑みを浮かべた。
千優は、異邦から旅してきた、生粋の魔術師であった。
魔術師の中でも稀に見ない卓越した技量の持ち主で、かつては、崇拝されるような存在だったと。
だが、不幸が祟り、嘗て向けられた羨望の眼差しを失い、追い出されるまでに至った。
そんな不幸から始まる出立であったが、千優は旅路にて魔術が、必ずしも共通認識で無いことを知る。
特に、ここら一帯の人々に至っては、魔術師としての素養がないどころか知識すらない有様であった。
要は、千優が赴いた先が、魔術ではなく、科学が普及した文明だっただけの話だが、「科学」を知らない彼女からすれば、驚愕に値する経験であった。
認識が異なる故に、不便なものも多く困難を極め、前途多難であった。
だが、魔術師という、全く持って別種の存在であることを打ち明かさない限り、快く受け入れてもらえる優しい世界で、そして何よりも、誰もが私を知らない世界は、心地いいものでもあった。
そうした経験を積むうちに、その人が魔術に適任があるかどうか、鑑定できる目が養った。
案外、素養があるのに拘わらず、気付いていない人がたくさんいる。
まさに雨音が、そのいい例だ。
そして、肝心のこの男については、魔術師の素養は笑ってしまうくらいに皆無だと言える。
魔術の対策を心得ていると念を入れとくべきかもしれないが、少なくとも、魔術で対抗してくることはない。
なれば、そこにこそ勝機があると彼女は踏んだのだ。
どんな強敵な存在であれ、魔術を魔術だと理解させる前に、屠ってしまえばいい。
爆ぜ散る焔を、炎玉にまとめ上げ、男の背に向ける。
「これ以上、アンタの好きにはさせない。覚悟なさい。」
そう告げるや否や、目にも止まらぬ速さで撃ち抜いた。
灼熱に燃ゆる弾丸が寸分たがわず、最短距離で男に迫る。
炎玉は男を取り込んで、煌びやかに爆ぜ、一欠けら残らず霧散した。
その爆ぜた威力と鮮烈な光景に、彼女は勝ちを確信した。
男を骨の髄まで業火に焼き尽くしたものだと、そう信じて疑わなかった。
されど、煙が遠のいて、視界が良好になって初めて、男が絶命に至らなかったことを知る。
ーーー効かない?
当然、男の異能を知らぬ彼女は、何食わぬ顔で直立状態を保つ男に驚愕を覚えずにはいられない。
私の炎の灼熱では、あの男を裁く、温度に達していないのかと、あらぬ疑念が過る。
ーーーいや、そんな筈は、、、
疑心を拭い、掌に点火させ、再び炎弾を投げ飛ばす。
しかし、今度は、男の元に届くことなく途中で霧散する。
炎系統が、この男と相性が悪いのかと踏んで、別系統を試す。
高速で口元を動かし、指先から電撃を走らせた。
焔で乾燥しきった空気に雷が迸る。
だが、結果は依然として同じ。
男は悠然と黙したまま、反撃を企てる気配も無く、直立不動でいた。
あまりに不敵な存在に、背筋が凍る。
水、土、、、などと躍起になって、彼女が持てるあらゆる系統の魔術を放つ。
されど、男の顔を歪まない。
それも、そのはず。
彼女は、数多の種の魔術に精通する、万能の魔術師であり、なかでも火の属性が何よりも秀でていた。
それ故に、最も自信のもてる焔を初撃に組み込んだわけだが、それを凌がれたとなれば、負けも同然である。
後の追撃は、自分の持てるカードをいたずらに見せびらかしただけである。
だが、それと気づかず、彼女は魔力が底を尽きる寸前まで、行使し続けた。
そしてついに、思惑通りに事を運べない現状に千優は、ギリリと歯噛みし、攻撃の手を止める。
確かに、千優は、自身の戦闘能力が、この男に遠く及ばない可能性もあると十分に警戒していたものの、全くもって通用しないのは、これ如何に。
想定外にも程がある。
まさか、『無』なの、、、?
千優は、戸惑いのあまり魔術における、禁忌の概念が脳裏をよぎる。
『無』とは、文字通り魔術を掻き消すための魔術だ。
誰かが闇系統から派生できないかと研究が為されていたのは知っていたが、成功には至らず成敗された筈だ。
無効な魔術など存在しうるわけがない。
ではいったい、あの男は何者なのか。
普段の気丈な彼女は何処へ行ったのやら、千優は、動揺を覆い隠せずにいる。
その異変を敏感に感じ取ったのか、攻撃されても呻き声一つ上げなかった男が、ついに口を開く。
「千優といったか?争いはもう辞めだ。時間の無駄でしかない。」
非情に、刻薄に、そして冷酷に男は切り出した。
「なっっ、、、なんで、そんなこと言えーーー
千優が食い下がろうとした言葉を男が遮る。
「俺を雨音という名の少女から遠ざけたかったのだろう?だが、力量を見誤って、万策尽きたってところだろ。ならば、これ以上の戦闘は双方に無駄でしかない。」
ピシャリと言い捨て、沈黙が降りる。
吐息すら許さぬ緊迫した静けさが辺りを支配する。
千優は、男の言葉に驚愕を覚えずにはいられなかった。
それもそのはず、心を見透かしたかの如く、男に作戦目的から現状の動揺まで、的確に把握されたからだ。
驚愕などでは言い表せない、身の毛のよだつ思いである。
しかし、その怯えを耐え忍んで、言葉を口にする。
「そうね。私、無駄なことしてたみたい、、、。
けどね。アンタの思い通りにさせるわけにはいけないの。」
『厄』の正体が雨音だと男に知られていた以上、ここに男を誘導した意味は薄かったかもしれない。
けれど、それが敗北に直結するわけではない。
知られたのなら尚更、雨音を守護すべく、この男に立ちはだかるのが私の役目ではないか。
ここで戦闘放棄など言語道断である。
千優は、己を奮い立たせて、絞った魔力で炎を焚き、牽制をかける。
その様子に、「まあ、待て。」とでも言いたげに、両手を挙げながら休戦の意思を示す。
そして、呆れ気味に男が問う。
「なあ。本当にそれが、あの少女にとって救いだと思うか?」
男の意図が分からず、返答に詰まる。
千優の反応をみて、かったるそうに男は言い直す。
「要は、俺から遠ざけて、あの少女は幸せかって聞いてんだ。
俺の見立てでは、身に纏った超常現象に耐え忍んでいる筈だが。
俺を討ったとて、以後どうする?」
ーーーお前は、あの少女を救えるのか?
男は、非情に、刻薄に、そして冷酷に問いを投げかける。
全てを見透かす底冷えするような目線が怖かった。
醸し出される只ならぬ殺意に怯えた。
そして、何よりもその問いに答えを出せない自分が恐ろしかった。
確かに、この男を破ったところで、現状が改善されることはない。
雨音の容態が悪化するのを、無知な私は、横で眺めるほかないだろう。
ならば、男を遠ざけることが、必ずしも雨音にとって幸せだという先入は、過ちかもしれない。
しかし、だとすれば、誰に助けを求めればいいと言うのだ。
この男の物言いからして、少なからず雨音を救う手立てはあるのだろう。
しかし、この男が信頼に足るとは思えない。
個人的な情を除いたとしても、絶対に選択肢に入らない。
それに頼った末に、口だけのヤブ医者だと判明したら、私は死んでも悔やみきれない。
一歩踏み出すには、あまりに危険な相手だ。
、、、しかし、何か手を打たない限り雨音が衰弱していくだけなのも事実。
そういう治療は、その手の専門に任せるべきだと分かってもいた。
強く噛みしめた歯が軋む。
自分にこの場を凌げるだけの力さえあれば、誰かの手を借りることなく事なきを得ただろうに。
つくづく無力な自分に腹が立つ。
だが、矮小な自分を呪ったとてなにも変わらない。
雨音を救うのであれば、男の助けは、必須。
なれば、男が信頼に足るか見極めるまで。
それが、今為せる私の最善だろう。
迷いが晴れ、煌々と鋭く光る眼光で男を見据える。
「ねえ。アンタに、雨音を救う技量はあるの?
アンタに、任せられる程の力はあるの?」
「さあな。遭遇してみなければわからん。」
これだけ真摯に問うていると言うのに、男は淡泊にそう口にする。
「ふざけないで。雨音は、ただ、村の人達を助けたくて、雨を降らしてしまっただけに過ぎないの。なのに、正体不明の病に苦しめられてるの。こんなのあまりに理不尽じゃない。」
「私、雨音には助かって、、、。いいえ、助かるべきだと思うの。
だから、辛い目に遭ったあの子に、これ以上ひどい仕打ちをしたら、私は本当に許さない。」
雨音が泣き晴らす表情など、もう見たくないから
願わくば、笑い続けてほしいから。
単なる、一事例でしかないと捉えないで欲しい。
ただ唯一の命なのだと真摯に向き合って欲しい。
そういう熱い思いが、千優の目を滾らせ、有無を言わせぬ迫力が籠る。
「助けるって誓って。救うって、絶対に約束して。」
「それは、出来かねる話だ。この世に絶対は存在しない。」
「ダメ。絶対じゃなきゃダメ。失敗したら許さない。」
熱意の籠る眼差しが男の目を捉えて離さない。
長い沈黙の後に、やっと迫真の思いが伝わったのか、千優の要望に男が首肯の意を示す。
そして、普段と変わらず単調に言葉を紡ぎ出す。
「そうか。お前は人一倍に友思いなのだな。その言葉が聞けて良かった。
なんせ、その言葉の為に、お前の茶番に付き合ったんだからな。」
どこか満足気味に言いのけて、男は出立の準備を始めた。
その背を朦朧とした意識の中、千優は、見守る。
魔術消費を考慮せずに使い果たした千優は、戦闘不能。
端的にいえば、自爆で幕を閉じたことになる。
しかし、最後に一つだけ、男に質すことがある。
今にもぶっ倒れそうな肉体を気力で保持し、問う。
「殺したり、、、しないわよね。」
ーーー始末する。
男がそう口にした時から、懸念していたことだ。
始末とは、死をもって罰を下すことなのではないかと内心不安でならなかったのだ。
『厄』を患った者の末路は、死しかないのか。それとも、まだ希望を捨てなくてもいいのか、、、。
その真意を質したかった。
さすると、男は重い口調で、返答する。
「そうだな。事実、そういう望まぬ結末を迎えるほうが、圧倒的に事例として多く、生存率は絶望なまでに無に等しい。寧ろ、容態を鑑みれば、死は救いかもしれん。」
「じゃっ、、じゃっあ、アンタもやっぱり、、、。」
割り込んできた千優を制止させながら、男は続ける。
「まあ、待て。最後まで人の話を聞け。さっきも言っただろ。世界に、絶対はない。そんな絶望の状況から生き残った存在を俺は、たった一人、知っている。、、、まあ、要は、死が決まったわけじゃない。」
「本当に、、、本当に、殺さずに済むんでしょうね。」
「、、、ああ、そうならん為に、俺が奔走してんだ。
あの少女が最悪な終焉から免れられるよう、善処する。」
光すら映さぬ凍えきった男の目に、僅かに闘志が燃えた気がした。
そうして颯爽と去っていく。
既に魔力が枯渇した千優が、その場に倒れ込み、灰が辺りを舞った。