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16/19

男の言うとおり、雨を懇願した誰かを探そうかと、志したものの、如何せん、どうすればいいのか分からない。


きっと、変な人探しだと、一笑に付されるだけだろう。なら、雨音の様子を見に行ったほうが有意義だろう。


そんな考えのもと、男との約束をほっぽかして、海原兄弟のもとに帰宅する。


だが、帰宅すると言ってもいつもの場所とは違う。


彼らは、普段表向きでは、スラムの端で生活をし、裏では、基地の地下を寝床にしていた。

しかし、この異常な量の雨と、豪雨を想定せずに造形された水はけの悪い村は、あっという間に膝付近にまで水位を増し、彼らの生活基盤は損なわれていた。


寝床として機能しない以上、塒を移す他ない。


そこで、避難場所として、真っ先に挙がる候補が教会だ。

であるのだが、皆して、逃げてきたものだから、人で溢れかえっているのが現状。

避難したとて、満足な空間を確保できないのは目に見えている。

それに、定員オーバーとして、追い返される恐れがにないとも言い切れない。


次の候補として挙げられるのが、空き家だ。

確かに空き巣行為であるが、危機的状況において、そんな事も言ってられない。


そもそもの話、この砂岩レンガの町並みは、総じて階層のある家屋が少ない。


つまり、浸水から逃れられ、無人な家屋を探すとなると、至難の業となる。


だが、弟の快斗は、日頃から村中を駆け巡る少年だ。

空き家というものを把握しており、条件を満たし、かつ、人目につかない場所を選択していた。


流石というしかない。


されど、確保できた避難箇所は、指折りで数えるに足る。

仲間も同時に、逃げ延びたが為に、どこもかしこも、快斗の仲間たちでギュウギュウに押し入っていた。


そんな非日常で、見慣れない家屋に入って、雨音を探す。

てんやわんやの部屋で、探すのを苦戦していると、先に快斗と出くわした。


すれば、快斗が、何やら険しそうな顔で、口には出さず、素振りだけで、話がしたいと外に出るよう促してきた。


外も外で、雨の滴る音が激しいが、内の騒々しさよりは、幾らかマシだろう。


彼の提案に乗って、軒下にでると彼から切り出した。


「すいません。正直、何から話せばいいか分からない程に、混乱しています。

あの化物も、この落ちる水も、僕にはもう、何から何まで分からぬじまいです。

この二項に、何かしら関連がありそうですが、原因解明には、到底届かず、

恥ずかしい話、何を成せばいいのか、まるで分からないです。すいませんが、またアナタの力を借りることとなるでしょう。」


苦虫を嚙み潰したような顔で、彼はそう告げた。


「そうね。私にも、アレの存在は分からないし、、、どうして、雨が降ったのか分からないわ。」


彼と同意見だと、特に考えもせず呟いた言葉だった。

されど、


「『雨』、、、ですか。」


快斗は、やや怪訝そうに、その単語を繰り返す。


まるで、聞き捨てならぬ単語を耳にしたように。

彼は、しばらく思案した後に、私にこう問うた。


「無知な自分がつくづく恥ずかしい。ですが、何か鍵となる気がするんです。いったい、『雨』とは、如何なものなのでしょうか。」


その質疑を理解するのに、時間を要した。

そうして初めて、雨というものが共通認識ではない事を思い知る。


砂漠は、降水量が少ないと知識で知ってはいた。

地によっては、限りなくゼロに等しいと。

しかし、それは裏を返せば、雨が絶対に降らないと断言できないことでもある。私は、そう思い込んでいた。


しかし、彼曰く、この地域では、水が天から滴る現象など起こったことがないとのこと。

彼の言論から察するに、珍しいという極稀な確率も存在せず、本当に絶対に起きえないものらしい。

現に、彼は『雨』という単語を知らない。

この事実が何よりも雄弁に語っている。


私は、雨が降る前から、アレを見張っており、彼らと別行動を取っていたので、『雨』が降り始めた当時のことを彼から聞いた。


彼によると、『雨』という現象を知らぬ村人達は、天からの水の恵みに、歓喜に湧いたという。

そして、天からの授かりものを一滴も残さず、受け取ろうと誰もが器を差し出した。

器は、みるみるうちに溜まるとともに、人々の心を満たし、中には、濡れる事を厭わず、踊り出す者もいたという。


飢えと渇きに悩まされる砂漠化で、あの滴り落ちる水の数々は、まさに夢のようだったと、懐かしむように彼は言う。


しかし、誰もが同じ夢を共有し、脱水症状から免れた喜びを分かち合えた所で、その夢は幻想にすぎないと、夢を引き裂くような咆哮が村を轟かせた。


それから事は、一瞬だったという。

突如現れた、化物が、村を蹂躙し始め、姉を引っ張って逃げに逃げたという。


そのせいで、隣で喜びを分かち合った、名も知らぬ爺が砂にとらわれたと、彼は悔やんでいた。


なんとか、化物の手から逃れられたと言えども、浸水した元の住処は、使いようもなく、探し回った末に、ここに行き着いたという。


聞くだけで、大変な苦労であったことが分かる。

その重さのあまり、何と返答しようか思案するあまり、言葉を発せずにいると快斗が口を開く。


「その『雨』とは、何でしょう?人為的に起こせるものなのですかね?」


「いいえ。違うわ。そんなじゃないの。晴れとか曇りとか、そんな天気の中の一つよ。」


「なるほど。では、発動条件とは、いったい何なのでしょう?」


「え~と、、、。」


言葉に詰まった。


ごく、一般的な雨であれば、水の循環作用と返答すれば良かったのだろう。


だが、如何せん、私にとってもこれは、『雨』だ。


「既存のそれとは、全く別の異常が齎した別次元のもの。」だったけか。

そんな風に男が言っていたことを思い出す。


つまり、私とて、良く知れたものではない。

恐らく、知識量としては、快斗とさほど変わらない。


確かに、男の言葉を借りれば、「雨を懇願した。」ってのが、発動条件の答えになるのだろう。


だが、自分とて半信半疑なものを教えるのもどうかと思って口にするのを思いとどまった。


それに、、、一つ懸念点。


あの男は言った。


ーーー始末すると。


災厄、そのものである、この雨を止めるべく、諸悪の根源を排除すると、この男は、強く断言した。


底冷えのする、酷く冷めた声だった。


その刹那に揺らいだ、桁違いの殺意が、酷く印象に残っている。


私には、分かる。

この男は、目的を成し遂げるのであらば、手段を厭わない人種であると。

任務を遂行するのであらば、犠牲を非とも思わない思考の持ち主であることを。


あの男は、『雨』を願った者を見つけ次第、処分するという。


だが、それだけに留まるとは、私には思えなった。

怪しげな者であれば、片っ端から、排除していくかもしれない。

しまいには、犯人の近しい関係にある者にまで、手をかける恐れがあるかもしれない。


凄く突飛な思考とも捉えられるが、あの男からは、それほど危惧しなければならない、危険な香りがしたのだ。

それほど警戒しても飽き足らぬだろう。


なれば、『雨』という知識を入れない方が、快斗の為ではないか。

ようするに、『雨』を知ったせいで冤罪をかけられる恐れがあるのではないか。

そんな可能性が脳裏に過る。


深い思案に取り込まれていると、快斗が耐えきれなかったのか、長い沈黙を破る。


「気を落とさないでください。最悪、条件の解明については分からなくても、良かったのです。僕は単に、『雨』を阻止する策を練る為に、敵を知りたかっただけなんです。

ようは、何を為せばいいのか、分かれば、それで終いです。何か、名案はありませんでしょうか?或いは、、、その、、、止めようが、ないものなのでしょうか?」


不安をねじ込むようにして、快斗は問う。

私は、葛藤に揺れた。

彼が男に狙われる恐れと、雨を教えて、彼の頭脳を借りる利点。


どちらも、見過ごせない程に、凶悪で魅力的なものだが、考え抜いた末に、彼の安全を取った。

そして、心配する彼を、内心気が気でない己の不安を棚に上げて、励ます。


「快斗が気に病むことは無いわ。すぐに終わるわ。い~い?

所詮、『雨』なんてね、いずれ止むものよ。」


そう告げて、強引と思いつつ話を打ち切って、内へと戻る。

勘のいい彼なら、不自然な切り方に何か含みがあると察せられたかもしれないが、止められてよかった。

私のこの減らず口なら、雨のことから、要らぬ情報まで伝えかねない。

特に、あの男については、要注意人物であって、交わした話の内容については、誰にも話すまいと、固く胸に誓ったのだ。

自身に課した掟をすぐさま破る羽目にならなくて良かったと安堵する。


一息ついて、周囲を見渡す。

雨音が見当たらない。

快斗の仲間の一人に聞いてみると、彼女だけ特別に違う棟で休んでいるらしい。

場所を聞いて、その場に馳せ、彼女の様態を一目見る。


雨音は、台の上に横たわり、何やら苦し気であった。

しかし、視界に私が入るや否や、雨音は、微笑して状態を起こす。

安静にしていいと慌てて、止めに入ったものの、聞く耳もたず、頑ななまでに目線を合わせてきた。

その律儀な所作に、どうしても胸が痛くなる。


「具合はどう?」


「だいぶ回復したよ。」


その笑みは、自然なようで、どことなく、ぎこちない。

その些細な事柄が気になって、次の言葉が見当たらなかった。


すれば、彼女から切り出してきた。


「外、酷いね。」


「そっ、、、そうね。」


ぎこちない返しになってしまった。


「どうしたの?いつもの元気さが足りないよ。」


あまつさえ、心配される羽目である。

不安を除いてやろうと、見舞いに来たはずなのに、逆に心配をかけるなど、本末転倒もいい所である。


ここ最近、いろんな事がありすぎて、彼女と、どう向かい合えばいいのか分からなくなっていたけれど、そんなことに迷うのは私らしくないと思いなおし、普段通りに話そうと心に決めたのだ。


いつものように、仲睦まじく。

普段通りに、明るげに。


気の入りすぎで、傍から見れば、空回りだったかもしれない。

それが、虚勢であることを雨音に見抜かれていたかもしれない。

しかし、彼女は、どうしようもなく、退屈な話を頷きながら聞いてくれた。


どれほど話し続けただろうか。

私が満足いくまで、話し終え、沈黙が落ちた。

すると、この沈黙を待っていたかのように、今度は雨音から切り出した。


「ちょっと、、、じゃなくて、だいぶ変な話だけど聞いてくれる?」


こんなにも健気に私の話を聞いてくれる子の頼みを無下にするわけも、つもりも無かった。だが、その話の切り出し方に、違和感を抱かずにはいられない。嫌な予感を覚えつつ、首肯する。


「勿論よ。」


何か大事な話であることは、言われずとも空気で分かる。

一言も漏らさぬつもりで、聞き入る体制を取った。


そして、彼女は窓の外を指し、ひどく物悲しそうに、ともすれば、消え入りそうな声で告白する。


「アレね。私の所為かもしれないの。」


心臓が止まると錯覚する程の衝撃だった。


今、雨音は、自分の所為で雨が降ったと、

彼女の意思で雨が齎されたのだと、そう言ったのか?


その告白が、聞き間違いだと、幻聴であると、そう思いたかった。

何故、よりにもよって、雨音なのか、、、。


私の戸惑う表情を見て、目前の彼女は、力なく笑って見せる。


その笑顔が、千優の良心を抉る。


突然の告白に胸の鼓動が高鳴るのを感じるが、動揺を悟られまいと、努めて冷静に振舞いながら、聞き返す。


「どうして、そう思うの?」


そう問うと、自信無さ気に、絞り出すような声で雨音は言う。


「確かな証拠はなくて、夢物語みたいな話で、私が勘違いしているだけかもしれない。それに、、、うまく説明できる自信ないの。それでも、、、聞いてくれる?」


彼女がこれから口にする事から目を逸らすまいと、固く決心し、大袈裟なまでに大きく頷いた。その様子に満足いったのか、雨音は語り出す。


「この村って常に水不足でしょ?神殿から恵みとして分け与えられるけど、やっぱり心許ないの。口に出さないけれど、きっと、皆も、我慢していると思うの。」


この村の干ばつの深刻さについては、漂流者である千優でも理解していた。


配給という形で、水の管理が行き届いていなければ、争いの絶えない地と成り果てていてもおかしくない。


そんな情景がありありと浮かぶ程に、切迫した環境なのだ。


そんな地に暮らす、人々は、生き方というものを心得ている。


ーーー個の不利益より、全体の利益。


その信念は、無意識化にまで根付き、そうあるべきと諦観する。


ようは、分け与えられる水の量に不満があっても、争いの火種を生まぬ為と現状に納得するのだ。


彼等は、利口だから、取り繕って耐え忍ぶ。

それが、最善であると、そう信じて。


「だから、私ね。ずっと前からこうなれば、いいなって思っていたことがあるの。」


雨音は、一呼吸置き、胸に秘めた思いを告げる。


「水が空一杯に降ってきたらどんなにいいだろうって、、、。よく、そう願うの。」


雨音とて、この過酷下で耐え忍ぶ、犠牲者だ。

そんな彼女が、村を干ばつから免れることを願うのは、ある意味、当然かもしれない。


「けれどね。そんな願いなんて、夢のまた夢のような話じゃない。だから、どれ程、願っても、そんな兆しすら見えなかったの。だから、大丈夫だと思ってた。」


「なのに、、、なのにね。どうしてか、今日は、いつもより違うの。それに、配給なかったのも、かなり変だったし。」


配給を担当する教徒の者達は、化物の手によって虐げられたことを、雨音は知らない。


教徒にあたる、全ての者が犠牲になったとは、思えないが、翌日に配給の仕事を行えるほどの余力が残っていないのは、確かだ。


そんな理由にて、灼熱の中であろうと、砂吹雪が舞い上がる日だろうと、中止することが無かった配給が、今日、初めて停止したのだった。


「今日の配給が無しと告げられた瞬間、周りが殺気立ったの。酷く怖かった。今にも暴動が起きそうなくらい殺伐としてた。これまで、そんな素振りなかったのに、、、、、。

やっぱり、皆、凄くストレスだったんだね。口に出さないだけで、酷く辛抱してたんだって、、、分かったの。」


まるで、嫌な部分から目を背けるように、目を伏せがちに、雨音は語る。


「でも、争いは、駄目だと思うの。戦ってしまったら、きっと、何も残らない。だから願いを叶えさせて、しまったの。」


すると、雨音は、胸に突っかかっていた何かを吐き出すように、泣きじゃくりながら言葉を紡ぐ。


「だから、、、私は、暴動を止めてくださいって、強く、強く、神様にお願いしてしまったの。」


ーーーすると、叶ってしまった。


天から大粒の水が無数に落ちてきた。

結果、一発触発寸前で、暴動は止まったと。


「狙い通りいってね。晴れ晴れしかった。降る水に歓喜する皆の笑顔を見て、直接起こしたわけではないけれど、私が褒められたみたいで、嬉しかった。」


その言葉通り、晴れやかな口調で当時を語る。

しかし、一転して、重たく陰った口調に代わる。


「でもね。一向に、あの水止まらないの。なんせ、私は祈っただけだから。止め方も、終わらせ方も分かんないの。いつになっても、終わってくれないの。」


「どうしよう、千優。私、取り返しのつかない願いを叶えてしまったみたい。私のせいで、多くの人が、、、。」


「どうして、、、どうして、あの水は、止まらないの。教えてよ。教えてよ千優。いつもみたいにさ。私を助けてよ。」


雨音は、千優に凭れ掛かるように縋る。

けれど、千優の少し引いた目が入ると、雨音は我を取り戻し、零れかけた涙を拭い、取り繕う。


「そんなこと言われても、困るよね。ごめんね。」


その言葉と、酷くやつれた笑顔が千優の胸を抉る。


咄嗟に、彼女の理論を否定した。


「ちっ、違うわ。絶対に違う。これは、雨音のせいなんかじゃ無い。

単なる偶然よ。偶々、雨音が願った瞬間に、雨が降ってきただけよ。タイミングが同じだっただけ。そのせいで、雨音の所為だって、自分の所為だって、勘違いしてしまっただけよ。」


彼女を励まそうと、心強く否定していたつもりが、彼女が雨を降らした正体であると認めたくない、私の我儘でしかないことに気づく。その甘さが、弱さが綻びを生んだ。


「『雨』ってなに?」


はっと、禁断の言葉を無暗に発していた自分に気づく。

その動揺も顔に出てしまっていたのだろう。そのことについて、雨音は指摘する。


「千優って、とっても頼もしいけれど、案外、抜けているところあるよね。」


いつの間にやら、涙が引っ込んだ、雨音は、朗らかに笑う。


「でも、ありがと。千優に、そういってくれて、救われた気がするよ。

千優は、いつも私を助ってくれるよね。感謝してる。」


正直、言葉そのものは、嬉しいものであった。

しかし、どこか物寂しそうに語る雨音を見ていると、どうしてもその言葉がお別れを意味しているようでならない。


「待って。少なくとも、私は、雨音が犯人だとは思ってないから。そもそも、そんな馬鹿げた話、本当に起こりうるわけないじゃない。」


私は、激怒するように否定した。

既に、雨音を励ますためなのか、理不尽な事実を直視できないからなのか、良く分からない。

けれど、怒りに身を任せていなければ、失う恐れがあったのだ。


「見て。」


雨音がポツリと呟くと、これまで、やけに袖で隠していた手を覗かせて、千優の正面へと差し出す。


その手は、、、

否、手だと思わしき部位は、酷く透けていた。

光を遮ることなく、床を映しだすものだから、それが手であると認識するのに、時間を要したのだ。


「こっ、、、これ、、、。」


言葉が詰まった。


「私、多分、、、消されるみたい。」


酷く引き攣った笑みで、物悲しそうに、彼女は言う。


よくよく観察すれば、透視の現象は、手だけに留まらない。

腕へ、足へ、全体へと、体中を蝕んでいる。


確かに、世界から消されるという表現が、雨音の状態を言い表すのに、ピッタリだった。


「これでも、まだ、私の所為じゃないって言える?」


その問いは、気が動転した千優には、不意打ちに似たものであった。

咄嗟に答えれず、取り繕う形となった。


「いっ、言えるわ。言えるわよ。きっと。雨音の所為じゃないって、、、言い切れると、思う、、、。ごめん。」


どうして、自分でも謝ったのかは分からない。けれど、重圧か、それとも自身の弱さか、謝罪しなければ、ならないと、そう急き立てたのだ。


「千優って、優しいのね。」


ーーー違う。


千優は、心の中で強く否定する。


本当に優しいのであれば、雨音の悩みを解決にまで至る人だ。

話を聞くだけの脳しかない私など、所詮、見殺しと何ら変わらない。

それは、優しさとは呼べない、、、。


千優が自責の念に駆られる中、雨音の声がした。


「私、こんなに頭から水を被ったの初めてだったの、、、。

全身濡れるってこんなにも寒いのね。」


千優に向けられた言葉なのか、独り言なのか、判別つきづらい声量で、雨音は、力なく呟く。


寒さからなのか、それとも不安からなのか、か細い四肢を、凍えさせる雨音を見ていると、不憫で、気の毒で、仕方ない。


悩める友を救う手立てはないかと黙考し、身も心も温まる、名案を思いつく。


「ねえ。ちょっと見てて。」


と、雨音の注目を誘い、雨音を本心から励ますべく、身に秘めた力を解き放つ。


すれば、ボワッと音が立ち、淡く周囲を赤く染める。

煌々と灯った焔は、優しく凍えた雨音の肌を温めていく。


よほど、掌から炎が吹き上がるのが、物珍しかったのだろう。

雨音は、爛々と燃ゆる炎に見とれながら、ホワアと感嘆が漏れる。


「ねえ。びっくりしたでしょ。」


少し得意げに、自慢げに、千優は言う。

そして、形成した炎を掌から、取り出した小枝に移し、雨音に渡す。


すれば、雨音は、不思議そうに、あらゆる角度から観察したり、うっとりと眺めたりする。


千優にとって、火を灯すことなど、造作もない事であるが、雨音の喜びように、つい、安堵の笑みを零す。


根本的な解決には、なんら至っていないが、攫われた時から、見繕った笑みしか浮かべない雨音から、心の底からの笑顔を見れて良かったと切実に思う。


千優自身の力で、誰かを笑顔にできたこの瞬間が、この刹那が、他よりも何よりも掛け替えのないないものであると、深く実感していた、、、その時だった。


ノック音が、これ程までに幸福だった空気を切り裂く。


音は、ベランダと部屋を仕切る窓からだった。


ーーーおかしい。


ここは、二階だ。

それに、この豪雨の中で来訪者など居るものなのだろうか。


避難場所を請いに来た線も捨てきれないが、途轍もなく嫌な予感がゾワリと背筋を走る。


警戒しながら、物音する方に駆け寄り、カーテンを少し開けて、来訪者の顔を拝む。


ーーー目が合った。


覗いた瞬間に目線を、否、そこから覗くと予知していたように、目線が送られてきたのだ。


ギロリとした、底冷えするような残酷な目。

怨念にでも憑りつかれたかのような禍々しい殺意。


豪雨に打たれて全身が濡れているのも相まって、窓を隔てた先にいる者が、死神だと錯覚した。


だが、見誤る筈も、見紛う筈もない。

千優が一番、目の敵とし、一番、危惧していた、あの男であった。


男の算段は、既によくわかっている。

きっと、、、、、雨音を処理しに来たのだろう。


その事実を正確に理解すると、ドクン、と胸が一段高鳴った。

そして、それに呼応するかのように、至る所の血流が激しく脈打つ。


ーーーどうしてここにいるのか。

ーーーどうして、この場所が分かったのか。

ーーーどうして、雨音と分かったのか。


度重なる疑問が焦燥を駆り立てる。

兎に角、雨音の安全を確保せねばならない。


窓を開けないのが、得策だと思うが、私の姿を見られた以上、無視を決め込むのは、逆に不審に思わせかねない。

誤魔化しは効かないんだ。私が上手く追い返さなければならない。

もし、私が駄目だったとしても、快斗の増援が、、、。


「どうしたの?」


カーテンを握りしめて、何やら難し気な顔で黙考する千優の様子をみて、心細げに雨音が心配する。


「ああ、ええ、なっ、、何でもないわ。少し、驚いただけ。」


口ごもりながらも、努めて平静に、不安をかけまいと、落ち着きはらう。


そして、千優は、雨音のもとに駆け寄って、大きく一呼吸し、努めて平静に、なるたけ明るげに言葉を紡ぎ出す。


「ごめん、雨音。私、大事な用があったこと、すっかり忘れてた。少し留守にするわ。」


「でも、いい?雨音。決して、自分のこと諦めようなどとは、思わないで。」


「ね。わかった?」と念を押し、待ちわびているであろう、悍ましい存在の元へと歩み寄る。


雨音に、これ以上、傷つけるのは断じて許せない。

どれ程の脅威であろうとも、今度こそ、私の手で守り抜いて見せると固く心に誓う。


そして、とても同種の人間だと思えない男が待つ、窓に手をかけた。

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