神
泥濘を踏みしめて、異形の元へとひた走る。
異常なまでに雨が降りしきり、視界と行く手を頑ななまでに阻む。
されど、駆ける脚は止まらない。
ーーー否、止まることなど出来なかった。
あの彼の嘆き苦しむ様子を、只ならぬ事態と思わずにいられようか。
これから起こるであろう、悲惨な事態を想起せずにはいられようか。
いや、奴の異様さから、異常を悟るのなど三流だ。
流浪人であろうとも、俺は歴とした『災』の一学者なのだ。
眼前に映る現象ぐらい分析できる。
故に、アレが何で、何が起きて、そこでどんな状況が繰り広げられているか、分かってしまう。
胸を鷲掴みにされた気分だ。
酷く、辛く、痛い。
そんな不安諸共、払拭するように、我武者羅に駆ける。
程なくして、薄暗い環境の中でも、アレを目で捕捉できる程には距離を縮めた。
しかし厳密には、推測も込みでアレの全体を把握しているだけで、正確に捉えきれたわけではない。
薄暗さと遮る雨のせいでもあるが、アレのまわりに靄のようにかかった砂塵がかかり、輪郭すらも正確に、捉えることを許してくれない。
ただ一つ確実なこととすれば、視界にすら収まらぬ、全てが段違いの巨大さであった。
アレは、当然、追跡する俺に振り返ることなく、ただ蹂躙の限りを尽くす。
すれば、前方、凡そ100mにも満たない位置に、その進撃を食い止どめんと、立ちはだかる数名の姿が見えた。
服装から窺うに、この村の秩序を守る警官にあたる存在なのだろう。
勇敢なまでに、迫りくる怪物に刃を向ける。
ただ、その正義も虚しく、あざ笑うかのように蹴散らされた。
・・・弱者のくせに、、、
彼らの勇猛な行動に、何処か無意味な感想を抱く自分がいた。
そんな思いを抱く間にも、建物を盾にした老人、赤子を庇う親、泣きわめく子供といった数々が、一瞬にして砂煙の中に吞み込まれていく。
不条理極まりない、淘汰の限りを尽くす光景は、正しく天罰。
その理解の範疇を超えた謎の正体は、紛うことなく、神そのものであった。
悲惨な光景に、心が軋む。
だが、ただ彼らの散り様を黙して見守るほかない。
神の行方をずっと追っていたのだが、やっとのことで、射程圏内に入る。
だが、だからといって、すぐさま攻撃を仕掛けるわけではない。
まだだ。まだなのだ。
ーーー確固たる、会心の一撃でなければ駄目なのだ。
理想の一撃を放つには、この位置では、まだ届かない、、、。
戦場を駆けているとはいえ、神に敵視されていない状況だからこそ生まれる余裕なうちに、
神に挑むとは、何たるかを教えておこう。
結論からすれば、無謀である。
何とも夢のない話だが、実際に、そうなので、そうとしか言えない。
『災』によれば、神は、生命を愛でると言うが、俺から言わせれば、『マナ』を欲するだけの獣に過ぎない。
つまり、『マナ』を貪りつくしては、気ままに害を除す、危険極まりない存在である。
恐らく、種の判別はつかず、生命にさして興味はない。
そこから、推測するに、人類など敵対判定されない。
それは即ち、それだけの存在、でしかないことを告げるわけである。
つまり、果敢に挑もうとも、敵視されない挙句、視界にさえ入れてもらえない。
正面切って立ち向かい死した者達が無残に散っていったのは、悲しいかな、、、神に直接、手を下されたのではなく、ただ彼らが神のお通りに居ただけの話である。
それだけ格の違う相手なのだ。
結局、勇猛に戦闘に挑もうとも相手にされぬのが関の山。
挑むという思想、そのものが愚かな話だ。
これを聞いて、よくよく無謀だということが分かってもらえただろう。
しかし、世には、神に挑まねばならぬ時がある。
犠牲を一つでも少なくするために。
これから話すのは、そんな場合での極意。
神に挑む初動として、おかしな話だが、戦闘を申し出るために、戦闘を吹っかけねばならない。
ある意味、その初手は、挨拶に似た、己の存在を知覚してもらうための作法と言えるかもしれない。
つまるところ、ただ先手を取るわけではいかぬのだ。
電撃を走らせるような、猛火に包ませるような、神でさえ目を見開く、凄まじい一撃をお見舞いせねばならぬのだ。
それらと同等の威力であれば、流石に神と言えど看過できぬ事案であろう。
そうして、ようやっと同じバトルフィールドに舞い降りれるわけである。
忘れてもらうと困るが、これらは所詮、スタートラインに立てただけに過ぎず、これから神と真っ向勝負するわけである。
やはり、神に抗うなど、勇敢でも豪胆でも何でもない。
無知が導いた過失であり、はき違えた正義が招いた犠牲に過ぎない。
自業自得もいい所である。
・・・されど、、、
されど、無残に惨殺されてゆく者達を見届けるのは、あまりに忍びない。
罪なき者達が、理不尽な結末を迎えるなど、あまりにやるせない。
関わり持たぬ誰かに、心が痛むのだ。
名も知らぬ赤の他人に、胸が軋むのだ。
贖罪を求む心、故か、己を苛む心、故か。
既に機能不全な筈の心に、傷がつく。
相変わらず感情とは、面倒な装置だ。
時に、理屈を覆すものだから厄介なこと極まりない。
俺は知っている。神の膝元にて逃げ惑う者達を救ったところで見返りはないのだと。
俺は分かっている。嘆く誰かを救うなど、自己満足以外の何物でもないのだと。
俺は理解している。それは、見捨てた罪悪感から逃れるための自己犠牲に他ならないと。
けれども、そうやって生きてきた。
戦ってきた。
それは、誇りであり、生き様。
故に俺は、愚かなまでに、その生き方以外に、道を知らない。
だから俺は断言できる。
今もこれからも、たとえ、誰にも理解されずとも、咎められ、蔑まれようと、この身、尽き果てるまで貫き続けるであろう。
そう誓えたのならば、如何に困難であろうとも突き進むまで。
故に、神に挑むのは、断じて逃げ惑う村人の為ではない。
他ならぬ己の成長の為である。
ゆめゆめ忘れるな。
その光は、輝きに満ちたものではない。
如何なものさえ死へ|《・》屠《ほふ|》《・》る、破滅の光である。
彼は駆けた。あの強大な敵に向かって、一心に。
ーーー彼が背負う宿命は、死を宣告されて逃げ惑う村人達の比ではない。
それ故に、世界の残酷さを誰よりも理解し、誰よりも死という喪失を恐れている。
だからこそ自身の命と、無名な多くの命を天秤にかけることを彼は厭わない。
その為、一つも迷うことなく、彼は、自らが神の標的になる最善策を瞬時に導き出したのだ。
つまりそれは、免れぬことのできぬ破滅の運命を村人に変わって担うということ。
それは傍からすれば、無作為に選びだされた不運な村人に代わって、神の遊戯に率先して付き合うのと同義。
自己犠牲極まりない行為である。
しかし、弛まぬ鍛錬が、日々の研鑽が、彼の肉体を極限にまで磨きあげ
駆け抜けた戦場の数々が、彼の精神を不屈へと誘う。
そう。彼は既に、心身ともに境地に達した数ある一人なのである。
故に、神に歯向かう愚行を許される条件を満たす。
しかし厳密には、神と渡り合うのであれば、まだ遠い。
その差を埋めたのは、他ならぬ彼の異能。
手に宿るソレが何よりも証。
彼が許された異能は一つ。
消滅。
彼の手には、未知なる光が宿る。
この世には、ありとあらゆる色の光で満ちている。
赤、青、黄、緑、紫と例を挙げればキリがなく、それが混ざり合ったとすれば、途方もない。
ただし、そんな数多ある光の中で、唯一、観測されなかった光が存在する。
その色は、黒。
されど、それもそのはずである。
黒とは、如何な全て光を吸収することで、その色を表現するものだ。
研究者からすれば、無い存在を、どう発見しろという話である。
つまり、観測されずして当然なのである。
しかし、彼の手には、存在しえない光が宿る。
この科学社会で、手に負えない存在は、所謂『厄』に等しい。
彼は、身に宿った不幸を飼いならし、幾度も実験を遂行した。
実験概要は、簡単。
その光を万物に照らすだけ。
その結果で得られたものは、まさしく消滅。
その光で照射されたならばさいご、如何なものさえ消し炭に臥した。
その威力は、核のソレ。
いや、不可視なレベルまで粉々にする威力は、核を超えているかもしれない。
そんな強大な力を寝食共にしながら、ここまで歩いてきた。
その異能こそが神と向き合える、最後のパーツである。
彼は、駆けた。
地を揺らすように駆けた。
鍛え抜かれた脚は、既に人力の域を超えている。
光じみた加速を可能とし、亜光速に至るや空を翔ける。
厳密には、空を蹴るのだが、飛んでいるにも等しい。
目標を捉えた彼は、三次元的な最短で駆けていく。
そして、出鱈目なまでに巨軀な図体を支える関節部分、いわば神の弱点を、寸分違わず貫いた。
ーーー閃光。
黒い一筋の光が大気を切り裂くように迸る。
穿たれた箇所にポカリと穴が形成し、バランスを失った神は、おもむろに正面から頽れる。
これは、彼の桁違いな脚と、異次元な異能が組み合わさった至高の一撃であり、
長年の試行錯誤と苦悩の末に、辿り着いた理想の一撃。
即ち、これは、彼だけに許された神をも凌駕する一撃である。