悪役令嬢は自分の愚かさを知る
「お嬢さま、大丈夫ですか?」
すぐに馬車内に入ってきたダグラスの声は落ち着いていた。
しかしその護衛服の袖には赤い血がついている。
「ダグラス!怪我をしたのですか!?」
焦って腰を浮かし服を掴んだまま問いかける私を、ダグラスはなだめるように馬車の椅子に座らせようとした。
「怪我はしていません。この血は犯人のものです」
「……良かった……」
一言呟いて、私はヘナヘナと椅子に腰を下ろす。
「すぐに鍵をかけたのは良い判断でした」
何事も無かったかのようにそう言うダグラスはいつもと変わらない様子だ。
きっと、こういった荒事にも慣れている。
そう感じさせるくらい余裕があった。
良かった!
ダグラスに何事もなくて本当に良かった!!
私はグッと唇を噛む。
そうしないと今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだったから。
人前で泣くのは嫌だ。
前世でもどんなに辛いことがあっても泣くのは家に帰ってから布団の中でと決めていた。
弱みを見せたくない、涙を武器にしたくないという思いがあったから。
でも本当は上手に甘えることができないせいだということにも気づいていた。
「お嬢さまに怪我がなくて何よりです」
私を落ち着かせようとするその声はとても穏やかだ。
ああ。
きっと今回の襲撃は私のせいなのに。
私が迂闊に側妃の事件を探っていたから。
警告は過去のことを探るなというメッセージ。
月は亡くなった側妃のこと。
事実は側妃が病死で亡くなったということだろう。
私は転生に気づいてからこの世界でちゃんと生きているつもりだった。
乙女ゲームのシナリオを変えて、断罪を回避すればそこから先に未来はあると思っていた。
でも心のどこかで未だここがゲームの世界だと思っていなかっただろうか?
ゲームシナリオにはある程度の強制力があるから。
断罪までに自分の身が脅かされるなんて考えてもいなかった。
もし今この場でダグラスが襲撃犯を撃退できなかったらどうなっていたか。
私は殺されていただろう。
そしてもしこの場でダグラスの身に何かあったらどうなっていただろう?
たしかに存在していた第一王子の存在は知られることなく、そしてこの国を継げる者がライアンだけになっていただろう。
ここは紛れもなく現実の世界。
たとえゲームとどれだけ似ていたとしても、命の保証があるわけではない。
私はそのことをちゃんとわかっていたのか。
頭の中も心の中もぐちゃぐちゃだ。
前世を含めて、私は幸いにして暴力沙汰とは縁がなかった。
ましてや命をかけなければいけない場面なんて遭遇することもなかった。
今初めてそのことに気づいて、私は噛み締めていた口から小さな声が漏れるのを我慢できなかった。
さっきまでは何とか耐えていたのに。
目に力を入れても、こぼれ落ちる涙を止める術がない。
「……ッ」
唇は噛み締めたまま。
声は出さなかった。
それでも、次から次へと涙が頬を滑り落ちていく。
泣いちゃダメ。
原因を作った私に泣く資格なんてない。
「……ヒックッ」
喉からしゃくり上げるような音がこぼれた。
震える手で口を抑える。
そうやって何とか自分を落ち着かせようとしていたら、不意に腕が伸ばされて体が温かな物に包まれた。
ダグラスに、抱きしめられている。
耳をつけた胸から規則正しい心音が聞こえて、視界も遮られている。
背中に置かれた大きな手がトントンとなだめるように優しくリズムを刻んでいた。
ダグラスはただ黙って、私が落ち着くのを待っている。
温かい。
ダグラスは生きている。
ちゃんと、生きている。
「……ヒック」
静かな空間に私の泣き声だけが響いた。
「そんな風に耐えて泣くんですね」
ダグラスの胸越しの声が私の鼓膜を震わせる。
低く落ち着いた声が聞こえてなぜかとても切なくなった。
そうしてほんの少しの間だけ、私はダグラスの優しさに甘えたのだった。
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