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侍の心得其六 下り階段VS某

 某と母上で協力して一ヶ月。ついにすべての部屋の土を外へと運び出すことに成功した。当初懸念していた床板の腐敗については、全く問題が無かったと言って良いであろう。というのも、材質は木で間違いなかった。それなのに、長年土で埋まっていたにもかかわらず、汚れ一つ付いていない新品同然といった状態であった。よくよく見てみれば、床板の表面には薄く透明な膜が張られていたのだ。これは明らかに前世の技術とは全く違うものが使われていると感じさせるには十分なものだった。


 その証拠に、土で埋まっていた部分の壁は見事に腐っていたのである。どうやらこの貧民街の住居は家の根幹を為す重要な部分はこうして状態を保存する『何か』が為されていると考えて間違いないだろう。天井や壁などは手作り同然の隙間とツギハギだらけの構造なのに、床だけはきっちりと計算され、隙間なく作りあげられているのだから。

 これは一度、階下の部屋も見てみる必要があるかもしれぬ。


「ねぇ、アドリューン。家の土はすべて出したけれど、次は何をするのかしら?」


 母上が某に聞いてくる。土は確かになくなった。本来ならば床を拭いたり、必要があれば腐敗部分の補強が必要かと思っていたのだが、幸いそんなことはなかった。足元は腐った壁から隙間風が吹き込んでいて寒いが、床と壁のつなぎ目を直せる技術は某には無い。となると、今、家の中でやれることと言えば、『ぴょーん』を退治することか。とはいえ、煙で(いぶ)すくらいしか方法が思いつかないでござる。だが、この家は木製。室内で大っぴらに火を起こすわけにはいかぬであろうし......

 流石に、前世のように燻煙くんえん剤の類があるわけでもないであろうしな。ぐぬう。しばらくは血を献上し続けるしかあるまい。


 そんなわけで、某は母上に外へ連れ出して貰えるように頼んでみることにした。


「母上、某、外に出てみたいでござる! このひと月の部屋掃除でかなり動けるようになったし、良いであろう?」


 そう。外である。

 とはいえ、インドア派の侍もまたアリだとは思うのだ。例えば、千利休。彼は根っからの武人という訳では無かった。だが、彼は茶道という某の死ぬ間際にも確かに残る日本文化を大成し、最期は自身を曲げることなく、秀吉の命によって切腹し、その生涯を終えたのである。その最期はまさしく某の目指す侍と言えよう。


 つまりだ。某の目指す侍はインドアでも良いのだ。何もアウトドア......敵を研ぎ澄ました剣技で倒すだけが侍ではないのだ。だが、どちらにせよ先立つ物は必要である。この家でチクチクとノミを飼っている場合では無いのだ!


「そう。確かにもう五歳過ぎたものね。そろそろ、外へ出てみるのも良いかしら。買い物のやり方、仕事、ご近所さんもそうね。アドリューンは他の子達より病弱だったから、その辺りのこと何一つ出来ていないものね」


 なるほど。単に外に出ると言っても某がやらねばならぬことは多岐に渡るのであるな? 望むところである。それに、この世界に来て1ヶ月。某はようやく外の世界を見られるのだ。何もない家の中からの解放がこんなにも心躍るものだとは思っていなかった。


「ほら、ボーッとしてないで早く背中に乗って。いくわよ。アドリューン。」


 む? 某、もうかなり体力が付いたし、背負ってもらわずとも動ける筈であるのだが。母上は善意で屈んでくれたのであろうが、某は頬を膨らませて抗議する。前世の記憶からして、妙齢の女性に背負って貰うのは恥ずかしいというのもあった。


 ーー某は自分の足で歩けるのである!!ーー


 某のイヤイヤアピールに気付いてくれたのだろうか。母上はクスリと笑った。そうして某を背中に乗せるのを諦めたのか、某の手を取ると仕方なさそうな顔をして立ち上がる。くっ......! なんだ、その駄々をこねる幼な子を見るような目は! これでも某、前世では成人するくらいには生きているし、下手すれば母上より年上であるのだぞ。


「ふふ、辛くなったら遠慮なく言うのよ。一応こけない様にこうして手は握っておいてあげるから。」


 そう思いながらも、母上の手をふりほどく力が某にあるはずもなく、大人しく手を繋ぐことにする。そうして寝室から少し歩いて玄関である閂のある扉の前まで来る。

 この部屋を最初に物色していた頃はこの扉の正体は全く分かっていなかったのだが、今となってははっきり分かる。外へとつながる扉だ。当然、土を掃除していた時に何度も何度も母上がここから外に出ていったのを見ているのであるから。


 いつもであれば、母上が閂の中央を握ると、閂が青色の光を放つ。青色といっても海の様な青ではない。信号機の緑に近い優しい青だ。そうして光が収まると閂が勝手に動き出すのだ。まさしくファンタジーである。初めてその光景を見た時は、前世の生体認証があんな感覚ではないだろうかと思ったものだ。そんなことを考えながら一つ疑問が浮かぶ。


 ーーそういえば、これ、某が触ったらどうなるのであろうか? 今まで家の中を綺麗にすることに気を取られすぎて気にしたことも無かったが、同じ様に開くのであろうか?ーー


 気になった某は、母上よりも先に閂へと手を伸ばしていた。だが、閂はピクリとも反応しない。


「残念。この扉は、私か、父さんが登録しないと開かないようになっているの。つまり、子供だけで外に出ていくことは出来ないの。勝手に子供が出て行って迷子になってしまったら困るでしょう?」


 なんと! そんな高度なシステムが採用されていたのであるか。なんというか、こういう部分だけは前世のセキリュティを超えている辺り不思議な気持ちになる。とはいえ、某の手で閂を抜く感触がお預けになってしまったのは悲しい限りであるが。

 そんなことを思っている間にいつも通り緑の光を出しながら扉を開いた母上に連れられ外に出る。家を出てすぐ、目に入ってきたのは下へ降りるための螺旋階段である。ここは天井の隙間から光が差していたこともあって予想はしていたがやはり最上階の様で、上へ上がる為の階段は無い。


「さて、アドリューン。あなたに無事に一階まで降りる力があるかしら? ここは十階。少なくとも、ここから一階まで降りてかつ、外を不自由なく動けるようになるくらいでないとアドリューンだけで外に出ていけるようにはしてあげられないわ」


 そこまで体力が無いと思われているとは心外である。確かに一ヶ月前までは死にかけていた......否、死んだアドリューンであったが、今は違うのである。この一ヶ月、最後は途中で脱落することなく家の掃除が出来たのだ。登りならまだしも下りで力尽きる某ではないのだ!


「まあ! 九階は余裕ね!」


「勿論である!」


 ――たかが、一階。この程度でへこたれると思われるわけにはいかぬのだ――


 その後、某は余裕口笛を吹きながら八階、七階、六階と下ったのである。螺旋階段など某にとって大した敵ではない。途中途中、階が変わるごとに踊り場があり、そこに最上階にある我が家と同じ扉が一つだけあるのが印象的だった。どうやら、この建物には一つの階に一部屋という具合で部屋が作られているらしい。前世で言う、いわゆるマンションと同じ仕組みなのかもしれない。ただ、一階に一部屋ずつしかないのでかなり縦長なのだが。


「さあ、アドリューン! ここが5階よ! あと半分ね! 鼻歌が止んじゃってるけど大丈夫?」


「ゼェ、ゼェ。だ、大丈夫でござる。この程度、この程度、某の前には大した問題ではないのでご......ざ――」


 その瞬間、某の足が完全にフリーズする。それだけではない。一度立ち止まってしまえばそれ以上動けたものでは無い。なんのこれしき、某の限界が5階分降りるだけとかそんなはずは無いのだ! だが、某の足は既に限界で、前に進もうとする胴にうまく体が付いてこない。結果として某は盛大にこけそうになる。


 ――あっ......!――


 だが、某はこけることはなかったのである。むしろ、今まで体験したことのないような自然な浮遊感に包まれたのだ。気付けば某は母上の背中に居た。一瞬何が起こったのか整理することで頭の中が一杯になる。そんな某の前方から声がかかる。


「もう、無理しちゃって。本当にこけるまで頑張るなんて男の子ね。まあでも、以前は一階分もまともに降りられなかったんだから頑張ったわね。それに、ここ一ヶ月風邪もひかなかったし。私はそれだけで十分よ」


 某は、疲れ切った頭で考えても分からないことを考えるのは諦めて、母上に反論することにする。この程度で満足していては到底某の目指す侍にはなれぬのである。


「ゼェ、ゼェ。駄目でござる。母上、某は将来、立派な『侍』にならねば......。この程度でへこたれているわけにはいかぬのでござる」


「侍? ねぇ、アドリューン、侍ってどんなものなの?」


 母上の背中で揺られながら、どう答えたものかと某は考える。この世界に侍の概念は恐らくない。あるのかもしれないが少なくともこの貧民街から出てみないことには確認のしようも無い。ここで語ったことが侍の新たな概念になるとすれば慎重に言葉を選ばねばなるまい。


 そう思いながら、疲れで朦朧とする某の口から出た言葉は某の理想そのままであった。


「受けた恩と感謝を忘れぬ『仁』、自身が心に決めた主に命を懸けて尽くす『忠』、如何なる敵であろうと引かずに立ち向かう意志『侠』この三つを真に体現する者。これが侍でござる」


「そっか。なら、今のアドリューンには一つもないわね。まさか、『忠』とやらが私や父さんってわけではないのでしょう?」


 某には背中に捕まりながら見た母上の横顔がどこか寂しそうに見えた気がした。ただ、某にはそれ以上に返す言葉はない。沈黙は肯定に他ならないが、母上や父上の元に居ては某の目指す侍を体現できないことだけは確かなのである。ここで自身を偽る術を某は持ち合わせていない。

 少しずつかすんでゆく視界の中で母上が呟いた声がやけに強く心に刺さるのを感じる。


「そっか。『侍』、か――」


 その母上の呟きを最後に某はぷっつりと意識が途絶えた。

 次に気付いた時、某は、例の「ぴょーん」に起こされた。どうやらベッドの上に寝かされていたらしい。視界には見覚えのあるツギハギの天井だ。


「なっ!? 外は? 外はどうなったでござるか?」


 どうやら、某は折角の初の外出を階段五階分を降りた疲れで眠ってしまい棒に振ったらしい。なんということだ! 某、自分の限界も測れぬほどの未熟者であったとは。次に外に出るときはもう少し加減して意地を張らずに背負ってもらおう。この辺、やはり五歳児のそれなのかもしれぬ。妙に融通が利かない部分は精神が未熟であるに他ならないのだから。


「あら、アドリューン。起きたのね。ほら。毎日同じメニューだけど、今日はもう遅いから、しっかり食べて寝なさいな。あ、それと、明日からみっちり鍛えてもらうからね! 覚悟しててよ。あなたが目指す侍とやらは、少なくとも母さんより強くならなきゃダメなんだから!」


 食事を寝室へと持ってきた母上の顔は、いかにも何かを決意したといった表情をしている。いつもの優しいだけの雰囲気ではなく、その顔には凛とした美しさが芽生えている。


 ――ん? 鍛えてもらうのは、某、願ったりであるが一体どういうことであろうか?――


 某は疑問に思うも、現時点でその細身の体で前世基準ではありえないくらいには動ける母上に鍛えてもらえるのだ。これ以上なにか言って水を差すのではなく、頷くだけにしておこう。


 しかし、某は理解していなかった。某を鍛えるという本当の意味を――。


「こらあっ! アドリューン! 何をへばっとるんだ! その程度でへばっているようでは誰も雇ってなどくれんぞ!!」







最後のセリフはまだ登場していない人物です。アドリューンのお母様ではないですよ? 安心してくださいね!(一体何を安心するんだ......)

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