侍の心得其五 私の息子はどうしてこんなに変になってしまったのかしら? (メリア視点)
私の名前はメリア。アドリューンの母です。
最近、私の息子のアドリューンの様子がおかしいの。あれは、アドリューンが五歳の誕生日を迎えてから、五日後のことだったかしら。とんでもない高熱を出したの。それこそ、触った瞬間火傷するんじゃないかなってくらい。とてもじゃないけど、人肌の体温とは言えなかったわ。
焦った私は「いかないで」と手を伸ばすアドリューンを置いて食材置き場に一緒に入れてあったすべての銭貨を持って走ったわ。仕事中の父さんの元へ。出来ることなら、私はアドリューンの隣で手を握って声をかけ続けていたかった。
でもね、今回はとても嫌な予感がしたの。何もしなければ、まるで、私のアドリューンが、私の手の届かないところへ行ってしまうのではというような。
――私がなんとかしなきゃ! このままじゃアドリューンが死んじゃう!――
父さんのところに着いた時、即座に親方へ取り次いでくれて薬をいただく交渉をしてくれたわ。親方にもアドリューンと同じ年ごろの娘さんがいるらしくて、その娘さんが熱を出した時の為にって解熱剤を持っていたの。値段は銅貨三枚。銭貨にして三百枚分。とてもじゃないけど、私の家にあった分のへそくりでどうにかなるような金額じゃなかった。
それでも、親方は快く薬をくれたわ。当然、無料じゃなくて、父さんが半年間の泊まり込みで働くという条件付きではあったけれど。
なんにせよ、薬を受け取った瞬間、お礼を言うと私は走った。
――アドリューン! アドリューン!――
息を切らしながら全力で走った私は十階分の階段を駆け上がり家に戻った。寝室の扉を開けた瞬間、驚いたわ。つい数時間までは今にも死ぬんじゃないかって熱を出していた筈だったアドリューンが、わざわざアドリューンの手が届かないようにつけてもらった筈の窓の取っ手を開けてしかもきっちりつっかえ棒まで嵌めているなんて。
私が見た時は地面に座り込んでいたけど、今思えば、この時からおかしかったわ。今までは私の言うことをしっかりと守るいい子だったのに。
「うあああああああああああ!」
私が驚いて固まっていた時、急にアドリューンが叫び声を上げたの。それはまるで、私の知っているアドリューンではない。そんな叫び声だったわ。それでも、それが杞憂であったら私は愛する息子の窮地を見殺しにしたことになってしまう。私は急いでアドリューンに駆け寄ったわ。
「ちょっと! アドリューン。 大丈夫!?」
頭を抱えてもがくアドリューンに声をかけるも、まるで聞こえていないかのように声にならない叫び声をあげていたわ。私はそんなアドリューンをベッドに寝かせて薬を飲ませるために抱え上げたの。
「あっつう」
その時、感じた熱は、思わずアドリューンを地面に落としてしまいたくなるほどだったわ。少しずつ私の肌が焼かれるような。そんな感覚に耐えて、アドリューンに着いた砂を落としてベッドに寝かせて解熱剤を飲ませたわ。
まさかそのあと、三日も目を覚まさないとは思わなくて、かなり心配したんだけどね――
そして今。私は、アドリューンの遊びに付き合っている。でも、どう考えてもおかしい。外にさえほとんど出たことがなくて、まともに触れ合ったことのある人が私と父さんくらいしかいない筈のアドリューンが急に自分のことを話すときに「某」とか「ござる」とか言い出したのよ? 優しく問いただしてみても、あの窓を開けた時に外から聞こえてきたとか言い出す始末で。聞こえるはずないでしょう?
ここは十階なのよ? 十階から大通りを通る人の声がそんなに詳細に聞こえるかしら? 今までのアドリューンのことは私が一番知っているのよ。飛びぬけて耳がいいというわけじゃないことも。それに、私が生きてきた人生の中でそんな言葉を使うような人には会ったことが無いわ。
そんなわけで、私はあの超高熱でアドリューンが倒れた後からアドリューンの変化をずっと観察している。急に、この領地のことを聞いてきたり、部屋の中を綺麗にしようと言い出したり、食事を食べる時、本人は隠してるつもりなのだろうけど、表情がこわばるようになったの。まるで他の食卓を知っているかのように。
こんなことってあり得るのかしら? かといって、あの高熱以前のことも、聞けば答えてくれるのよね。私の思い違いかしら?
「母上! そろそろ、表層の柔らかい土が剥がし終わって、これ以上土が集められなくなってきたでござる! スコップか、それとも、この土を砕けるような硬い棒のようなものが欲しいでござる!」
は......ははうえ? え、今、母さんじゃなくて母上って言った? ねえ、貴方、本当にアドリューンなの? そんな呼び方するの、お貴族様のご子息くらいなものよ。貧民街を一度も出ていない筈のあなたがどうしてそれを知ってるの? それに、どうして、的確に欲しい道具の名前が分かるの? 私教えてないわよ。絶対に!!
「分かったわ。スコップなら、木製のものがあった筈だわ。今探してくるわね」
それでも私は答えるわ。なんだか、私が母上って呼び方に触れなかったことに満足げな顔になってるみたいだけど、ツッコむのを諦めただけだからね? 全然自然じゃないし、不自然極まりないわよ?
そんなわけで、かなり不自然で不可解ではあるけど、今のアドリューンは間違いなく私の愛したアドリューンの面影があって、あの高熱を死なずに生き抜いてくれたんだもの。かなり変になってしまったくらいで見捨てるわけにはいかないわ。
それに、この子の遊びを手伝っていれば、普通に働くよりも数倍のお金を稼げるんだもの。今まで、我慢させてきた負い目もあるし私は私の出来ることでアドリューンを応援してあげなくちゃ。話している限り、貧民街ではありえない程の聡明さもあるし、もしかしたら、平民くらいにはなれて、私や父さんみたいな苦労はしなくてもよくなるかもしれないから。
そんなことを考えながら、アドリューンに持ってきたスコップを渡す。でも、アドリューンにスコップが使えるのかしら? このスコップだって大人用でほうき程は長くないけれど、それでもアドリューンの背丈と同じくらいの大きさはあるの。本当に使えるのかしら?
そう思いながら、アドリューンを見ていると、何度か地面を長い柄を持て余しながらコツコツと突っつき始めたみたい。でも、アドリューンの表情から、これでも一生懸命掘ろうとしているってことが良く伝わってきて、なんだか微笑ましい物があるわ。
そう思って見ているとそれが伝わったみたいでアドリューンがムッとしながら声をかけてきます。
「これだけ硬ければあの方法が取れるであろう。 母上、そうやって笑っていられるのも今のうちでござる」
どうやら、笑っていたのがばれていたようね。私はキュッと口元を引き締めると、アドリューンが次に何をするのか見守ることにします。すると、アドリューンはスコップを持ったままベッドの上へと登ろうとするではありませんか。これは叱らねばなりません。いくらなんでも、ベッドの上に土のついたものを上げるなんて真似を見過ごすわけにはいきません。
「こら! アドリューン! そこはベッドでしょう? そんなところに土が付いたものを持ち上げたら駄目じゃない! 早くおろしなさい!」
しかし、アドリューンは、私の言うことを聞くのではなく、こちらを見てポカンとした表情をしています。まさか怒られるとは思っていなかったのかしら。これはもっと強く言い聞かせねばならないわね。そう思い口を開こうとした瞬間、予想さえしていなかった反論が返ってきます。
「母上、確かにベッドの上に土が乗れば、シーツも汚れるし、寝るときに砂が原因で寝心地が悪くなるであろう。しかし、土以上に、今もこうして『ぴょーん』と言いながら飛び回っているノミの方が邪魔であろう? 寝ている最中にチクチクされるのに慣れている母上なら、土がチクチクしたところで眠れよう」
の......ノミ!? ノミなんて、ベッドを作ればどこの家にだって当たり前にいるでしょう。それとこれとは話が別です。当たり前にベッドに居る虫と、ベッドにあるはずのない土。これを同列として考えるのはいけません。将来、ベッドの上に土足で上がる子になってはいけません。やはりここは心を鬼にして叱ることにするわ。
「アドリューン! ノミと土は別物です。分別はつけなければなりません! なんでもかんでも一緒くたではいけませんよ。そもそも――」
私はくどくどと叱っていると、アドリューンは納得のいっていないような、バツの悪いような。そんな顔をしながら私の説教を聞いていました。これは子供が言い訳する前兆である不満顔に似ています。これはもうひと叱りしなければいけないかしら。そう思ったのですが、帰ってきた言葉は違ったのです。
「わかったでござる。確かにノミと土が一緒はいけなかったであろう。ならば、母上、手伝ってほしいのである。本当は母上の手を煩わせず、一人でやれればよかったが、ベッドに土を上げてはいけないのならばそうも言っていられぬ。母上、少しスコップを持っていて欲しいのだ」
「え......、ええ。分かったわ。スコップを持っていればいいのね」
拍子抜けです。まさか、言い訳するのかと思ったらそうではなくて、自分一人で出来ないことに対する不満だったなんて。そういえば、ここ数日、疲れて動けなくなったアドリューンはいつも私が掃除しているのや、私が外へ土を持っていくのをどことなく不満げに見つめていましたね。家の掃除の稼ぎが良すぎて、私が掃除に夢中になるあまり、アドリューンの気持ちを私は無視してしまっていたみたいね。
私は反省しても、謝ったりはしません。親は常に子を導いてゆかねばなりませんから、出来る限り迷いをみせてはならないのです。そんなことを考えているうちに、アドリューンがスコップを要求してきました。ベッドに乗ったアドリューンにベッドに土が乗らないようにスコップを渡します。
「では、母上、少しそこをどいて欲しいのだ」
私はアドリューンの言う通りアドリューンの前から少し横へと逸れます。それを確認したアドリューンはなんと、ベッドからジャンプして飛び降りたではありませんか。私が驚いているうちにアドリューンはスコップの刃先をジャンプの勢いそのままに地面に突き立ててスコップの持ち手を軸に倒立し、スコップから手を放して着地しようとするではありませんか。
明らかに五歳の子供ができる動きの範疇を超える華麗な動きに思わず私は息を飲みました。ただ、見とれていられたのは着地まで。
やはり五歳の体では着地に耐えるような下地が無かったのでしょう。バランスを崩します。
「危ない!!」
私は叫ぶしかできません。必死で追おうとするも見とれていた時間分、アドリューンが転ぶのに間に合いません。結局アドリューンはゴロゴロと転がって壁にぶつかってとまります。
「アドリューン!! 大丈夫?」
駆け寄った私にアドリューンは笑顔で応えてくれます。これは後で説教しなきゃ。この子、どこでこんな動きが出来るようになったのか知らないけれど、このままじゃ取り返しのつかない大けがをしそうだわ。ガッツリ言い含めておかなければならないようね。
「母上、某は大丈夫でござる。さて、これで地面にひびが入ったでござるから、そこからてこの原理で一気に剥がせるであろう」
嬉々として立ち上がったアドリューンは先ほどスコップの取っ手部分を突き立てた場所へ行くとスコップの刃先をひびへと突き立て、一気にスコップに体重をかけます。すると、何ということでしょう! 床の上で固まっていた土が一気にごっそりと宙に浮きました。
「母上、某はそろそろ限界でござる。あとは任せるである」
私は「......はい」と生返事を返すしかできませんでした。一体この子はどれだけ私を驚かせてくれるのでしょうか? 貧民のことしか知らない私でこの子を導いてやることが出来るのかしら? いや、やらなければならないわね。私はアドリューンの母親ですもの。父さんが帰ってこられない間、この子がおかしな方向に進まなくていいようにしっかりと面倒を見てやらねばなりませんね。
――ところで、テコノゲンリとは一体なんなのかしら?――