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侍の心得其二 アドリューンの追憶

 なんだ? これは。誰かの人生であろうか?

 これまで体感したことのない異物の脳内混入に耐え抜いた某の脳内には見ず知らずの女性に抱かれている記憶が流れ込んでくる。よくよく見てみれば、先ほどチラッと見た某へ向かってきていた赤髪の女性だった。どうやら、これは赤ん坊のころの記憶であるらしい。


 ・・・・・・母さん・・・・・・


 脳内にふっと文字が浮かんだ。ああ、そうであったか。この女性はそなたの母上であったか。某は理解した。これは某の、いや、某がこの体に宿るまでに生きていたこの体の本来の持ち主の記憶であると。そう理解すると記憶は流れるように移り変わっていく。貧しいながらも愛され、大切にされて育ったこの少年の記憶が。


 だが、少年は虚弱だった。いや、そもそもの話としてこのような環境で生まれ育った少年が頑丈に育つはずがない。産まれてから一年は良かったが、乳離れをしたころから、頻繁に病気で寝込むようになった。


 ・・・・・・寒い、辛い、苦しい・・・・・・


 少年の記憶はそればかりで埋め尽くされていた。そのたびに少年の母上が付きっ切りで看病するのが視界に映る。そういえば、父上はおらぬのであろうか?


 そう、思った時、場面が切り替わる。赤髪が映っていることや視線が明らかに高いことから、母親に背負われていると分かる。いたるところに木材が置かれている場所であった。そこに、一人の男が(のみ)のような道具を振って木を削っているのが視界に映った。くすんだピンクの髪はぼさぼさで食事が足りないのだろう体は絞った雑巾のように細かった。それでも、木材を人の手で加工するという力仕事を生業としているからであろうか。細いながらもワイヤーを彷彿(ほうふつ)とさせた。


 ・・・・・・父さん・・・・・・


 ああ、この男が、そなたの父上なのだな。そういえば、ピンクや赤といった髪の色を見れば、やはりここは異世界なのだなと心からそう思う。見るからに貧しい家族に髪を染める余裕があるはずも無いし、文化水準を考えても、髪を染めるという技術があるかどうかも怪しい。


 そんなことを考えているうちに、少年の父上の眼前まで着いた母上の手によって少年は手渡される。すると、少年の父上によって持ち上げられたのだろう。急激に上空へと少年の体が持ち上がった。うえええ!? 視界が急に上下し、酩酊(めいてい)感を覚えた。だが、次第に慣れてくると、少年の記憶につられて某も楽しくなってくる。


 しばらくこの記憶を楽しんだ後、記憶はあのベッドの上へと切り替わった。少年の母上が走って部屋を出ていくところだった。


 ・・・・・・お願い! 母さん、いかないで!・・・・・・


 先ほどまでの熱に浮かされていた記憶とは比較にならない程の苦しみの感情の吐露(とろ)に某は察する。ああ、これが、死の間際の記憶なのだと。異変を察した母親は大急ぎで外へと出て行ったことから、あからさまに動揺しているのが伝わってくる。あの母親のことだ。きっと薬か何かを貰いに行ったのだろう。


 ・・・・・・寂しい・・・・・・


 その感情が伝わってきた時、某は涙を流していた。いや、これは記憶を見ているのだ。涙など実際には流れていないのかもしれない。それでも、死の間際、少年は独りだった。この感情を最後に少年の記憶はぷっつりとまるでブラウン管テレビの電源を切った時のように消えていった。高熱で朦朧(もうろう)とする視界が、母親が出ていったツギハギで出来たドアを最後まで追っていたのが某の脳内で反芻(はんすう)され、胸が締め付けられる。

 それでも、この少年の記憶が流れてきている間に聞いておかねばならないことがあるだろう。


 そなたは名をなんというのだ?


 ・・・・・・アドリューン・・・・・・


 そうか、アドリューンか。侍からはかけ離れた名だが、良い名前だ。あの両親から受け取ったのなら、なおさらである。


 ・・・・・・父さんと母さんをよろしくね。必ず、幸せにしてあげて・・・・・・


 わかった。そなたのその想い、某が確かに受け取った。そなたの両親を幸せにすることをこの身に誓おう。


 ・・・・・・ありがとう・・・・・・


 某の返答に対する安堵の気持ちと共に、某の脳内に流れ込んできていた何かは完全に止まった。

 それと同時に、某の意識が浮上していくのを感じる。

 今から某はアドリューンとして第二の人生を生きてゆくという覚悟と共に。


 そういえば、某、父上にも母上にも別れを告げずにこの世界へ来てしまった。前世では明らかに周囲から浮いていたであろう某を分け隔てなく愛し、導いてくれた。今頃、某を失った悲しみによる悲嘆に暮れているだろうか。それとも、赤の他人である女子を護るために逝ったことを誇ってくれているだろうか。分からぬ。もしかしたら、女子を護りきることさえも出来なかったのやもしれぬ。

 最後に父上と母上に感謝の一つだけでいい。伝えたかったなあ。


「ここは......?」


 目を覚ました某は、視界を埋め尽くすツギハギだらけの天井に出迎えられる。どうやら、死ななかったのであろう。代り映えのない物言わぬ天井が、それを悠然と語っていた。ただ、前見た時のようなツギハギの隙間から差す光はなく、ぽたぽたと水滴が落ちてきている。心なしか部屋の中は、じめじめしている気がした。ただ、じめじめしている割には衣服が肌に張り付くような感じや、汗をかいて気持ち悪いということは無い。


「ああ、良かった。アドリューン。やっと目が醒めたのね。もう起きないのかと思って心配したのよ。三日も寝ていたから。」


 その声と同時に、自分の視界を覆うように、ワインレッドの髪を後ろでひとまとめに束ねた女性が心配そうに某の顔をのぞき込んでくるのが分かった。ふと目を向けてみれば、足元に黒ずんだタオルと水の入った桶が置かれているのが見えた。どうやら、甲斐甲斐しく某の体を拭いてくれていたようだ。


 三日、そうか。三日も眠っていたのか。それは心配にもなるだろう。とはいえ、この三日という時間の中で、ただ、眠っていたわけではないのだ。この体の過ごしてきた五年という時間を追体験させられていたのだ。当然目の前で某の手を握りしめている女性のことだって今となっては良く分かる。某のこの世界での名はアドリューン。そしてこの女性は――


「母さん......」


 そう母さんである。本当は母上と呼びたかったのだが、急に呼び方を変えては戸惑われるであろうから、そのまま呼ぶことにした。とはいっても、某の一人称は某。これは譲れぬがな。わずか五歳の子供が一人称を変えるくらいでは大して何も思われぬであろう。僕から俺に変わるようなものだ。僕が某になったってどうということは無い。無いったらないのだ。


――近いうちになるべく自然な流れで母さんも母上に言い換えるが――


 さて、眠っている間に頭の中へ強制的に流された記憶によると、ここは中世ヨーロッパに酷似した異世界。たまたま、某が死んだタイミングと同タイミングで死んだ異世界の虚弱な少年に某の魂が宿ったらしい。色々思い返してみれば、言語は日本語ではなく、異世界独自のもの。だからこそ、5歳までに覚えた日常会話の範囲内の単語であれば分かるが、それを文字にしたり、数字として書き記すことは出来そうにない。そもそも文字が存在するのかさえ定かではない。ないが、ここは貧民街。この世界でおそらくかなり下位に位置する者たちで形成された街だ。ここでは教えられないのだろうが、より上位の立場の者ならば学もあるかもしれない。


 とにかくだ! 折角転生したのだ。昨日は絶望したが、もしかすれば某の望む侍が居るかもしれぬし、居ないのなら居ないで、前世では叶わなかった侍を広める。これもまた一興であろう。だが、まずは生活環境の改善もしくは、母さんには悪いがこの生活環境からの脱出。これが最優先だな。この少年の死因が虚弱と栄養失調であったのだ。このままでは近い将来、間違いなく同じ結末を辿ることになる。そうなる前にまずは生きねば。前途多難どころではない。前途真っ暗闇である。


「調子はどう? 今から作るけど食事は出来そうかしら?」


「うむ。大丈夫である。母さん」


 そう某が答えると、母さんは少し驚いたあとほっとする。某の手を握りしめていた手を離し、胸を撫でおろし、息を吐く。その様子からもかなり心配させたんだな。貧しいながらも見捨てずに愛してくれていることが分かって嬉しくなる。よく見てみれば、まだ若いはずなのに、目の下には隈ができ、全身が薄汚れて痩せているおかげでとてもではないが前世の二十代の女性と比べられるようなものでは無かった。そんな母さんを安心させるためにニコッと笑って見せると、母さんも笑みを浮かべて食事の準備のためだろう。某の頭を撫でて立ち去って行った。


 母さんを見送ると、起き上がってみることにする。


「痛っ......」


 起き上がってみると、全身に雷が奔ったかのような痛みが襲う。どうやら、三日前のアレは、この体には相当な負担だったらしい。これは生活環境の改善だけでなく、体を鍛えることも急務になりそうだ。なんかキツ過ぎて憂鬱になってきたのである。某、別に困難であればあるほど燃えるとか、ドМってわけではないのだが。


 結局、体を起こすのもキツかったのでもう一度横になったところで、ガチャっとドアノブが回る音がした。


「お待たせ、アドリューン。ごはん、持ってきたわよ。起きたばかりで辛いとは思うけど、しっかり食べて体力付けないとね。遠慮なく食べるんだよ」


「母さん、ありがとう」


 ――痛っ――


 全身に奔る痛みを我慢しながら起き上がると母さんの持ってきた皿を受け取る。中を見てみれば、濁ったお湯の中に小ぶりの赤色のじゃがいものようなものが二つ入っているだけだった。これだけ? えっ? これ、見るからに芋じゃん。炭水化物じゃん。筋肉つけるのにはタンパク質! 分かる? 某にタンパク質頂戴ぃぃぃぃ。と言っても貧民という立場にそれを求めるのは厳しいので、食料も調達できるようにならないといけないということだろう。


 ――生活環境の向上、体力づくり、食料調達。いくら前世の知識があるとはいえ、某のこの体でできるのか? いや、やらねばならぬだろう。次があると甘えているわけにはいかないのだ――


 芋だけに気を取られていたが、実はスープもかなり曲者なのだ。濁ったスープの色は灰色。灰色が意味すること、それ即ち、これは生活排水を再利用したスープということだ。そりゃ、虚弱体質にもなるというものだ。結局、心配させないように、一気に口の中へかきこんで、精一杯の笑顔を浮かべる。母さんは、微笑ましい物を見るかのように、「まあ、お腹が空いていたのね」なんて言って笑っていたが、前世の食料事情を知っている某からすれば酷い味だった。というか、味は無いと言った方が正しいかもしれない。ただ、水の臭みと素材の味がしただけであった。


 この日は筋肉痛で起き上がることすら出来なかったので、この後はそのまま休ませてもらうことになった。さて、明日から、改善していかねばな。知識チートがなんだ! 某が真の侍になる為に遠慮などしているわけにはいかぬのだ。両親に養ってもらえばなれた、十兵衛時代の侍もどきなんて甘ったれたものではない。これから目指すは真の侍。これが侍となる為の試練だと思えば、大したことはな......いとは言えぬな。うむ。



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