侍の心得其零 プロローグ
某は憧れた。戦乱の世を必死で戦い抜いた侍たちの姿に。主のためを思い、天下を獲るために奔走した侍たちの生き様に。自らを鍛え、眼前に迫りくる敵を打倒する。何人周りに味方がいようが、死なばそれまで。常に研鑽し、周囲の動向に目を向け、自身が求める理想へ進む為に。裏切りだってあったであろう。
生在る限りすべての瞬間において自身の命が狩られる危険と隣り合わせ。そんなひりつくような緊張感のヴェールに包まれた世界に恋い焦がれていた。自らが一生を捧げても良いと思える主と巡り合い、その主の元で自らの生を燃やす。それが夢であった。
某は知った。憧れた同朋は数百年以上昔に灰燼へと帰し、今の平和な世界には存在せず、侍の魂とも言える刀は、五百年も昔に銃器という間合いの段違いな武器に敗れ去り、廃刀令で使用者は根絶し、今の日本では、銃刀法によって携帯することも許されない。
当然、海外の紛争地帯に行けば、使用することは難しいことではない。自らが恋い焦がれた命のやり取りにおける緊張感だって味わえるだろう。
だが、それでも刀では、間合いを詰める段階で、銃で、蜂の巣だ。余程間抜けでもない限り、刀で戦闘に勝利するなんて無理だ。今、目の前を走る車でさえ刀では満足に突破すらできない。戦車や戦闘機なんて言わずもがなだろう。
いくら忠誠を誓った主のために全力で戦ったって、頭上から爆弾を落とされれば為すすべなく死ぬ。悲しいかな。これが今の世界の現状だ。
インフレ化の末路とも言えるこの世界は、既に人の意思なんて、関係ない。照準を合わせて、ボタン一つで気に入らない敵を、顔を合わせることなく滅ぼしてしまえるのだ。そこに侍の心など介入する余地は既に残されていない。
それでも、某は諦めない。どれだけ絶望的であろうとも、己が矜持を示すその時まで。憧れの侍となるその時まで――。
某の名は東郷十兵衛。
戦国時代の人ですかって? いや違う。昭和の人ですかって? それも違う。こんな名前だが生粋の現代っ子だ。現代でもあるであろう? 初見で絶対読めないキラキラネームを持つ子供たちが。それの古いバージョンとでも思ってもらえればそれでいい。
逆キラキラネームだ。
だが、某はこの名前が嫌いではないのだ。むしろ気に入っているともいえる。そもそも我が家は両親揃って時代劇かぶれである。それ故に幼いころから常に時代劇を見せられてきた。三度の飯より時代劇!
そんな某が侍に憧れるのは当然の帰結と言えただろう。侍に憧れた某の名前が十兵衛。好きどころじゃない。最高だ。
そんなわけで、保育園や小学校で友達が戦隊物や仮面ラ〇ダーやユーチューバーなんかの話をしている間、某は常に瞑想したり、おもちゃの刀で素振りをしていた。少しでも時代劇で見る侍たちの動きに近づけるように。
おかしな奴だと遠巻きにひそひそされていたが、言いたい奴には言わせておけばいい。憧れの侍になるためには手段など選んでいられないし、一瞬一秒たりとも無駄には出来ないのだ。こうして某が大学生になるころにはそれなりに侍っぽくなっていた。
帯刀はできないため、腰には殺傷能力皆無の布で作った自作の刀を差し、自作の着流しを着て、大学生活を送る。
ただ、某の心は常に干からびていた。侍として生きることを渇望していた。侍になるために努力することによってその渇きを満たそうと必死で足掻いていた。
――侍っぽくはなっても侍ではなく、どれだけ努力しても某の理想とする侍との乖離に日々苦しめられる。そんな某の鬱々とした人生の終わりは実に刹那的であった――
ある日の大学からの帰り道、突然、視界がスローモーションになるのを感じた。人生で初めての経験である。人は、自身の身に差し迫った何かがあるとき、それを回避するために脳が前触れなく時間間隔を延長するというのを聞いたことがあったが本当のことであったか。
そんなことを考えた矢先、道路へと飛び出してゆく女子と、それに気付かず、走り続けるトラックが目に入った。不思議であった。走っている筈の女子の足が一歩進むのが数十秒にも感じ、女子へと迫るトラックのタイヤの回転が完璧に見えるのだから。それを見た某の体は無意識のうちに動いていた。
トラックの前へ飛び出した女子の元へ。そして女子を抱きかかえそのまま道路を突っ切ろうとしたが、時、既に遅し。トラックが目と鼻の先にいる。死を覚悟したその瞬間、某は女子を庇いながら、腰に差していた布の刀を反射的に抜いていた。人生の最後の瞬間、某は侍だった。だが、当然布でトラックを止められる筈もなく、某は女子を抱きかかえたまま宙を舞う。全身を灼熱の炎で包まれたかのような痛みと、それに反して冷えていく体。いくら脳で指示しても、まるで動かぬ手足。
――ああ、某はここまでだ――
某が侍として大切にしている言葉がある。
「仁・忠・侠」だ。
「仁」は思いやりだ。周囲への感謝を忘れず周囲を気遣うこと。当然受けた恩を忘れるようであっては駄目だ。「忠」は自分の主たるものへの忠心を忘れぬこと。「侠」は男気と言えば分かるだろうか。常に不屈の精神を持ち苦難へと自分から立ち向かってゆく心得でもある。
どれだけ体を鍛え、研鑽を積んだところで。どれだけ立派な信条があって、不屈の精神力を持とうと。人の身では、そんじょそこらのトラック一台から女子一人、満足に護ることも出来ない。
某は願った。
もし、生まれ変わることが出来たなら、侍のいる世界へ。
もし、叶うのであれば、某の命を捧ぐ価値のある主と出会いを。
希わくば、己が力を試す機会を......
消えゆく意識の中でそう願った時、某の意識はフッと闇へと落ちていった。
どうも、初めまして。しょた丼でございます。この度は『某、真の侍になりたいでござる!』を手に取って(?)頂きありがとうございますm(__)m
楽しんで頂ける様に頑張って執筆していきますので、どうぞ宜しくお願いします。