メイソン侯爵
ドロテアは、通信貿易ギルドの会議室に座っていた。
傍には、カトリーヌとニーナも居る。
会議室とは言っても、軽く衝立で区切られている程度のものだ。
ギルドの中を、よく見通すことができる。
今は、ギルド総出で、スカイラーの悪事についてのビラをバラ撒いている最中だ。
ギルドの事務所内には、連絡役が数人と、マスターのレジナルドが張っている。
そうこうしているうちに、次々と報告が舞い込む。
「レジナルドさん……、アピアス地区での新聞は、売り切れました!」
「クランプ地区もです!追加の在庫はありませんか!?」
どうやら、スカイラーの悪事をすっぱ抜いた記事は、民衆に大好評のようだ。
そもそも、不正というものはどこかからは漏れ聞こえるものだ。
それは汚職に携わるところの下級職員であったり、裏切られた先の職員だったりが、酒場なんかでくだを巻いている光景は珍しくない。
だが、その汚職が表まで出てくることはほぼ無い。
この時代の貴族の持つ権力は大きく、重要な証拠は自らの権限で握り潰すことができる。
それこそ、物理的に”握り潰される”者もいた。
また、通信貿易ギルドのような組織も未発達であり、個人で貴族の悪事を追及することなど、とても考えられることではなかった。下手をすると、命を狙われることになる。
従って、この時代の民衆は、『何となく不正の雰囲気は感じるが、追及することは許されない』状況にあったのだ。
だから、貴族に対しては、不審があったとしても、一種妄信的に信じるしかなかったのだが……。
そういう意味で、ドロテアたちが行った行為は、革新的であったと言えるだろう。
個人ではなく、組織として声を上げる事で、責任の所在を曖昧にできる。
さらに、通信貿易ギルドは、既に貿易で人脈や販売網を広げていた。
同時多発的に告発の新聞をバラ撒くことで、スカイラー侯爵が対応する隙を無くすことができるのだ。
レジナルドは、笑いが止まらないといった様子で、ギルドメンバーに指示を下す。
「いいぞ、どんどん売りさばけ!印刷所から上がって来たら、すぐさま持っていけ!」
通信貿易ギルドが持っている印刷所は、活版印刷を行っている。
これまで、それほど需要が無かったため、印刷機は手動ではあるが、それでも全速力で印刷を行っている。
ひとしきり指示を出し終わったレジナルドは、ドロテアたちの居る会議室へやってくる。
額の汗を拭きつつ、椅子に座った。グラスで水を飲み干す。
「いやあ、まさかこんなに新聞が売れるとはな……。
言っちゃ悪いが、こんだけ稼げるのはスカイラー侯爵のお陰だぜ。……それだけ、人々は飢えてたんだろうな。貴族の醜聞に。
これまで禁忌だった所に触れられるんだから、当たり前かもしれんが。
これで、大手を振って上級貴族を非難できるわけだ。これは、暇な民衆にとって、格好の娯楽になるだろうよ……」
カトリーヌは頷く。
「そうね。いかに上級貴族だと言っても、相手が全市民となれば、さすがに対抗できないでしょう。
また、国王や他の貴族たちも、無視できなくなるでしょうし……。これでスカイラー侯爵を倒せるといいんだけど」
レジナルドは、首を傾げて答える。
「まあ、少なくとも表舞台からは消えるだろうが……。裏では生き残るだろうなあ。
どんだけでも隠し財産はあるし、隠居したところで悠々自適な生活だと思うぜ」
ドロテアが、それを聞いて、苦々しく呟く。
「それは……とても悔しいと思います。私の父はスカイラーに殺され、私もつらい日々を送ることになりました。
なのに、悪事三昧のあいつが、のうのうと生き残るなんて……!」
膝の上で、ぎゅっと両手を握りしめる。スカートに皺が寄る。
そんなドロテアに、カトリーヌが微笑んで語りかける。
「そうね……。でも、スカイラーが消えれば、ウォルバーの領地は、ドロテアの手に戻るわ。
そうなったら、私たち商人ギルドと一緒に、またウォルバーを盛り立てましょう?
……過去はつらいと思うけど、これで前を向ける。貴女にはもう、仲間がたくさんいるんだから」
隣に座っていたニーナも声を上げる。
「私も!ドロテアを応援します!ウォルバーに戻ったら何でもやるよ。
一緒に頑張ろうね!」
眩しい笑顔を向ける2人に、ドロテアの目頭が熱くなる。
涙ぐんだ声で感謝を伝える。
「2人とも……。ありがとう!
そうだね。復讐は忘れていないけど……。
でも、2人がついていてくれるから、頑張れる気がする。これからも……、よろしくね!」
ドロテア、カトリーヌ、ニーナの3人が、手を取り合って、これからを確かめ合っていた。
その光景を、レジナルドは目を細めて眺めていた。
―――これだけ、信頼できる仲間に恵まれるってのは、羨ましいもんだな。
「―――失礼。通信貿易ギルドのマスター・レジナルド氏は貴方かな?」
ふと、第三者の声が響く。
会議室の入り口を見ると、身なりの良い紳士が立っていた。帽子を目深に被っているので、表情は読み取れない。
レジナルドは、立ち上がり、答える。
「ああ、そうです。私がレジナルドです。
―――貴方は、どちらさまでしたかな?」
紳士は、帽子を優雅に脱いだ。
「私は、メイソンと申します。―――私がなぜ来たか、レジナルドさんなら、お分かりになるのでは?」
「ほう―――」
レジナルドは、驚いた声を上げる。
「ええ。文化庁を牛耳ってるメイソン侯爵ですね。……貴方は、スカイラー侯爵のライバル貴族のはずだ。
……何となく察しはつきますが、まあ、お話を伺いましょうか?」
レジナルドが椅子を勧める。
メイソン侯爵は、微かに笑みを浮かべると、その椅子へと腰掛けた。