朝食
―――ドスン。
ドロテアの腹部に軽い衝撃が走る。
眠っていたドロテアは、慌てて目を覚まし、周りを見渡した。
すると―――。
ドロテアの腹の上には、ニーナの足が乗っていた。
足を投げ出したニーナは気持ちよさそうに眠っている。
敵の襲撃などではないことが分かって、ほっと胸を撫で下ろす。
へその辺りまでまくれ上がったネグリジェの裾を元に戻してやった。
窓の外を見ると、もう日は昇っているようだ。
眠っているニーナを起こさないように、ベッドから起き上がる。
腹の上から足をどかしても、彼女が起きる気配は無かった。
客間を出て、ダイニングへと向かう。
扉を開ける前から、香ばしい匂いが伝わってきた。
ダイニングへ入ると、そこには眠そうな顔をしたカトリーヌが、欠伸を堪えつつ鍋をかき混ぜていた。
ネグリジェ姿でおたまをぐるぐる回しているのが、何となく新鮮だった。
部屋に入ってきたドロテアに気付き、挨拶をかける。
「ああ、おはよう。……あふ。まだ眠いけど、いつまでものんびりしてるわけにはいかないわな。
パンを焼いておいたから、このスープと合わせて適当に食べてね。ニーナはどうしたの?」
カトリーヌの言う通り、食卓の上には、こんがりとした焼き立てのパンが並べられていた。
これが香ばしい匂いの正体だったのだ。
匂いを堪能しつつ、返事をする。
「ニーナはまだ寝てました。朝食をとるのなら起こしてきますよ。……美味しそうなパンですね」
「じゃあ頼むわね。……それなりにストレスも溜まる毎日だし、食べる物ぐらいは贅沢に、ってことよ」
踵を返し、客間へと戻る。
扉を開けて、ベッドの上のニーナの様子を見る。先ほどと同じ体勢で眠っていた。
体に掛かっていた布団を剥いで、声を掛けた。
「おはよう。もう朝だよ。……カトリーヌさんが朝ごはん作ってくれたから、食べよう?」
ニーナは、目をしょぼしょぼさせて半身を起こす。
「……もう朝?おはよう。……ん?何だか良い匂いだね」
糸目のまま、くんくんと鼻を動かす。ふらふらと立ち上がり、ダイニングへと歩き出した。
……なんだか幽霊みたいだ。
そう思いつつ、ニーナの後を追う。
ダイニングでは、朝食の準備を終えたカトリーヌが、机について待っていた。
「おはよう2人とも。パンとバター……。それとスープの朝食だけど、良かったら食べてね」
「ありがとうございます。美味しそうです!」
ニーナは、すっかり目が覚めたらしく、笑顔で食卓へ座る。
ドロテアも謝意を述べて椅子に座る。
手を合わせ、今日の一日も朝食を摂れることを、神に感謝する。
それが終わると、早速目の前のパンに手を伸ばした。小さく千切ってみる。
外側はカリカリに香ばしく焼かれているが、内側はふっくらしていてやわらかだ。
バターナイフでバターをこすりつける。
温まっているパンの表面で、バターはとろけだす。濃厚な香りが鼻腔に届く。思わず深呼吸した。
一口含んで噛んでみる。
まず、表面が口の中でパリパリと砕け、次いでふわふわとした歯触りが楽しめた。
バターの甘みが口に広がり、パン自体の甘みと絡み合って、複雑な美味しさを口内に残した。
ドロテアもニーナも、呑み込んだ後に、思わず「美味しい!」と声を上げた。
せっせとパンを千切って口に運ぶ2人を、カトリーヌは目を細めて見ていた。
「そう?口に合ったのなら良かったわ……。一応、良いものを選んで買っているからね」
ドロテアは、パンを食べて乾いた口を湿すため、野菜のスープに口をつける。
その味も衝撃だった。
野菜のスープ自体は、マーガレットもよく作ってくれるのだが……。
このスープは、それとは違った味わいがあった。
もちろん、マーガレットが作ってくれるスープが美味しい事は間違いないのだが、これは、また違う方向で美味しいのだ。
ドロテアは、カトリーヌに感想を伝える。
「このスープも美味しいです!普通の野菜スープとはまた違った味わいですね?」
「あら、分かる?」
カトリーヌは嬉しそうに顔をほころばす。
「隠し味がいくつか入っているのよね……。良い所の鶏肉とか卵を煮たものを下味に入れたりとか。それと、異国の香辛料も少しね。
結構食べる物にはこだわってるから、それを分かってくれて嬉しいわ」
「へぇ……」
ドロテアは驚いた顔でカトリーヌを見た。
彼女にそんな趣味があるとは思わなかった。
思えば、彼女の趣味とか好みとか、そんなところはあまりよく知らなかった。
……この騒動が終わったら、もっと仲良くなりたいな、と思った。
美味しい朝食の時間は、瞬く間に過ぎ去った。
ナプキンで口を拭く。量はそれほどでもなかったが、とても満足した。
食後に紅茶を飲みながら、今後の方針について会話を交わす。
色々とあったが、結局のところ目指すところは変わらなかった。
中央都市にある、通信貿易ギルドの知り合いへ、スカイラーの醜聞を持ち込む。
そして、それを方々で暴露してもらい、スカイラー家の権威を失墜させる。
そうすれば、ウォルバーの各地の物件についても、ドロテアこそが正当な継承者だという事も認められ、復讐は果たされるだろう。
あとは、先方とスケジュールを合わせ、実行に移すのみだ。
だが、それが難しい。何せ、中央都市はスカイラーの庭と言ってもいい。そんな奴の目を掻い潜り、進めなければならないのだから。
また、今回は無事に退けられたが、今後も暗殺者が襲ってこないとは限らない。
早いところ、決着をつけねばならないのだ。
ドロテアが、決意を新たに握りこぶしを作っていると、玄関の扉が激しくノックされた。
……ここに居る3人は、まだネグリジェだ。
このダイニングは奥まっており、目につく心配は無いが、何となく居心地の悪さを感じた。
カトリーヌが、誰何する声を上げる。
「こんな朝早く誰だ!何の用だ?」
すると、扉の外から、焦ったような声が聞こえる。
「俺です!質屋のミハウです!
……カトリーヌさん!”ダンジョン村”の宿屋で……、殺人事件が起こりました!!」
「……何だと?」
一同は、ざわつく空気を感じた。