解き放たれる
宿屋の室内は、真っ赤に染まっていた。
そして、その中心には……。
「ローズ……」
イザベルは呟く。
深紅の塗料をぶちまけたようなフローリングに、ローズが横たわっていた。
束ねられていた髪はざんばらにほつれ、光を失った瞳が虚空に放たれている。
口と鼻から血の筋が伝い、首には絞められた跡が痛々しく残っている。
―――事切れていることは明白だ。
イザベルは、近くにしゃがみ込んで、ローズの目を閉じてやった。
気にくわない奴だと思った時もあったが、彼女の実力は認めていた。それが、こんなところで終わりを迎えるなんて―――。
ローズの方を向いたまま、マーナに命じる。
「……レオンがまだ、この部屋にいるか調べてちょうだい」
頷いたマーナは、短剣を構えつつ、慎重にクローゼットや隣の部屋へのドアを開く。
ベッドのマットレスまで切り裂いてみたが、レオンは居なかった。
マーナは一つ息をつき、短剣を腰に戻す。
「どうも、もうこの部屋には居ないようだな……。
……どう思う?」
イザベルは、爪を噛んで答える。
「どう思うも何も、下手人はあいつでしょうね。
……最近大人しかったから油断してたけど、これがあいつの本性だった、ってわけか」
マーナは、憐れむ目でローズの亡骸を見つめる。
「ローズは小柄だったからな……。レオンが、『彼女にならマウントが取れる』と思ったんだろう。
この前の『おいかけっこ』で、箍が外れたな。今のあいつは、ただの獣同然だ」
イザベルは、立ち上がりつつ吐き捨てる。
「その辺の冒険者を襲うくらいでは抑えておけばいいものを……。それにしても、身内を手に掛けるとはね。
やむを得ないな。レオンは殺しましょう。獣に成り下がったあいつは、スカイラー家にとって毒にしかならない。
……もし仮に、地元の自警団や騎士団に捕まったら、スカイラー家にとってとんでもない爆弾スキャンダルになってしまうわ」
マーナはそれに同意した。
「ああ。……地元の自警団たちよりも早く、見つけて処分しないとな。
どちらにせよ、スカイラー侯爵はレオンを処分するつもりだった。それが多少早くなるだけだ。
……こうなるんだったら、さっさと片付けておけばよかったか」
「全くね。……しかし、どうやって奴を探せばいいかしら?
正気を失った獣の考えなんて、どう追えばいいのやら……」
イザベルが顎に指を当て、考え込む。
マーナが自分の考えを述べた。
「まあ、獣だから分かりやすいという考えもあるな。
ようやく我々の監視から自由になれたあいつが、じっと息を潜めたままだとは考えにくい。
恐らく、すぐさま次の獲物を探してその辺をうろついているだろう」
イザベルは、もっともだと頷いた。
「なるほどね……。よし、じゃあ今から、狩りに出掛けてレオンを始末することにしましょう」
「ああ、承知した。……今からか?スカイラー侯爵に、今夜の顛末を報告しなくてもいいのか?」
マーナが問う。
イザベルが苦笑する。
「ローズが死に、暗殺部隊が壊滅した上に、作戦失敗したなんて、スカイラー侯爵に言える?
……下手したら、私たちまで殺されるかも。
せめてレオンを口封じ出来た事でも言わなきゃ、おめおめと帰れないわよ」
「それもそうか……。で、ローズの死体はどうするんだ?」
マーナは、床に横たわるローズの亡骸を示す。
イザベルは、物憂げな顔でそれを見つめる。
「今から埋葬する時間も余裕も無いわね。下手したら、私たちが殺したと誤解されかねない。
飛び散った血を掃除するのも難しいし、……残念だけど、ここに残していくしかない」
「……分かった。では、そうと決まれば時間が惜しい。準備しようか」
「ええ。そうしましょう」
イザベルとマーナは囁き交わす。
もともと大した荷物は持ってきていないが、万が一にも身元に繋がりそうな私物はすべて回収する。
ローズの死体も改め、持ってきていたハンドポーチや財布などを回収した。これでしばらくは身元不明となるだろう。
慌ただしくそれを終えると、部屋から立ち去る。
―――立ち去り際に、ちらりとローズの姿を一瞥した。
彼女は、さっき見た時と寸分違わずそこへ居た。死んでいるのだから当たり前だ。
イザベルは、小さく黙祷する。
そっと扉を閉めると、ローズを殺した獣―――。レオンを狩るため、再度夜の闇へ掻き消えた。