正念場
事務所の扉は開き切り、そこから現れたのは―――。
黒頭巾が2人のみだった。
おや、と黒頭巾の女は不審に思う。
打ち合わせでは、ドロテアの使用人を引き連れて、ここにやって来る手筈だったが……。どうしたのだろう?
よろよろとこちらへ歩み寄ってくる黒頭巾2人へ近づき、声を掛ける。
「おい、お前たち。使用人はどうした?拉致できたんじゃないのか……?
―――っ!」
近づくと、彼らの様子がおかしいことに気付いた。
どうやら、両手を縛られているらしい。
慌てて黒頭巾に手をやり、脱がせる。素顔を確認すると……。
確かに、ジャスミンとベッティナだった。
だがしかし、その口には、猿ぐつわが噛まされていた。
イザベルは、一瞬で危機を察する。振り返って、室内の黒頭巾たちに叫ぶ。
「総員、警戒しろっっ!!」
イザベルが叫んだ瞬間、事務所の窓ガラスが、甲高い音を立てて盛大に砕け散った。
そして、転がり込んでくる人影が―――。
「―――エドワード!!!マーガレット!!!」
ドロテアが、感極まった悲鳴のような声を上げる。
ガラスを突き破って部屋に飛び込んだエドワードは、その勢いのまま体を前転させ、立ち上がる。
「お嬢様、お待たせいたしました。お体の方は―――」
エドワードは、素早くドロテアの様子を確認する。
ドロテアの服が裂かれ、血を流しているのを見た。
目元が険しく引き締まる。
両手剣を正眼に構えると、室内の黒頭巾たちに言い放つ。
「お嬢様を手荒く扱ってくれたようだな。……お礼をしてやるから、そのままじっとしてろ」
黒頭巾の女は、口汚く罵って、ドロテアの元へ走り寄る。
ドロテアを人質に取り、黙らせようという魂胆だったが……。
そう動くことは読んでいた。エドワードは冷静に、腰から短刀を抜き放ちざまに投げつける。これは暗殺者から奪ったものだ。
黒頭巾の女は、寸でのところでのけぞり、それを躱す。
―――だがそれで、黒頭巾が切れて、床に落ちる。
「あ、あんたは……!」
ドロテアが声を上げる。こいつは見たことがある。
スカイラー家の忌み子、レオンに従っていたハーレムの一員。
そして―――、父を毒殺した憎き仇。イザベルだ。
「……ちっ、顔を見られたか。……これはますます、生かして帰すわけにはいかなくなったわね」
イザベルは、短刀が掠り、頬に滲んだ血をぺろりと舐めた。
その間に、エドワードとマーガレットが、ドロテアやカトリーヌたち3人の近くへ走り寄り、拘束を解いた。
動揺が落ち着いた黒頭巾たちを、イザベルがまとめる。
「こうなれば作戦変更だ……。証拠はともかく、貴様らだけでも全員、血祭りに上げて帰るとしよう。
お前たち、囲め!」
ドロテアたちを、黒頭巾の一団が取り囲む。
―――人数は、イザベル含め10人いるようだ。
厄介だ。と、エドワードは内心で舌打ちをする。
純粋に人数が多いのもそうだが―――、あばら家で襲い掛かられた時は、狭い室内だったので、対処する方向が決まっていた。
しかし、この会議室は広く、取り囲まれると対応が難しい。
さらに、ドロテア、カトリーヌ、ニーナと、丸腰の者が3人もいる。彼女らを守りながら戦うというのは、いかにも難度が高い。
だが―――、やり切らなければならない。ここが正念場だ。
マーガレットに視線で問う。
―――行けるか?
彼女も視線を返す。
―――行けます。
よし、とエドワードは、両手剣を構えなおす。
この程度の危機は、冒険者時代にも何度か経験してきたじゃないか。
ならば、今回も乗り越えられるはずだ。
両手剣の柄を、強く握る。
マーガレットは、懐から銀の短剣を取り出す。冒険者時代からの相棒だ。
銀は、特別に魔力の通りが良い金属だ。放出する魔力の触媒となるため、強力な魔法を使役しようと思うと、その存在は欠かせない。
現役から年を重ねている為、魔法を連発する程の精神力は、正直自信が無いが……。
だが、それでもやらねばならない。
―――ドロテアは、自分の子供も同然に想っている。
最初は、ただ可愛らしい子だ程度に思っていたが……。
長く一緒に過ごすうちに、情が移ってしまった。今では、彼女は大切な家族だと胸を張って言える。
因果が重なり、母を亡くし、父を喪い、悲しみに暮れた彼女には、これからは幸せに暮らす権利がある。
その為には家族が必要だ。それはこの商人ギルドもそうだし、私とエドワードもそうだ。
そう、ドロテアは家族に囲まれ、幸せにならなければならないのだ。
……こんなところで、権力者の私欲なんかに潰されていいはずがない!!
マーガレットは、銀の短剣を強く握る。
―――周囲に魔力が渦巻く。
それは、魔術の素養が無い者も気付くほどの大渦だった。
基本的に、使役できる魔力とは、本人の精神力に基づく。
それはつまり、想いの力が強ければ、魔力もそれに比例して強くなるという事でもある。
護るものを明確に意識したマーガレットの魔力は、現役の時と比肩しても遜色のない力を放っていた。
”ダンジョン村”事務所は、異様な緊張感に包まれていた。
イザベルは、すっ、と片手を上げる。
ドロテアたちを睨みつけながら……。
ふ、と表情を和らげる。
「さあ、死ねっっ!!!」
上げた片手を振り下ろす。
黒頭巾たちが、黒い風となってドロテアたちに襲い来る。
それはまさに、死へと誘う指揮者のようだった。