襲撃
”ダンジョン村”事務所の裏口に、イザベルが忍び寄る。
彼女を含む数人の人影が、扉の脇にしゃがみ込む。その内の1人、イザベルが、腰につけた鍵束を抜き出した。
事務所の裏口につけられている鍵は、ウォード錠と呼ばれる、割合単純な鍵であった。
この時代の鋳造技術はそれほど発展しているものではない。
従って、量産品のウォード錠では、その鍵の構造が、ある程度パターン化されている。
―――これが何を意味するのかと言うと、数十本のマスターキーさえ持っていれば、そのどれかは鍵穴に合ってしまい、開錠できてしまうという事だ。
当然、特注品などではそうはいかないが、ここの事務所の裏口に使われている錠前は、量産品のものであった。
腰の鍵束から、何本目かの錠を試すと、抵抗なく動き、微かな手応えが伝わる。
イザベルは、鍵束を元通り腰に戻す。そして、手を伸ばしてそっと扉を細目に開ける。
しばらくの間静止し、反応がない事を確かめてから、扉の隙間にそっと目を当ててみる。
中を窺うが、ドロテアたちが居る部屋以外には、人の気配は無い。
イザベルは、扉をそっと押し開ける。
扉は、僅かなきしみを上げて、ゆっくりと開いた。
音が収まるのを待ち、なお人の気配がしないことを確認してから、イザベルは、目元まで隠れる頭巾をかぶる。他の人影も同じように頭巾をかぶった。
そして、イザベルと数人の人影は、すっと扉の中へ侵入する。
―――事務所の裏口の扉は、何ごともなかったかのように閉じられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ドロテアたちは、机の上に散らばった資料を片付け始めていた。
明日から資料をまとめ始め、可及的速やかに発表できる体勢にしなければならない。
今日のところは時間が遅くなってしまったこともあるので、解散することになった。
ドロテア、ニーナ、カトリーヌの3人が、丁度ドアから背を向けた、その瞬間―――。
バタン!!!
扉が勢いよく開き、何者かがなだれ込む。
3人が振り返る間もないほどのスピードで、腕を捻じり上げられ、後ろ手に拘束される。
麻縄が手首に食い込んだ。
「こ、これは何事!?あなたたちは誰!?」
恐怖と痛みに引き攣った声で、ドロテアが叫び声を上げた。
黒い頭巾をかぶった人物から、愉快そうな、押し殺した笑い声が響く。
―――優しそうな、柔らかい女性の声だった。
「ふふっ。はじめまして。私が誰かなんてのは、どうでもいいことじゃないかしら?
……それより、貴女に用事があって会いに来たのよね」
「……それは、どういうことかしら」
得体の知れない黒頭巾の一団に、恐怖を隠し切れずにドロテアは尋ねた。
「ええ。貴女たちが、とある貴族についての、様々な情報を集めているのは知っている。
……その情報が、ここにある以外で、どこに置いてあるのか、教えてほしいの。
安心して。全部正直に話してくれたら、貴女たちに危害は加えないわ。約束する」
ドロテアは、その言葉で相手を察した―――。
こいつらは、スカイラー侯爵の差し向けた刺客だろう。
冗談じゃない。自分たちの集めていた、スカイラーの悪事の証拠を渡してしまえば、それこそ用済みとなった自分たちは、あっさりと殺されてしまうだろう。
だから、絶対に全てを喋るわけにはいかない。ドロテアは必死に思考を回転させる。
とりあえず、時間稼ぎに適当に喋って、考えを整理する時間を得ることにした。
「ちょ、ちょっと待って。何で貴方たちは、私たちがそれを持ってるって知ってるの?
貴方たちの目的は?私たちをどうするつもりなの!?」
黒頭巾の女は、さらに忍び笑いを漏らす。
ドロテアたちが怯えていることを楽しんでいるようだ。
「あん。それは秘密。
さっきも言ったと思うけど、私たちは、貴女たちが持っている情報が欲しいだけ。それさえもらえば、私たちは何もせずに退散するわ。
―――情報は、ここにあるだけじゃないんでしょう?」
黒頭巾の女は、ドロテアへ鋭い視線を向ける―――。
実際、目は隠れているのだが、気迫が伝わってくる。
ドロテアの背筋を汗が流れる。
実際、ここ、事務所に持ってきている資料は一部だ。
原本は、ウォルバー城の地下にある、隠し部屋にしまってある。
だが―――、それを言うわけにはいかない。
なんとか突破口を得るべく、苦し紛れでデタラメを話す。
「そうね……。その通り。ここにある資料は、全体のごく一部よ。
残りは……、信頼できる人物に預けてあるの」
それを聞いた黒頭巾の女は、我が意を得たりと勢いづく。
「ほら、やっぱりね……。それは誰?どこにあるの?」
ドロテアは、余裕がある風に、ふてぶてしく言い放つ。
実際には余裕などない。脇に冷たい汗が滲む。
「その人物には、私たちの誰かに、もしものことがあれば……。
資料を誰彼構わず公開してもらうよう伝えてあるの。
……私たちを殺そうっていうのなら、誰かさんの悪事が、自動的に全世界へばらまかれてしまうって寸法ね」
それを聞いた黒頭巾の女は、忌々しげに吐き捨てる。
「やはりね。小賢しい小細工をしているとは思ったけど……。
じゃあ、その、信頼できる人物、ってのを教えてもらおうかしら?」
ドロテアは、精一杯強がって唇を歪める。
「それを言うわけにはいかないわ。分かるでしょう?」
黒頭巾の女は、不敵に笑う。
「ところが、そうもいかないのよねえ……。貴女は、言わざるを得なくなるわ」
その、自信に満ちた様子に、ドロテアは不安を覚える。
黒頭巾の女は、言葉を続ける。
「貴女の実家……。あばら家には、使用人が2人居たわね?
……なんだか、仲良さそうに暮らしてるみたいじゃない」
―――ドロテアは、ぞっとする。
こいつは……何を言おうとしているんだ?
黒頭巾の女は、ドロテアの耳元へ、顔を近づける。
「その使用人、2人の命と引き換えに……、って言ったら、教えてくれるかしら?」
彼女は、慈母のような声で囁いた。