再開
……母が亡くなったのは、産後の経過が悪かったから?
はっ、と読んでいた日記帳から顔を上げる。
予想外の事実を知って、ドロテアは動揺する。
何という事だ。母が、若くして亡くなったのは聞いていたが―――。
その原因が、産後の経過不良。つまりは……ドロテアが産まれたからこそ、母は死んでしまったのか!?
目まいを覚える。額を抑え、何とか留まる。
近くに居たニーナが、背をさすってくれた。
日記帳は見ないように、気を使ってくれている。
―――許しを乞おうにも、謝りたかろうとも、父も母も、既にこの世にはいないのだ。
目の奥が熱を持つ。口の端が細かく震える。
だが、それが流れ出る前に、気を奮い立たせ、日記の次のページを開いた。
……どうやら、母が亡くなってからしばらく、父は日記から遠ざかってしまったようだ。
日記の次のページに書いてあった日付は、実に7年も先だった。
ドロテアは、固唾を呑み込んで、さらにページをめくる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――久しぶりに日記帳を開いた。
……あれからもう、7年も経つのだな。
今日は少し時間がある。
手慰みに、日記を再開してみようか。
ここに羽ペンを走らすのも久しぶりだが、書き出すと、意外と筆は進むものだ。
……さて。この日記を開くと、今は亡き妻の事を思い出してしまう。
だから、思い出さないように、わざと意識から追い出していたのだが……。
そうこうするうちに、本当に存在を忘れてしまっていたようだ。
たまたま、本棚の整理をしていたら、この日記帳を見つけた。
まるで、他の本に埋もれるように、隠されるように置かれていた。
それだけ、思い出したくない、悲しい思い出だったという事だろう。
とても懐かしい。読み返してみると、妻との思い出が一杯に書いてあった。
―――至らない自分の事もだ。
今でも、読み返すと心が痛い。
だが、思い出は思い出として、受け止められるようになっている。
これは、自分が強くなったのか、鈍感になったのか、それとも妻の記憶が薄れているからか。
―――妻の事を忘れることは、それはとても悲しい事だと思う。
だが、それでも人は―――、自分は、前に進まなければならない。
悲嘆に暮れ、立ち止まり続けるのは、妻も望んでいないだろう。
それは領地を持つ貴族の努めであり、また、子を持つ父親の責務でもある。
ドロテアは、もう7歳になった。
母親に似て、器量の良い子に育っている。
性格の方も母に似て、少し引っ込み思案なところがあるだろうか。同年代の子供たちと遊ぶことはあまりなく、マーガレットやエドワードに遊んでもらっていることが多いようだ。
まあ、無理強いはするまい。時が経てばまた性格も変わるだろう。
幸いにも、体調は健康そのものだ。
今は、元気でいるのが一番だと思う。
……そういえば、マーガレットたちが外出している時、寂しそうな顔を見せることがある。
自分も、ずっとドロテアの傍についていられるわけでもない。
……縫いぐるみでも作ってやろうか。手芸は得意なわけではないが、遊び道具は多いほど良いだろう。
あれから―――、妻が亡くなってから、ただがむしゃらに働いた。
動いていないと、妻の事を思い出して、底へ沈んでいきそうになるからだ。
無茶をした当時の自分を、マーガレットもエドワードも、よく支えてくれた。
……もしあの夜、彼らが城の前の道を通らなかったら―――。
妻も娘も死に、自分も、精神か肉体のどちらかを壊して死んでいたかもしれない。
本当に、ありがたい恩人だ。
がむしゃらに働いたおかげで、ここ、ウォルバーは更なる発展を迎えることができた。
中央都市とのパイプも増え、太くなった。
やって来る商人や、ここで営まれる商業も、徐々に規模を増してきている。
ここだけ見ると、喜ばしい事なのだが―――。
実をいうと、ここにきて手放しで喜べない事情が現れた。
その懸念事項とは、中央都市に居る上級貴族・スカイラー侯爵についてだ。
つい最近、彼の使いの者がここへやって来た。
何の用だろうかと、とりあえず接待を行ったのだが……。
どうやら、彼は献金を欲しがっているようだった。
ウォルバーが急速に発展し、収入が増えたことに目を付けたらしい。
スカイラー侯爵に献金を納めなければ、せっかく築き上げた中央へのパイプを寸断すると脅してきた。
……恐らく、ただの脅しではない。スカイラー家は、税収をつかさどる、歳入庁を牛耳っている大物貴族だ。
中央都市、並びにその近隣都市にいる、中級以下の貴族……特に商業を行っている者は皆、スカイラー家に大なり小なり献金を行っている。
献金をしなければ、スカイラーが裏で支配する、中央の商人ギルドから村八分られてしまうからだ。
そうなれば、商人のネットワークから外され、買う事も、売ることもできなくなる。自由な商業を行う事が、著しく困難になるのだ。
まあ、仕方がない。多少の献金ならば、払ってやろうと思ったが……。
そこで奴が提示したのは、お世辞にも適正とは言いかねる、高額の献金だった。
……とは言え、この献金を納めなければ、今まで努力したものが全てパーだ。
顔を引き攣らせ、無理やり笑顔を作り、献金を納めることを約束した。
スカイラー家の使いは、満足した表情で帰っていった。
……無論、奴は足代として現金を奪っていった。どこまでも欲の皮が突っ張った奴らだ。
今日のところは大人しくしておくが、いつまでも献金を奪われる一方ではたまらない。
近いうちに、奴の弱点を見つけて、交渉を行ってやろう……。