束の間の幸せ
疑問を抱く父へ、マーガレットは静かに喋る。
「正直言って、そろそろいい年だし、私たちもどこかに落ち着きたいって気持ちはあったんですよね。
それに……私とエドワードの間には、子供が産まれなかった」
マーガレットは、そう言うと、そっと自らのお腹をさする。
「……ここで、ドロテアちゃんに会えたのも、何かの縁かと思いまして。
……どうでしょう?私たちを雇ってもらえないでしょうか?」
父は一瞬悩んだ。
使用人として雇うなら、素性の知れた地元民の方が良いだろうとは思うのだが……。
とは言え、彼らは現に妻を助けてくれたのだ。悪い人間であれば、そんなことはするまい。
それに、マーガレットが妻と子供に向ける視線は、母親のそれであるように見える。
であれば、使用人として働いてもらっても構わないだろう。
むしろ、腕の立つ者に働いてらえるなら、それは歓迎すべきことだ。
父はそれを受け入れることにした。
彼らと契約の握手を交わす。
かくして、元冒険者の2人は、ウォルバー城で、使用人として働くようになったのだ。
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それから数か月。
まるで夢のような幸せな生活が続く。
赤子のドロテアと遊び、新しく執事として迎え入れたエドワードと仕事をこなし、優しい妻と語り合う。
マーガレットはハウスキーパーとして優秀に仕事をこなし、城内は以前とは見違えるように快適になった。
仕事はこれまでになく捗り、その精力的な働きぶりに、地元の役人達にも驚かれた。
しかし、娘が産まれたことを伝えると、なるほどと納得し、皆が祝福してくれた。
父も、それに照れ笑いで答える。とても幸せだった。
仕事に疲れて帰っても、ドロテアがたどたどしい喃語で出迎えてくれる。
その後ろから、妻が微笑を湛えて労ってくれる。
エドワードやマーガレットも、公私に渡って、様々なサポートをしてくれた。
仕事の疲れなど、感じている暇もない。
胸を張って言える。この期間が、間違いなく人生の中で一番幸せだった。
だが―――、そう。幸せとは長くは続かないものだ。
ある日の夕食後、席を立つと、そっとマーガレットに呼び出される。
……心当たりはあった。
黙ってマーガレットについてゆく。
話が漏れ聞こえないよう、城の屋上へ出る。
マーガレットが扉を閉めた。
夜風が寂しく体を通り過ぎる。
「―――奥様の調子が、芳しくありません」
マーガレットは、深刻な声で切り出した。
……なるほど。やはりそうなのか。
父は項垂れた。
最近、母は、父や他の人と食事を共にすることが少なくなっていた。
もともと病弱だった母は、出産で予想以上に体力を奪われてしまったらしい。
産後、体調を崩しがちになっていた。
それでも、話はできる程度に元気だったのだが……。
ここにきて、体調はさらに悪化してきていた。
―――いつ、妻は元気を取り戻すのか?
父はマーガレットに尋ねる。その声は、弱々しく震えている。
嫌だ。聞きたくない。
内心では何となく、分かっていたのかもしれない。
「……分かりません。私も、精一杯努力しますが、いつ、何があるか。
……何が起こっても不思議ではありません」
マーガレットは、苦渋に満ちた顔で言う。
―――ああ、そうなのか。彼女はもう、長くはないのだな。
それを悟った父は顔を覆う。
何がいけなかった?
マーガレットが作る食べ物が悪かったのか?
マーガレットの分娩の仕方が悪かったのか?
……それとも、病弱な妻に、子供を産ませた俺が悪いのか?
……もしや、病弱な彼女を、村長宅から連れ出した俺が悪かったのか!?
激しい感情が自分の中に渦巻く。
誰かを―――、自分を含む誰かを責めていないと、心が持ちそうにない。
石の壁を殴りつける。拳が擦り剥け血が滲むが、痛みは感じなかった。
―――お前か。自分が子供を授からなかったからって、俺の妻を殺して、俺の子を奪っていこうというのか!?
思わず、マーガレットに詰め寄る。胸ぐらをつかむ。
マーガレットの顔を睨み付けるが―――。
そこにあったのは、純粋に、父と、そして母を思いやる、寂しげな顔だった。
父は、はっとして慌てて手を放す。
その場へ、へたり込んだ。
項垂れたまま、マーガレットへ詫びる。
彼女こそ妻を気に掛け、まるで姉のように、一番世話をしていてくれていたのだ。
そんな彼女の胸ぐらをつかみ、疑うような酷い言葉を吐きかけるなんて……。
自己嫌悪に顔を歪める。妻を喪うかも―――、という恐怖で、我を失ってしまったのだ。
まだ手は震えている。自分がこれほど弱いという事実に、今初めて気が付いた。
マーガレットは、そんな父に対し、責めることはしなかった。優しい調子で言葉を掛ける。
「今すぐどうこうなるわけではないと思いますが……、奥さんとの時間を、今以上に大切にしてあげてください。……よろしくお願いします」
父に対して頭を下げると、マーガレットは、屋上から立ち去る。
父は、しばらくその場から動けなかった。