迷宮探索
その翌日。冒険用の軽装に身を包んだ一行は、迷宮の前までやって来た。
出発は早朝のうちからだ。夜間の探索は非常に危険なので、早いうちから出掛け、日の高いうちには家に戻る。その約束で迷宮探索を行うことになったのだ。
丈夫な麻素材の上下を何枚か着込み、その上にごく軽い革鎧をつけている。とはいえ、ドロテアは慣れていないこともあり、動きにくさを感じた。
ふらふらとしているドロテアに対し、エドワードは噛んで含めるように言い聞かす。
「いいですか、お嬢様。迷宮の中では、決して勝手なことはしてはいけませんよ。どこに危険が潜んでいるのか分かりませんからね。
ひょっとすると、まだ、侵入者排除のための仕掛けが残っているかもしれません。モンスターが出てくるかもしれませんし、ねぐらにしている浮浪者や犯罪者が襲い掛かってくるかもしれません。
危なく感じたら、すぐに私の後ろに隠れること!いいですね」
「わ、わかった。気を付けます」
ずい、と迫力満点の顔で凄まれては、ドロテアは頷くしかない。
普段着や、猟の時に着ている服とは違い、冒険者用の装備で固めたエドワードは、とても頼もしく見えた。
「危ないのは確かだけど、せっかくのお出かけだしね。まあ、気楽に行きましょう。
……お嬢様が自分から何かをするって言ってくれて、おばさんはなんだかとても嬉しいわ」
マーガレットは、感極まったように涙を流している。
片手にはバスケットをぶら下げて、まるでピクニック気分だ。
ドロテアは、照れたように、拗ねたように呟く。
「いや……そう言われると、まあ、申し訳ないです」
「いいのよいいのよ。じゃあ、行きましょうか?謎の迷宮へ、いざ出発!」
マーガレットは、明るい笑顔で皆を促す。
迷宮に足を踏み入れるまでは笑い声や話し声が響いていたが、一歩入った時点で、一同は口を閉ざした。
この場に居る誰もが、迷宮の放つ剣呑な雰囲気を察したのだ。
明るい笑顔を振りまいていたマーガレットまでもが、黙って視線を鋭くする。
懐から短剣を取り出した。
エドワードの長年の冒険者としての勘が、『この迷宮は危険だ』と告げている。
現役以来、久しく遠ざかっていたピリピリとした空気を感じる。
背負ったツーハンデッドソードの柄を確かめる。すぐに抜ける体勢をとった。
それでも、昨日ドロテアが進んだあたりまで、特に問題も無く進む。
「あっ、あれだよ。私があの小袋を拾ったとこ……」
ドロテアは指をさす。
その先には、昨日見た人骨が、昨日の姿のまま静かに倒れていた。
改めてよく見てみると、骨は一か所に固まっているのではない。部屋中に散らばっていた。錆びて欠けた剣や、羽織っていたであろうマントの切れ端なども散乱していた。
……この骨は、死後、動物たちによってばら撒かれたのだろうか?それとも―――。
一体、彼、または彼女は、どのような最期を迎えたのだろう?
それを想像すると、ドロテアの背筋はうすら寒くなった。
「ふむ、あれか……。マーガレット、周囲を見ててくれ」
エドワードは人骨の傍に座り込み、よく観察してみる。
骨の大きさから言って、男性のようだが、それ以外の事はよく分からない。あまりに広範囲に散らばっているので、これが一人分なのか、それ以上なのかもよく分からなかった。身分を証明するものなども身に着けていないようだ。
「駄目だな。何も分からん。とりあえず、もう少し進んでみるか」
エドワードは、立ち上がると先へ進む。
これより先は、ドロテアも行った事のない未踏の地域だ。
さらに暗くなる迷宮内に、エドワードは松明に火をつける。
そのまま数部屋先に進んだ時だった。
エドワードは、地面に落ちている大きな羽に気付く。しゃがんでそれを拾う。
「……これは、もしや―――」
その可能性に思い至った時だった。
不気味な唸り声が聞こえてきた。
こちら側に、生ぬるい風が吹いてくる。
「……マーガレット」
エドワードは、妻の名を呼んだ。
それで伝わったとばかりに、彼女はドロテアを守るように前に出る。
ドロテアは、マーガレットの服の裾をぎゅっと握った。
「な……なに?何が起こったの?どうなるの?」
マーガレットは、真剣な眼差しで、周囲を窺っていた。その表情は、ドロテアが見たことのないものだった。
「静かに……。エドワード!来る!」
マーガレットの声に呼応し、エドワードは背負ったツーハンデッドソードを抜き放ちざまに一閃する。
ぐぎゃあぁあぁあぁああぁぁぁぁ。
闇からの不意の一撃に返り討ちを与える。
ツーハンデッドソードの斬撃を受けたそれは、苦悶の声を上げる。
しかしそれは致命傷とはなり得なかったようだ。
奇怪な声が一際響き、何かがドロテア達の前に立ちふさがる。
ドロテアは思わず目を見開き、悲鳴を上げる。
「きゃあっ!……これはいったい何!?どうなってるの!?」
慌てふためくドロテアに対し、マーガレットは冷静な声で答える。
「これは……、レッサーキマイラという魔物、モンスターですね。こんな人里近い迷宮の中に潜んでいたとは」
「ま、魔物!?そんな……!エドワードは大丈夫なの!?」
必死になってマーガレットに縋りつく。
「……ええ、大丈夫ですよ」
マーガレットは、ドロテアの顔に視線を合わせると、柔和に微笑む。
「大切なお嬢様も、エドワードも、傷つけさせはしません」
すぐに、視線をエドワードの方に戻す。
「精霊よ……彼の者を護り、導き給え」
小さく術式を唱え、指先をエドワードの方に向ける。
筋力と運動能力を上昇させる強化魔法だ。
それを受けたエドワードは、睨み合うレッサーキマイラに向け、一歩を踏み出す。
一瞬の隙を突き、体のひねりを加え、渾身の力を籠めた一撃を放つ。
両手剣の切っ先が、レッサーキマイラの心臓へ吸い込まれる―――。