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母の想い

 待つほどのことも無く、村長宅の扉が開く。


 応対に出たのは村長本人だ。



 扉の前に、父―――、クラナハ伯爵と孫娘が並んで立っているのに少し驚いた顔を浮かべた。


 しかし、すぐに相好を崩して、父を家へと誘う。



 居間に通されると、そこには、村長の息子夫婦―――つまり孫娘から言うと両親に当たる―――が、既に座っていた。


 父は、緊張した面持ちで頭を下げる。




 父の目の前に、温かい紅茶が置かれる。


 村長宅とは言え、別にメイドや使用人が居るわけではない。茶を入れてくれたのは村長手ずからだ。


 父はそれを謹んで頂いた。緊張しているので味は分からなかったが。




 孫娘の両親が、今日訪れた意図を、父へ尋ねる。



 対面に座る父は、これまでにない緊張に苛まれていた。体はガチガチに強張る。


 隣に座る孫娘は、それを察してそっと手をさすってくれる。


 少し気が楽になった。



 ―――ここで引く訳にはいかない。



 汗が滲む手のひらを、服の裾で拭う。


 肚を決めると、両親を真っすぐ見つめ、思いの丈をそのまま口にする。



 ―――娘さんと、結婚させてください。



 大声で勢いよく言い切り、頭を下げる。



 永遠にも思える時が過ぎる。



 どれだけ待ったのだろう。口の中が干乾びかけたその時、柔らかな声が耳朶へ届く。


「……顔を上げてください」



 孫娘の母親は、娘に似た笑顔で告げる。


「体の弱い子だけど……これからも大事にしてあげてね」


 孫娘の父親は、複雑な表情をしていたが、認めてくれた。


「まあ、村長の一家として、貴族へ娘が嫁ぐというのであれば、止めはしない」



 ありがとうございます。



 父は、再度床に額を擦りつけんばかりに頭を下げる。



 孫娘は、そんな良人(おっと)の姿を、照れくさそうに―――、しかし、頼もしく思って、見つめているのだった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ウォルバー総出で行われた結婚式から1年の月日は経ち。



 村長の孫娘―――いや、母は、執務室の傍らの椅子に掛けて、父の事務仕事を手伝っていた。


 今、彼女のお腹の中には、新たな命が宿っていた。



 日々大きくなってきて、時折動くようになったそれを、愛おしく撫でる。


 母は元々病弱気味だっただけあり、体調が優れない日も多くなったのだが、それに勝る喜びを、日々感じている。



 父は、子供を授かったことに喜び、今まで以上に政務に邁進するようになった。


 先週からずっと、隣の領地まで、商業についての交渉をしに行っている。



 母は、経理の書類を一通り仕上げると、うんと伸びをする。


 こんな事務仕事も、結婚してから覚えたのだ。夫は、何も分からない母に対して、根気よく教えてくれた。そのお陰で、一通りの仕事はこなせるようになった。



 羽ペンをペン立てに戻すと、椅子に深く腰掛けて、一息つく。


 ……そうだ、と母は考えた。


 久しぶりに出迎えに行って、驚かせちゃおうかな。


 父は、先週からずっと出張をしているので、母にとっては寂しい日々が続いていた。



 夫と1週間ぶりに会えるとあって、母の心は浮足立っていた。


 それに、今日はなんだか気分がいい。少しくらい遠出しても、問題は無さそうだった。



 よいしょ、と呟いて、椅子から立つ。


 少しふらついたが、大丈夫だ。



 夫を出迎えに出かけることを伝えようと、使用人を探す。


 しかし、元々ウォルバー城に使用人は少ない。中年の家政婦と、年老いた雑役夫の2人きりだ。


 城の規模も大きくないので、普段はそれで問題ないのだが……。



 母は、少し探したが、使用人は見つからなかった。恐らく買い物か何かに出掛けているのだろう。


 諦めて一人で外へ出る。


 なに、少しそこまでお出迎えに行くだけだ。問題は無いだろう。



 今日の夕方には帰ると言っていた。今まで、夫が帰宅時間を言って、それから遅れたことはない。


 それだけ、家や私を大事にしてくれているのだな、という事が伝わって来て、とても嬉しいものだった。



 だから、今日もちょっと外に出て、帰りを待とう、と思ったのだ。



 城から外へ出る。


 ウォルバー城は、城といってもこじんまりしたものだ。外から見ると、城というより、ずんぐりとした倉庫といった塩梅だ。そういったところも可愛らしくて好きなのだが。



 少し歩いた場所に、木々に囲まれたガーデンチェアが置いてある。


 ここは、夫とよくお茶をする場所だ。



 周囲の目から程よく隠れていて、かつ、表の道路を見通せる。



 ここで夫を待っていよう。



 帰って来たら、木陰から飛び出して「おかえり」と言ってあげるのだ。


 夫は喜んでくれるだろうか?それとも、身重の体で外に出たことを窘められるだろうか?心配されるだろうか?



 夫の取るであろう行動を考えるのは、とても楽しくて、とても幸せなことだった。



 両親の家で、じっと窓の外を眺めていた頃からは、考えられないほどだ。


 夫は、私に外の世界と、人と愛し合う事の幸せを教えてくれた。



 だから、今から私は、彼に少しづつ恩返しをしてゆくのだ。


 お腹のこの子と共に。



 もう一度、愛おしいお腹のふくらみを撫でる。




 ……夕刻が近づいて来ていた。


 気温は下がりつつあり、周囲に人の姿はない。



 ……それは病弱な彼女にとって、過酷な環境だった。


 だがそれは、幸せの最中に居る彼女にとって、見えてはいなかった。




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