迷宮
ドロテアは、一人田舎道を歩く。彼女が今住んでいる辺りは、町の中心から離れているため、人家も少なく人気も無い。
とは言え、開けているので見通しは良く、のどかなものだった。
実際、彼女が一人でこの辺りを歩いていても、危険な目に会ったことはなかった。
図書館への道を歩きながら、昨日読んだ本について思い返していた。
小さな姫の冒険物語だ。
とある国のお姫様は、王様と王妃様と3人、家族仲良く暮らしていた。
しかしある日、闇の魔女が、王様と王妃様に呪いをかける。
日に日に弱っていく両親を見ていられなくなったお姫様は、どんな病気でも治るという、伝説の薬草を取りに行くことに決める。
旅の果て、迷宮の最奥にある伝説の薬草を手に入れたお姫様は、その薬草を使って、王様と王妃様を助ける。
無事呪いは解け、闇の魔女は消え去った。
なんともご都合主義で子供騙しの物語ではあるが、その展開は自分に重ね合わせないではいられなかった。
当然、幼かった当時の自分にできた事など、たかが知れていただろう。
しかし、もっと何か、父のためにできたのではないか―――。
そう思うと、胸が締め付けられる気持ちになるのもまた、事実だった。
憂鬱な気分のまま前を見つめると、真っすぐ続く田舎道の脇に、細い砂利道が伸びているのに気が付いた。
―――迷宮と言えば、と、彼女は思い出す。
この砂利道が伸びている方面に、父から相続した迷宮があるはずだ。
相続したのはいいが、何だか不気味だし、よく分からないので今まで放置していたのだが。
昨日読んだ本の内容がフラッシュバックする。
迷宮に挑み、見事伝説の薬草を手に入れて、王様と王妃様を救ったお姫様。
……ほんの気まぐれではあった。
何となく、迷宮が気になった。少しでも危なくなったら、すぐにでも引き返そう。
そう決めたドロテアは、父の遺した迷宮へ歩き出した。
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その迷宮は、田舎町の中心から離れている、ドロテアのあばら家からもさらに30分ほど離れた位置にあった。
歩き詰めで張った脚を軽く揉む。
まだ日は高いのでなんとか見ていられるが、薄闇の中見たのでは、近寄ろうとは思わなかっただろう。
その迷宮は、やはり不気味な面構えを晒して建っていた。
建築様式は、この国で見るどれとも似つかない。
地表に見えるのは、骨格を思わせる奇妙な建築物なのだが、どうやら、地下にまで迷宮は続いているらしい。どこまで深く続いているかは、調査もついていなかったはずだ。
いったい誰が、何の目的でこの迷宮を作ったのだろう?
父ならば、この迷宮の正体を知っていたのだろうか?
自分の知る限り、この迷宮について言及された資料は存在しなかった。
教会の膨大な蔵書でさえ、この迷宮について触れた物はなかった。
太陽を見ると、まだ日が沈むまでは時間があるようだ。
エドワードについて来てもらえばよかったな、と思いつつ、恐々と内部に侵入する。
建物内部に入り、物陰になったのだから当然ではあるのだが、体感温度が急に下がる。
外はむしろ暑いくらいだったのだが……。
薄い麻のブラウスと綿のスカートを着けているだけだったので、自らの肩を抱いて身震いする。
とりあえず、地表の光が届いているところまでは行ってみよう。
気づけば、周囲は静まり返っていた。虫の声や鳥のさえずり、木の葉のこすれる音さえ聞こえない。響くのは自分の靴音だけだ。
じわりと嫌な汗が滲む。
何かに追い立てられるように、足早で先に進む。
時間間隔も覚束なくなってくる。私は、今どれだけ歩いたんだっけ?今どの辺にいるんだろう?
疑問は浮かぶが、立ち止まって考えるのが逆に恐ろしく、怯える自分の気持ちを誤魔化すように、ひたすら足を前に進めた。
建物の奥地へ進み、日の光も途切れようとしたその場所で、ドロテアは、違和感を覚えた。
無機的な光景の中、その視界に明らかに異質なものが存在している。
粘つく口の中を、無理矢理飲み下す。
唾が喉に引っかかりながら落ちていった。
ゆっくりそれに近づく。
そっとそれを持ち上げる―――。
果たして、そこにあったものは―――人骨だ。
ひっ、と短く悲鳴を上げると、ドロテアはもんどり打って入口へ取って返す。
途中足がもつれ、何度か転びかけたが、一気に駆け抜ける。
迷宮の入り口から、日常へと勢いよく飛び出した。
安堵すると同時に倒れ込む。
迷宮の建屋から外に出た瞬間、木々のざわめきが戻ってくる。
まるで地獄から現世へ生還したかのようだ。
ドロテアは、荒い鼓動を、息を深くついて収めようとする。
太陽の位置を確認すると、丁度頂点に到達したあたりだ。
迷宮に入っていた時間は、思ったより短かったという事になる。
しばらく倒れたまま息を整えていたが、ようやく人心地ついたので、近くの切り株へ座りなおす。
その時になって、自分が何かを握りしめたままなのに気付く。
何だろう?と目を遣ると、ぎょっとする。
ドロテアが握っていたのは、あの人骨が纏っていた布きれだったのだ。
慌てて手を放すと、少し離れた位置へ、放物線を描いて飛んでいき、じゃらっ、と音を立てて落ちた。
「……ん?」
気味悪がって手を放したドロテアではあったが、その中身に興味をそそられた。
そろそろと布切れに手を伸ばし、その中身を改める。
―――金貨だ。
布きれの中に、袋があったのだ。よく確認すると、何十枚もの金貨のほかに、きらめく宝石や、謎の彫刻などが詰め込まれていた。
ドロテアは、思わぬ出来事に動揺するが―――、同時に興奮もしていた。
やはり、この迷宮はただものではない。
まだ、正体を掴めていないが……、この迷宮を上手いこと使えば、煮詰まった今の現状から抜け出すことができるかもしれない。
ドロテアの瞳は妖しく燃え上がる。
そう。
このままさび付いた毎日を、無為に過ごしているのは本意ではないはずだ。
父が遺してくれたこの迷宮で、何かを掴み、再び立ち上がるのだ。
ドロテアは、切り株から腰を上げ、服についた泥やほこりを払う。
前を向き、空を睨む。
彼女の中の止まっていた時計が、今、ゆっくりと動き出した。