ハニートラップ
税務署長・ピーターは、部屋の扉の前に立つ。
ドアプレートを確認する。4棟の2号室―――、ここだ。
そっとドアノブに手をかける。回してみると、抵抗なく動く。鍵は掛かっていないようだ。
内側へ押す。ドアはわずかな音を立てて開いた。
部屋の中に、首を突っ込んで様子を窺う。室内は真っ暗だ。
窓から、僅かな星明りが差し込んでいる。
ピーターが扉の位置で固まっていると、部屋の奥から澄んだ声が響く。
「ピーター様。お待ちしておりましたわ。さあ、見られるといけませんから、ドアをお閉めになって―――」
その声に誘われるように、ドアを閉めた。
「さ、さあ、カトリーヌ。仕方がないので来て差し上げましたよ。そちらも姿をお見せなさい」
ピーターは、期待を隠せない、上ずった声で喋る。
それに対し、くすくすと抑えた笑い声が答える。
「ええ。分かりました。……暗いでしょう?明かりをつけて参りますわ」
室内のランプが点される。そして、ピーターの目の前にカトリーヌが現れた―――。
思わず、彼は目を奪われる。
……カトリーヌは、スリップ一枚の姿でそこにいた。
黒のレースがあしらわれた、サテン地のスリップだ。身体の抜けるような白さと対比となって、眩しいほどだ。
丈はひざ上あたり。すらりと伸びた脚が、ランプの暖色に彩られている。
生地は薄く、若干肌の色が透けている。目を凝らせば、その奥まで見通すこともできそうだ。
ピーターが目を細めると、それを遮るように、カトリーヌは部屋の中央へ向かって歩き出した。
歩みに連れて、スリップの裾が揺れる。思わずそれを目で追った。
彼女から、甘い残り香が漂う。
これは……、ムスクの香水だろうか。
その動物的な主張をする香りは、ピーターの本能を強く揺さぶった。
……そんなピーターの欲望を知ってか知らずか、カトリーヌは涼しい顔でワインボトルを取り出した。
「さあ、とりあえずはワインでもいかがかしら?
せっかくだから、高級なものを持って来ましたわ。……大人の夜と言えば、乾杯が付き物でしょう?」
「あ?ああ……そうですね。では、頂くとしましょうか」
カトリーヌの肢体に見とれていたピーターにとっては、乾杯など不要といったところだが……、少しでも余裕を見せつけたいという見栄があり、その提案に乗る。
部屋中央にある机に座り、カトリーヌは手慣れた様子で栓を抜く。
グラスに三分の一程度注ぐと、ピーターの前へそっと滑らせる。
受け取ったピーターは、カトリーヌの方を見ながら口をつけた。
「ほお。これは中々、質の良いワインだ。流石は商人ギルドの長。お目の高さは一流といったところですかな?」
ピーターは知ったような口を叩くが、正直味など分かったものではない。
カトリーヌのスリップの胸元は、両腕に押されて持ち上がっていた。
思わず視線がそちらへ向かう。
普段、緩やかな服装が多い彼女だったが、こうして見ると、意外と豊かな身体つきをしていることが分かる。
短い丈の裾からむき出しになった白い腿が眩しい。
椅子に座った状態だと、腿はいかにも柔らかそうで、しなやかだ。
彼女は脚を組み替える。
思わず、付け根の辺りの陰りに目を走らせるが―――、その頃には脚は閉じられていた。
ピーターの方へ姿勢を向けたカトリーヌは、上目遣いで彼を見ている。
前髪で隠れた目が、僅かな分け目から覗いている。
まるで猫属のような鋭い目だ。この辺りの人間には珍しい、金色の虹彩を持っていた。
「ねえ、ピーターさん……」
カトリーヌは、甘く、掠れた声で囁く。
その薄い唇は、ダークカラーの口紅に彩られ、蠱惑的な雰囲気を放っている。
「貴方はとっても素敵よ。とても聡明で、機転も効く。……憧れてしまうわ」
……素面であれば、一笑に付す程度のお世辞。
しかし、カトリーヌはピーターへ、度数の高いワインを飲ませている―――。
ピーターは、そのお世辞を真に受け、上機嫌で笑う。
「ああ、だろう?しかし、世の中は、俺のことを認めないんだ。まあ、俺としては、金が稼げれば何でもいいんだが……」
「まあ。可哀想。貴方はこんなに素敵なのに……。でも、こんなに派手に税金を吹っ掛けて、問題になっていないのは不思議だわ。ひょっとして、何か秘密でもあるの?」
カトリーヌは、目を細めて、身体をピーターへ近づける。
甘いムスクの香りが、カトリーヌの体温で熱せられて濃く舞った。
「あ……ああ、もちろんだ。結局のところ、統治者の貴族・ウェイン伯爵と手を組んで荒稼ぎしているんだ。
奴と俺は、中央都市で悪友だったんだ。その時のツテで、今の地位につけてもらった。だから、多少手荒なことをしても、問題ないってことだな」
ピーターは、聞かれていないことまでぺらぺらと喋り出した。
奴は、アルコールとカトリーヌの色気で、正常な判断力を失っているようだ。
この時を待っていた―――、カトリーヌは内心で嘲笑する。
さあ、ここからだ。
今の、紙よりも軽くなったピーターの口を割らし、出来るだけ情報を引き出す。
そして―――。
カトリーヌは、内心の嘲笑を仮面の下に隠し、ピーターの耳の近くへ近寄り、甘く囁いた。
「さあ、教えて。全部。余すところなく。そうしたら―――。貴方の望むモノをあげる」
ピーターは顔を紅潮させ、鼻息荒く興奮している。
躊躇うことなく、口を開いた―――。