誑かす
辺りが夕闇に支配されかかる時間。
ウォルバー税務署署長・ピーターは、町はずれの鄙びた宿屋、”ニェボルフ”の前に立っていた。
周囲を窺うと、人気が無いのを確認してから、そそくさと中へ入る。
カウンターには、老婆がつまらなさそうに座っていた。
ピーターは、軽く咳払いをして老婆に話しかける。
「ああ、こほん。……俺の名は、アベルだ。部屋を取ってくれてあると、聞いているのだが?」
前もって聞いてあった偽名を老婆に伝える。
「……4棟の2号室。お代は受け取ってあるから、行きな」
老婆は不愛想に部屋番号を呟いた。
「あ、ああそうかい。じゃあ上がらせてもらうぜ」
ぎこちない笑みを浮かべると、指示された部屋へ向かう。
既に夜の帳は下り、照明が少ない廊下は薄暗い。だがしかし、その非日常感もピーターの心を高ぶらせる要素となっていた。
落ち着いて、冷静に行こう。余裕がない大人は、いかにもダサいじゃないか?
そう自戒するが、逸る心は抑えきれず、自然と早足になる。表情がニヤける。
―――それも仕方ないかもしれない。
今から、あの商人ギルドのマスター・カトリーヌと、夜の密会を行うのだ。
それも、二人きりで……。
ピーターは、この昼にあったことを思い出す。
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今日も今日とて、ほぼ日課となった”ダンジョン村”への訪問を行った。
いつもならそっけなく追い返されるのだが、この日はどうも様子が違った。
カトリーヌは、机に広げられた帳簿を目前に、憔悴した表情を浮かべていた。
「……おや?どうなさったのですか?そんなに落ち込んだ顔をされていては、せっかくの美人が台無しだ」
ピーターは、おどけて両手を広げる。
それを鬱陶しそうに見たカトリーヌはしかし、そのまま深くため息をつく。
「ええ……。”ダンジョン村”に間借りさせている外部の商人がいるんですが……。
そいつが金庫の中身をくすねて蒸発してしまいました。納税する直前のタイミングだったから、取り返す時間もないし、どうしようかと……」
頭に手をついて、弱々しく首を振る。
ピーターは、それを聞き、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「おやあ。それは困りますなぁ。納税は民草の義務だ。それを行わないなんて、有り得ませんからなあ……どうするおつもりで?」
「ええ、そうですね……。とりあえず、コソ泥を捕まえて、金をとり返してから……」
「ちんたら言ってんじゃねええぇぇぇっ!!」
バアンッッッ!!!
カトリーヌに皆まで言わせず、机を激しく叩く。
「納税は貴様らの義務だと言っただろうがあぁぁぁ!!俺が今払えと言ったら今払え!!!
今金が無いんだったら、どうすればいいのかよく考えろ!!ガキじゃねえんだから分かるだろうが!!」
事務所中に響くほどの大声を出す。
カトリーヌは、頭を抱えて震え出した。
……偉そうな女をビビらせると、とても気持ちがいい。いい気分だ。
ゾクゾクとする快感の中、カトリーヌに言葉を重ねて浴びせる。
「なあ!払えねえっていうんならよお!誠意ってもんが要るよなぁ!?
金がねえって言うならよお!他に差し出せるもんがあるんじゃねえか?ああん!?」
「わ、分かりました。”ダンジョン村”の店舗の一部を抵当に入れて……」
カタカタと震えるカトリーヌの近くに詰め寄る。
「そうだなぁ。それも考えてやるとして……、今、お前がすぐに払えるもんがあるんじゃないのか?」
そう言うと、カトリーヌの美しい黒髪を一房手に取る。
後ずさろうとするカトリーヌに、囁きかける。
「仕方がないから、貴女の身体に値段をつけて差し上げましょうか?そうすれば、ひと月程度なら、税金を待ってやっても構いませんよ?
……”ダンジョン村”で働く仲間たちのために、身体を張るってのも、親玉の責務ですよねぇ?」
小さく震えていたカトリーヌだったが、押し切られるように頷く。
「わ、分かりました。今日の夕方、町はずれの宿屋……”ニェボルフ”へお越しください。
ピーターさんは、『アベル』と名乗っていただければ、部屋に通すように手配しておきます」
予想外の物分かりの良さに、拍子抜けしかかる。
……しかし、これはチャンスだ。ものにしなければならない。
ピーターは舌なめずりし、言葉を続ける。
「ほほう、良い心構えですね……。分かっていますか?来るのはあなた一人ですよ?いいですね?
そして何より……私に便宜を図るため、貴女は、その身体で、私に交渉をしなければならない……。分かりますね?」
それを聞いたカトリーヌは、悲痛に項垂れる。
それでも、絞り出すように声を出した。
「分かりました……でも、お相手するのは、ピーターさん一人でお願いします。
私まだ……怖くて……」
自らの肩を抱くカトリーヌに、ピーターは満足げな顔を向ける。
「仕方ありませんね。私も鬼ではありません。まず今夜は、私一人が、紳士的にお相手して差し上げますよ……。
では、また今夜に。楽しみにしておりますからね……」
そう、カトリーヌに囁きかけ、”ダンジョン村”事務所を後にした。
去り際、”ダンジョン村”に背を向けた瞬間、ピーターは満面の笑みを顔に浮かべた。
ついに、カトリーヌを落とせたのだ。
一度落としたのならば、あとは、なし崩しに泥沼に引き込んでやる。
ピーターは、好色で凄惨な―――、見るに堪えない顔で、笑い声を上げる。
―――それが、商人ギルドに仕組まれた、罠であるとも知らずに。