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ドロテア

 父が死んだ。




 まだ幼かったドロテアに、その事実はあまりにも残酷だった。


 父から貰ったお気に入りの縫いぐるみを胸に強く抱き、震えていることしかできなかった。



 ドロテアの周りを数人の大人たちが慌ただしく動き回っている。


 病床に横たわる父の顔は青白いが、表情は柔らかいままだった。



「おとうさんは……大丈夫だよね?また、起きてくれるよね?また……『ドーリー、おはよう』って言ってくれるよね?」



 傍に(かしず)く執事、エドワードに怯えた顔を向ける。


 エドワードはそれに答えず、ハンカチでドロテアの頬をぬぐってくれた。



 いつの間にか、涙を流していたようだ。



 縫いぐるみをさらにぎゅっと抱いて、少しいびつな耳を撫でる。


 それは可愛らしいクマの形をしていた。




 ドロテアは、貴族の令嬢という事で、地元の子供達とは距離を置かれていた。


 また、貴族同士の集いでも、田舎貴族と嘲られ、ぽつんと離れて立っていることが多かった。



 そんな経緯もあり、一人ぼっちになりがちだった彼女に、父は縫いぐるみを作ってくれたのだ。


 父は決して器用な方ではなかったが、思いを込めて手縫いをしてくれたのだろう。その縫いぐるみを渡してくれた時、父の指に絆創膏がいくつか貼られていたような気がする。


 手渡されたクマの縫いぐるみは、縫い目がゆがんでいたり、綿入れも不均一だったりしたのだが、ドロテアははじめての友達にいたく喜んだ。その不格好さは、かえって親しみを感じさせるものだった。



 ドロテアは早速、そのクマをジニーと名付けて可愛がった。


 父の執務室で楽し気にジニーと遊ぶドロテアを、父は微笑を浮かべて見守っていたものだ。




 父は地方貴族として、田舎の小都市であるウォルバーを治めていた。


 母を早くに亡くし、日々の政務に忙しくしていたが、ドロテアをないがしろにした事はなかった。



 領民にも愛され、何もかも順調に行っていたはずなのに―――。




「なのに、なんで……」



 ドロテアは顔を覆って泣き出した。


 いくら幼いとはいえ、さすがに察することは出来る。最愛の父の事であればなおさらだ。



「おとうさん、いなくならないで!!

 ジニーのお嫁さんも作ってくれるって言ったのに!!今度、街の方に遊びに行こうねって約束してたのに!!!ドーリー(わたし)を置いていかないでよおぉぉぉぉ!!!!」



 父の眠るベッドに駆けだした。


 手を握る。……それは酷く冷たくなっていた。



 薄々気づいていたことだが、愕然とした。現実を思い知らされる。



 ドロテアは堰を切ったように大声で泣きじゃくる。


 ベッドのシーツが涙に濡れる。



 もう、温かくて大きな手が、『ドーリー、泣かないで』と、私を包んでくれることはないのだ。


 喪ったものの大きさに、胸に穴が開いてしまったようだ。その穴から、涙が止めどなく溢れ出る。


 父の亡骸に縋りついたまま、ドロテアはいつまでも泣いていた。



 周囲にいる大人たちは、それを気の毒そうに眺めていた。




 その内、泣き疲れたドロテアは、父の傍で気絶するように眠りにつく。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――ドロテアは目を覚ます。



 ゆっくりと上半身を起こす。頭を振った。


 軽くうねった長い金髪が、それに合わせてふわっと揺れる。



 ―――またあの夢だ。10年と少し前。父親が亡くなった時の記憶。


 それは忌わしい思い出には違いないが、父の顔を鮮明に思い出せるのもまた、確かだ。



 ため息をつくと、窓から差し込む朝日に目を細める。


 青い目が陽光を受けてきらめいた。



 伸びをすると、肩と腰がぽきぽきと小気味いい音を立てる。



 ベッドの脇にあるサイドテーブルから、黒いリボンを取り出して軽く髪をまとめる。




 欠伸を堪えながら階下に降りる。


 食卓には既に、朝食が並んでいた。恰幅の良い侍女が、ドロテアに気付くと、にこやかに声を掛けた。


「お嬢様、おはようございます。今朝はスクランブルエッグとベーコンとチーズのサンドイッチですよ」


「あ、マーガレット……おはよう。うん。顔洗ったらいただくよ」



 質素な洗面台で、顔を洗って口をゆすぐ。


 少し頭がしゃきっとした。



 朝食をとる最中、マーガレットと会話する。


「エドワードはもう出発したの?」


「ええ。朝早くから狩りに出掛けました……。それで、お嬢様。今日のご予定は?」


「ん?んぅ……。今日も図書館に行くと思う」


 後ろめたさを感じたドロテアは、俯いてサンドイッチを口に詰め込んだ。



 彼女は、父が亡くなってから学校には行っておらず、また、定職にも就いていなかった。


 マーガレットは、少し顔を曇らせたが、すぐに明るい顔に戻ると、笑顔で頷いた。


「ええ。分かりました。また美味しいものを作っておきますね」



 朝食を食べ終わると、マーガレットに手を振って、家を出る。



 ちらりと後ろを振り返る。



 ―――小さな二階建てのあばら家だ。


 ……。父が亡くなるまでは、小さいながらも城に住んでいたのに。



 父が亡くなった後、見たこともない、自称親戚という人物があちこちから集まって来て、父が持っていた財産を根こそぎ奪っていった。


 最終的にドロテアに遺されたのは、小さなあばら家と、地方にある得体の知れない不気味な迷宮の所有権だけだった。



 たくさんいた使用人たちも全員散り散りになった。



 その中で、エドワードとマーガレットの夫妻だけが、ドロテアについて来てくれたのだ。


 なぜ、全てを失ったドロテアについて来てくれたのか聞いたこともあったが、笑顔で『気にしなくていい』とはぐらかされた。


 彼らはとても優しく、良くしてくれているので、今さら彼らを疑う気も無い。何か理由があるのだろうと、今は彼らの厚意に甘えている状態だ。




 今のままじゃだめだよな、とドロテアは思う。


 でも、と彼女の顔は暗くなる。



 父が死んで全てを奪われて。全ての事に対して、希望を失ってしまった。


 学校に行く元気も出ず、あばら家に篭っているうちに、普通の生き方すら分からなくなってしまった。



 はあ、と深くため息をつき、足元の石ころを蹴飛ばした。



 ともかく、今日も行きつけの図書館へ向かうことにする。


 教会に併設されたそこは、幅広い分野の蔵書が、数多く存在している。時間をつぶすにはもってこいの場所なのだ。


 現実逃避かもしれないけど、それが今の彼女の精一杯だ。




 今日はどんな本を読もう?空想の世界に思いを馳せ、一歩を踏み出した。

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