63話 始動する者たち 其の二
◇◆◇◆
時を同じくして、別のとある京都の山中に一人の女性の姿があった。この女性も檳榔子染の羽織を着ており、すでに体を白く発光させている。夜空に浮かぶ月を見上げ、彼女は不敵に笑った。これを見れば誰だかわかると言う程、特徴的な笑みだ。そう、彼女は守護師四従家が一家、根石家当主の舞美子である。
舞美子は胸の前で両の手をパチンと鳴らして合わせた。
《我が魂と盟約を結びし者よ 我が召喚の命に応え その青き姿を見せよ》
舞美子が発した言霊により、例によって彼女の目の前にサッカーボールほどの小さな青い霊気の塊が現れる。次第に微かな光沢を増していき、青光りする球体に変わっていく。そしてその球体は大きくなっていき、そこから何かの紋様が浮き上がってきた。見えてきた紋様は葉が中央に三枚並び、それが『人』という字の形を形成している。そしてその葉の外側の端から二枚の葉が挟むように伸びており、それが円を成している。三枚の葉が六枚の葉で囲まれていると言った紋様だ。これは『九枚笹』と呼ばれる家紋である。
その『九枚笹』の紋様が二つに割れ、そしてこれも例によって、そこから一人の守護霊が現れた。
「まったく、あなたって人は」
出て来た第一声がこれである。守護霊はなぜか少し呆れたような顔をしていた。
その声は透明感のある声色だが、しっかりと耳に残る芯の通ったものだ。容姿に目を向けると、一言で言えば和装姿である。やや濃い青掛かった色で、特に派手な模様も無ければ、他の色彩も無い。強いてあげれば、帯が黒に近いような青がアクセントとして、一本の横のラインを形成していることだろうか。
そして注目はその顔だ。やや細い目は聡明さを感じさせ、やや細長い顔のラインがより一層にそれを印象付ける。髪もサラリと流れるような長髪で、声色も合わさってか、体全体から知性が溢れ出ている雰囲気である。
「そないなことより、あんさんも信長はんみたいにもっと色んな服着てみたらよろしいのにぃ」
「私にそんな恰好が似合うはずないでしょう。あの方は特別なのですよ」
「そうかぁ? 氏郷はんも現代風の服、よう似合うてはったけどなぁ」
出て来た守護霊はそれには触れず、舞美子に向かって呆れた顔のまま、今度は怒りが滲んでいるような声色に変わった。
「そんなことはどうでもいいのです。それより、どうして私を呼んだのですか? 余程のことが無い限りは召喚しないという約束でしょう」
「その『余程のこと』が今、起きてるんやけどぉ?」
舞美子は不敵な笑みをグッと増して、遂にはドヤ顔になった。それを見た重治はなぜか、やや目を吊り上げた。
「私はあなたを心配して言っているのです」
「稀代の名軍師様にそない心配されるなんて、光栄やわぁ」
舞美子は相手に語気を強められても、さして気にする様子も無い。それどころか、何食わぬ顔で右手で肩まで伸びた髪を弄り出した。
「冗談を言っているのではありませんよ。今、あなたが戦線を離脱するようなことになれば、それこそ一大事です。……それに心配しているのは私だけではないようですから」
守護霊はそう言うと、チラリと右横を向いた。そこにはいつの間にか一人の男が片膝を突いて控えていた。
控えているこの男は、恐らく守護師だろう。檳榔子染の羽織を身に纏っているからだ。背中の上部には『隅』という字を『〇』で囲った紋様が印字されている。歳は四十代ぐらいだろうか、若くは見えるが年相応だろう。色黒で無骨な顔が印象的な男で、一見すると気難しそうなタイプといったところか。
その姿を見ても二人に動揺する様子も無いことから、顔見知りということだろう。
「うちはただ、重治はんと話したいと思うただけなんやけどなぁ。志々郎はんもそうやろうぉ?」
舞美子は流し目だけで、片膝を突いている志々郎という男に話し掛けた。
「私はお嬢が話し相手を所望していると思い、馳せ参じたまでで」
「その呼び方はもうよろしいわぁ」
「いえいえ、私にとってはいつまでもお嬢はお嬢なので」
笑うでもなく、取り繕う様子もない。志々郎という男にとって、これが本心なのだろう。
「フフフッ。さすがのあなたでも隅家当主の忠誠心にはタジタジになるのですね」
重治と呼ばれた守護霊は、ここでようやく表情を崩した。舞美子は重治の笑みを見て、こちらもようやく柔らかい表情になった。だが、志々郎だけは真剣な表情のままである。
「閑談はもうよろしいわぁ。それより、うちは重治はんに聞きたいことがあってなぁ」
舞美子はまだ髪を弄りながら話している。それを見て重治は少し驚きの表情を見せた。
「珍しく考えがまだ纏まっていないのですね?」
「さすがに今回は分析せなあきまへん事が多過ぎるからなぁ。重治はん、単刀直入に聞くわぁ」
舞美子はそう言って、顔から笑みを消して表情をグッと引き締めた。
「太閤はんの狙いは何やと思う?」
舞美子の表情を見た重治は何かを察したのか、こちらも表情が引き締まった。
「あの御方ですか……」
そう言ってから重治はしばしの間、口を真一文字に閉ざした。言いたくないのか、それとも言いにくいことでもあるのか。雰囲気的には躊躇っているようにも見える。ここで控えている志々郎が一歩前に進み出た。
「僭越ながら、私も半兵衛様の御意見を伺いたいと思っておりました」
志々郎は相変わらず片膝を突いた態勢で、無表情のままじっと重治の顔を直視している。重治はやれやれといった表情で淡々と語り始めた。
「あの御方は野心の強い御方です。先の戦いで口にされていたことも、恐らく嘘ではないでしょう。ただ、それだけが目的とは思えません。わざわざこちら側に喧嘩を吹っ掛けて来る必要性はありませんから」
先の戦いで口にしたこととは、恐らく『今の日本で天下を取る』といった趣旨のことを指すのだろう。重治はこの戦いには参加していなかったが、しっかりと詳細を把握しているようだ。
「結界を破壊することが今回の目的と見ますが、ではどうして破壊する必要があったのかということになります。社殿に封じられている仲間を集める為と言えばそれまでですが、それはあまりにも危険過ぎる賭けだったと思います。あの秘術は自分の身を滅ぼす可能性もありましたから。そうまでして成し得たい目的があるということでしょう」
「そやなあ。それに、引っかかる事もあるさかい」
「結界を破壊した守護師との関係性ですね」
舞美子は返事をする代わりに小さく頷いた。
「太閤はんが利用してはるんか、それとも利用されてはるんか、どっちやと思う?」
「恐らく両方でしょう。お互いの利害が一致していると見るのが正しいのでは」
舞美子は重治の答えには答えず、無言のまま二度頷いた。また沈黙の時間が流れた後、志々郎が口を開いた。
「そもそも、あの裏切り者は生身の人間なのですか? 聞いた話では生気は感じられなかったと」
先の戦いでは志々郎は直接的には参加していない。恐らく現場にいた者から情報を入手しているのだろう。この男も抜かりの無い人物のようだ。
「まあ、あの場にいた者がそう思いはるんも無理はあらへん。そやけど、うちの見立ては違う。『蘇生』で間違いあらへんと思う」
「そう思う根拠があるということで?」
志々郎は上目遣いで舞美子を直視した。その顔はかなりの迫力があり、初見だと恐らくたじろいでしまうだろう。だが、旧知の仲なのか、舞美子は微動だにしない。それどころか、いつもの不敵な笑みで返した。
「行方不明の守護師がひょっこり現れはったわ」
「なんと……!」
これにはさすがのこの男も、目を丸くして驚いている。
「結界が破壊された後、西の別邸に出て来はったみたいやわ。何らかの目的があったんは確かやろうなあ」
「秋四郎様と美香様の前に……なるほど。して、美姫様にはもう……?」
「魔霊側と繋がってるかもしれまへんのに、そんなん知らせるわけあらへんわ。今このタイミングで美姫ちゃんの心情を揺らすのは得策やありまへん」
志々郎は安堵の表情を浮かべたところで、舞美子は言葉を続けた。
「とりあえず志々郎はんに頼みたい事があるんやけど、よろしいか?」
「裏切り者の捜索ですね?」
「さすが、ようわかってはるわ」
間髪入れず答えた志々郎に、舞美子は満足気な表情だ。重治はというと、舞美子とは違って至って真剣な眼差しのままだ。
「行方不明だった守護師も含め一刻も早く見つけ出すことが、こちらから先手を打つ好機にも繋がります。この混乱に乗じて暴れられると厄介です。後手に回るような事だけは絶対に避けなければなりませんから」
「確かにそうですが、現れてくれた方が探す手間が省けるのでは?」
志々郎は重治の言葉を素直には聞き入れなかった。あまり納得がいっていない様子である。
「もっともな意見です。ですが、現れてからでは遅いのです。恐らく、彼等が現れた時はすでに何かを仕掛けた後でしょう。すぐに動かないところを見ると、今はまだその準備期間と思われます。我々には結界を破壊する術に対抗し得る術がまだ備わっていません。こちらも早急に構築する必要かあります」
「それは二之丸家のことですね。しかしながら、最後に感じたあの霊気の使い方ならば、すでに身に付けていると思われますが……」
志々郎の意見に反応したのは舞美子だった。
「あれは冬馬君の力やありまへんのや」
「どういう事で……?」
「あれは冬馬君やあらへん。二之丸家先代の仕業やわ」
志々郎は『先代』という言葉にピクリと体が反応した。
「……あっ! やはりあの気配は……そうでしたか……」
そう言うと志々郎は目頭を押さえて下を向いた。だが、志々郎はすぐに顔を上げた。その表情を見ると、すでに平静を取り戻していた。
「申し訳ありません。して、誰に捜索させましょうか」
「これはあんさんの子どもたちに任せてよろしいわ。何やったら、うちの妹たちも後から加えるさかいに」
「確かに、これは私のバカ息子どもに適任ですな。では、今マークしている人物はどうなされます?」
「それに関しては他の者を充てがうから心配はいりまへん」
舞美子はまだ右手の指で髪を弄りながらも、スムーズに受け答えをしている。この辺りはすでに彼女の頭の中では解決している事案なのだろう。志々郎は納得した顔で「承知しました」と一言だけ答えた。だが、何かを思い出したのか、「それと」と言い出してから口籠った。よほど言いにくいことなのか、恐る恐るといった体で覗き込むようにして舞美子の顔を見た。
「申し上げにくいのですが、あちらのお坊ちゃまに何やら動きがありそうで」
そう言うと、志々郎は舞美子の反応を窺っている。お坊ちゃまというワードが舞美子の琴線に触れるのだろうか、かなり緊張しているようだ。そんな志々郎の様子を察してか、舞美子はほんの少し笑みを浮かべて言い放った。
「ああ、あのアホぼんのことかいな。あれはほっといてもよろしいわ。大体やろうとしてる事はかわかってるさかいに」
舞美子は少し不機嫌そうに、いや、どちらかと言うと面倒そうに答えた。どうやら志々郎の中ではかなり勇気が必要な発言だったようで、ホッとしたような顔で頷いた。
「承知致しました。では早速手配を」
「ああ、それともう一つ」
すぐに行動に出ようとした志々郎は、舞美子に止められピタリと動きを止めた。
「わかってはると思うけど、念のため言うとくわ。今話したことはあちらさんにも一切公言せえへんように。二之丸家先代の件も含めてなあ」
「件の旨、承知」
志々郎はそう言葉を残すと、いつの間にかその姿を消していた。
再び静かな時間が流れる。重治はふと夜空を見上げ、深い溜息を吐いた。
「とは言うものの、簡単には見つけられないでしょう」
「そやけど、守護師が彷徨くことで抑止力にはなるはずやわ。あとは重治はんの言う通り後手に回らんよう、やれることはやっとかなあきまへん」
「ええ。まずは水気系統の整備を早急に進めなければなりません」
「二之丸冬馬の育成ってことやなぁ」
舞美子の髪を弄る右手が止まった。それと同時に不敵な笑みも戻っていた。
「どうやら育成計画は固まっているようですね」
「なんや重治はんと話してたら頭の回転が良うなるわぁ。ほんに、おおきになぁ」
舞美子の顔は不敵な笑みではなく、心底嬉しそうな眩しいほどの優しい笑顔だった。
「あなたには期待していますよ。あの御方の暴走を止められるのは、あなたしかいないと信じていますから」
重治のお返しと言わんばかりの微笑んだその顔は、こちらも優しさが溢れ出た気持ちの良い笑顔だった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
次話より第二章の本編が始まります。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。




