62話 始動する者たち
ここは京都のとある人里離れた山中。陽も暮れてすっかり暗くなっているが、奇麗な月の姿が見える静かな夜である。そこに緑豊かな木々が密集している中に、ポツンと開けた空間があった。月明りに照らされているので、それが余計にはっきりとわかる。建物は無く、ただ草が生い茂っている所と土がむき出しになっている所があるだけである。そしてこの場所に目を凝らして見ると、薄っすらとだが三つの影が確認出来る。これは恐らく悪霊ではなく、人の姿で間違いないだろう。春に差し掛かったばかりの季節に、彼等はこんな場所で何をしているのだろうか。しばらくすると、その周辺がポッと明るくなった。どうやら薪に火が灯されたようである。キャンプでもしているのかもしれない、そう思うのが必然だろう。この明かりによって三人の顔ぶれもはっきりとわかるようになった。男が二人、そして女が一人である。彼等の特徴といえば、檳榔子染の羽織を着用していることだろうか。
「それにしても大変なことになっちまったな。さすがにここまでの事は誰も予想出来なかっただろうよ」
まず最初に口を開いたのは、丸太が横たわっているその上に座っている男だ。この男、かなり端正な顔つきで、やや長めの髪が後方に向かってふわりと流れている。にこやかな顔はいかにも優しそうで、柔らかい印象を与える。ただ、全体的な雰囲気が整っているという印象で、まさに『端正』という言葉が似合う男である。薪を長い棒で突きながら、その上に木組みの棒に吊るされたやや小ぶりな器の位置を微調整している。男の目の前にはカップが三つ並べてあるところを見ると、どうやらお湯を沸かしているようだ。
「そうっすよね。……あ、いや、でもあの人ならわかってたんじゃないっすかね、あの人なら」
答えたのは短髪の頭が良く似合うもう一人の男だ。端正な男の横に居るのだが、こちらは丸太の前で直に胡坐をかいている状態だ。細長い目は一見すると冷たい印象だが、喋っている声色は想像よりも高くて柔らかい。だからか、どこか愛嬌のある雰囲気を醸し出している。この男も水が入った器をしきりに見ては「もうちょっとこっちじゃないっすか」と、こちらも棒で突きながら位置を微調整する。
「あり得るんよ、それ。怖いぐらい何でもお見通しなんよ、あの人」
こう言ったのは女で、細目の男を指差しながら「うんうん、そうなんよ」と納得顔で頷く。こちらはクリッとした目が特徴で、顔の輪郭も丸々としていて童顔だ。髪型も特徴的で、いわゆる『おかっぱ頭』と呼ばれるようなそれである。色は一部を青に染めており、黒と青のコントラストが奇麗な見栄えだ。端正な男とは薪を挟んだ対面に、なぜか正座をしている。そして少し寒いのか、焚火に向かって手を前に突き出してかざしている。
おかっぱ女の言葉に、端正な男は「あの人?」と言ってから言葉を続けた。
「ああ、あいつのことか? どうだろうなあ。ああ見えて意外と『想定外やわぁ、ぴえん』とか言って泣いてたんじゃねえのか」
「あの人に限ってそんなの絶対ないっすよ! クククッ、想像しただけで笑えるじゃないっすか、やめてくださいよ!」
細目の男は腹を抑えながら必死に笑いを堪える。おかっぱの女も笑いを堪えようとしているが、我慢出来ないのか下を向いてしまった。それらを端正な男は少し意地悪そうな顔で眺め、そしてまた目の前の小さな器を手にした棒で少し横へずらした。
「しっかしなあ、あいつも黙ってりゃいい女なのによ。ほんと、つくづくもったいねえよなあ?」
端正な男は笑いが取れたことに調子を良くしたのか、そう言って二人に同意を求めた。だが、他の二人はなぜか急に真顔になって笑うのを止めた。
「それ以上はやめといた方がいいんよ。あたいは無関係なんよ」
「はあ? 何言ってんだ、大丈夫だよ」
「いや、さすがに同調出来ないっす。俺も関係ないっすからね」
二人が素っ気ない態度になったので、さすがに端正な男からも笑顔が消えた。
「な、なにビビってんだよお前ら。あいつがこんな所まで監視の網を張ってるわけねえだろ。そもそもあいつは――――」
だが、言い出して後には引けないのか、強がりで言い張る。まだ続きそうな雰囲気を察して、細めの男が小さな器を棒で突きながらその言葉を遮った。
「ああ、そうだそうだ! それより、あの新当主さんはどうなんすかね? 聞けば、なかなかの力を秘めてるそうじゃないっすか」
急に話題が変わったのだが、端正な男はなぜか嬉しそうな顔で答えた。
「ん? ああ、二之丸のことだな。それもどうだろうなあ。たかが一回戦闘しただけだし、実際に見たわけでもねえし。正直わかんねえな」
「そうっすよねえ。せめてこの目で見られたら良かったんすけどね」
端正な男はしばらく思案した後、何か閃いたように目を見開いた。
「じゃあ、この目で見てみるか」
「えっ!?」
これには細目とおかっぱの二人は驚いたようだ。
「ちょっと気になることもあるからよ」
「気になることっすか?」
端正な男は神妙な顔で目を瞑り、「ああ」と一言だけ返事すると黙り込んでしまった。
「でもっすね、そんなことしようとしても、あの人が黙っちゃいないんじゃ……」
細めの男の言葉におかっぱ女も「そうなんよ!」と同調する。どうやらこの三人にとって『あの人』とは何やら因縁でもあるような言いぐさである。
「大丈夫だよ。俺に良い考えがある」
そう言って端正な男はニヤリと不敵に笑った。
「…………大丈夫っすかね」
細目がそう言っておかっぱに視線を送ったが、首を横に振るだけだった。大丈夫じゃないのか、それとも何を言っても聞く耳持たずということなのか。どちらにせよ、端正な男はそんな二人の心配などどこ吹く風といった感じで、上機嫌で手にした棒で小さな器をいじる。すると、器は吊るされた棒からガタンッという音と共に外れて落下し、直後にシュワ―ッという音と共に火が消えてしまった。
「あーあ」
細目とおかっぱの二人の空しい声が、真っ暗で静かな夜に響き渡ったのであった。
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