55話 崩壊の末に
直輝が満面の笑みで術を唱えた。それは舞美子をも驚愕させる程の、大きな術だったのである。
直輝が唱言を詠唱すると、その手から青、赤、黄、白、そして黒の色付いた光が次々と溢れ出していった。それは見る見るうちに膨れ上がり、直輝の姿が確認出来ない程に大きな光沢の塊と化したのである。
直輝の術を危険と感じたのか、直輝を取り囲んでいた本丸家当主と三之丸家当主がこちらへ戻って来る。
「これはさっき見た術と同じ……!?」
冬馬は瞬時にそう感じた。
「まさか、美姫様の術を見て真似たのか……!」
「いやしかし、見ただけで出来る術ではないはず……!」
やはり美姫が直輝の結界を破った時に使ったものと同じ術のようだ。本丸家当主も、そして三之丸家当主も同じ見解のようだ。
天端石雪も同じように戻ろうとしたが、ある事に気付いて立ち止まった。主家当主の美姫がまだ残っていたのである。
「美姫様! 早くこちらへ!」
ポーカーフェイスの雪が血相を変えて美姫を促す。だが、美姫は動こうとしなかった。心ここにあらずといった様で、放心状態になっているようだった。
「どうしてあの術を……」
美姫が覇気のない声色で、半ば呆然と立ち尽くしていた。主家にしか使えない術を、八下家だった直輝が繰り出したのだから当然ではある。美姫の顔は驚きよりも、青ざめたといった表情に近い。それだけ直輝が放った術が予想外だったということだろう。
「美姫様、ごめん!」
雪はそう言って美姫を正面から抱え込むように両手で掴むと、冬馬たちが居る場所まで跳んで来た。
ここで直輝が発した五気の光は直輝の手を離れ、瞬く間に神社の社殿全体を取り巻いていった。もう少し遅ければ美姫もそれに巻き込まれていたかもしれない。それを見た美姫の顔は、生気が戻ったような表情になった。
「あ、ありがとう雪さん」
「そんなのいいよ。それより美姫様は大丈夫?」
「ええ、もう大丈夫よ」
美姫はそう言ってから唇をグッと噛みしめ、そして表情を引き締めた。
「それにしてもあの霊力はどういうことなの……」
驚くべきことがもう一つあったのだ。それは、先程まで直輝から感じていた霊力の比ではなかったということだ。直輝があの術を放った瞬間、主家当主である美姫をも凌ぐほどの凄まじい霊力だったのである。直輝はまだ力を隠していたというのだろうか。
冬馬はどういうことなのか舞美子に聞こうとした。その舞美子はまだ社殿を眺めていた。
「あの子の狙いはこれやったんか…………!」
舞美子の動揺が守護師たちに伝わっていくのが冬馬にもよくわかった。当然である。いつも余裕の笑みを浮かべている舞美子が、悔しそうに渋面を作ったからだ。舞美子でもこの直輝の行動は予測出来なかったということになる。
そして、これを見て一番動揺したのは彼女の妹たちだろう。その証拠に、末妹の美音は舞美子の陰に怯えるように隠れてしまった。だが、もう一人の妹の方はというと、怯えるどころか勇猛果敢な姿勢を見せた。
「あたしが止める!」
明日美は勢いよく直輝へ目掛け、右足で地面を蹴った。だが、「行ったらあきまへん‼」とすぐに止められてしまった。明日美は即座に返ってきたその言葉でピタリと動きを止めた。明日美を止めたのは姉の舞美子だった。明日美は後ろへ振り返り、舞美子を睨みつけた。
「なんで止めるんや! 止めるんやったら、あたしより直ちゃんの方が先やろ!」
明日美の気迫は凄まじかった。霊気を介さなくとも、その想いが十分に伝わって来る。恐らくこれは舞美子の表情を見たからに違いない。明日美は美音とは違って今何が起きているのか、そして何をすべきなのか理解しているようだ。明日美は舞美子の制止をも振り切ろうと、もう一度前傾姿勢を取った。その時、舞美子とは別の透き通るような声色が響き渡った。
「やめなさいっ‼」
美姫である。先程とは違い、芯の通った体の奥底まで響くような声色で、明日美の気迫に負けない程の鬼気迫る口調だった。これにはさすがの明日美でも動けなかった。
「美姫姉まで……!」
「これは命令よ!」
「くっ……!」
明日美は悔しそうな顔で美姫の顔を見ている。納得出来ない様子の明日美の目には、薄っすらと涙が滲んでいた。冬馬にもその想いが強烈に伝わってきた。この状況を何とかしたいという想い。そして、明日美の中にあるかつての仲間だった直輝を助けたいという、強い想いが感じられる。過去にどういった関係性があったのかは冬馬は知らないが、それでも明日美にとって直輝は大事な存在だったということなのだろう。明日美は直輝を敵対視していなかったのかもしれない。
それでも主家当主である美姫の命令は絶対だ。異論は許されないのである。いくら姉妹のような間柄でも、それは例外ではなかった。まだ諦めがつかない明日美に対し、美姫は目を瞑って小さな溜息を吐いた。
「落ち着いて明日美。今、あの霊気の中に突っ込んで行ったら、あんたの体は間違いなく破壊されてしまうのよ」
「――――!」
最後は諭すような口調になっていて、この言葉でようやく明日美は力を抜いた。さすがに死ぬとわかっていて突っ込むほど、明日美も愚かではないだろう。それに、止めに行けるならば、一番近くにいる美姫が真っ先に行っているはずだ。その証拠に、美姫の表情には悔しさが滲んでいる。美姫にしても、どうにかしたいという想いは同じに違いない。百戦錬磨の守護師たちがじっとしているのも、動くに動けない状況なのだと冬馬も理解した。
「それよりも今は……」
美姫は何か縋るような目で舞美子に視線を移した。だが、舞美子は何も言わずに首を横に振るだけだった。その意味が冬馬にはまだわからなかった。
「ただ見ているだけしか出来ないのか……!」
この言葉で冬馬はようやく理解した。三之丸家当主は悔しそうな顔で、光に包まれている神社の社殿を見上げた。その横で本丸家当主も同じような表情で口を真一文字にしている。これを見ただけでも十分だった。
「打つ手無しってことなんですか……!」
冬馬の問い掛けに誰も答えない。これだけの守護師がいる中で、打開策が無いほどの事態ということなのか。いや、こんな時こそ頼れる存在がいる。舞美子なら何とか出来るんじゃないのか。そう思って冬馬が舞美子を見ると、まだいつもの笑みは戻っていなかった。
「本当に何も出来ないんだ……」
冬馬は虚無感に包まれた。何も出来ない自分が悔しかった。無力な自分が情けなかった。思えば、四年前に直輝が死んだ時もそうだった。結局、あの時から自分は何一つ成長していないということなのか。冬馬の心はまたも閉ざされてしまうのか。だが、それは『否』であった。
「いや、まだだ……まだ諦めちゃだめだよ!」
冬馬はもう立ち止まらないと決めたのだ。それならば、どんな些細なことでも良い。どんなに可能性が低くても良い。とにかく立ち止まらず前に進むには、見ているだけじゃ駄目だということは知っている。
そんな冬馬の心情をよく理解している者がいた。
「二之丸冬馬はんの言う通りやなぁ」
舞美子はそう言うと、いつもの不敵な笑みが戻って来た。
「まだ諦めたらあきまへん」
舞美子は腕を組んだ。そして、これもまたいつもの彼女の癖である、左手で肩まで伸びた黒髪を弄り出した。
気付けば直輝が放った術により、どんどんと異様な霊気の渦に飲み込まれていく。五気の霊気が入り乱れ、その大きさは瞬く間に膨れ上がっていった。
冬馬は霊気の煌めきに包まれていく直輝を目で追ったが、ついにその姿は見えなくなってしまった。
「直輝ぃぃぃっ‼」
直輝を霊気で懸命に探るが、周囲の霊気が乱れ過ぎて感覚がつかめない。またもや直輝の姿を見失ってしまったのである。
そして、その直後に冬馬は体に響くような激しい衝撃を受けた。それは明らかに社殿の方から発せられたものだった。
「ううっ……!」
眩い光によって視界が白くなっていく。あっという間に目を開けていられない程の光度になっていった。そして、先程美姫が直輝に攻撃した時と同じような、結界が破れる感覚が冬馬の体に伝わってきた。
光に包まれていて目視出来ない茅葺屋根がある方向を、陰陽師の泰典は右手で目を庇うようにして睨みつけていた。
「まさか社殿の結界が…………‼」
そこまで言うと、泰典は言葉を失ってしまった。社殿に張ってあった結界が破られたということなのだろうか。やがて、社殿を包んでいた光が四方八方へと弾けるように飛散していった。
「これは…………‼」
泰典の顔までが鬼のような形相の渋面へと変わっていく。しばらくして、ようやく冬馬は目の眩みが治まってきた。
そして、冬馬にとって一番肝心なことに気が付いた。
「直輝が消えた!?」
直輝の術によって放たれた霊気の光が、直輝自身の身を隠した。その光の輝きが徐々に薄れてきた後、そこに居たはずの直輝の姿がなくなっていたのである。何か良からぬことが起ころうとしているのはわかってはいる。わかってはいるが、今はそれよりも直輝の方が気になって仕方ない。冬馬は社殿の裏側に隠れているかもしれないと思い、動き出そうとした。だが、すぐに冬馬の気配を察知したのか、泰典に止められてしまった。
「まだ駄目だ!」
「で、でも直輝が!」
「霊気が破壊の意志を持って暴走しているから危険だ! 今はここから離れた方がいい!」
「えっ!?」
言われてみて冬馬は初めて気が付いた。霊気が今まで感じていたものとは違っていたのだ。目の前の直輝に気を取られ、この異常に全く気付かなかったのである。体内に集まってくる霊気も普段よりも断然に少ない。そして、その霊気ですら今までと同じように扱える感覚ではなかった。
「美姫! 俺たちは一旦下がるぞ」
守護霊の信長がやや苦しそうな表情で家康と共に、後方にある黒鳥居に目掛けて飛んでいった。そして、冬馬の守護霊である蒲生氏郷もそれに続いた。
「冬馬! 気を付けろ!」
「ガモチュウさんも……」
側にいた守護霊が離れていくことで、安心感が不安感へと変わっていく。氏郷がいきなり戦線離脱したことに冬馬はまだ理解が及ばない。そんな冬馬に泰典が慌ただしく教えてくれた。
「あいつらは霊気によって実体化している! 今はその持続が難しい状況ということだ!」
「魔霊が実体化を解いたのはこれがわかっていたからか!」
「そのようです」
本丸家当主が主家である望楼月也へ振り返って発言した口調をみても、今はそれほど混乱状態だということがよくわかる。
冬馬は再び社殿を見上げた。気配が薄っすらと感じられる。それは直輝ではない。強大な力を持つ何かを感じるのだ。
「な、何が起こってるんですか!?」
「結界の崩壊が始まっているっ!」
「結界が破れたらどうなるんですか!?」
冬馬が泰典にそう聞き返した時だった。
「――――――――あっ‼」
何かが弾けるような感覚だった。「ゴオォォォッ」という地鳴りがしたかと思えば、それと同時に地響きが起こった。すると、社殿内部から先程感じた目には見えない何かが飛び出して行く気配がした。一つ、二つ、そして、それに続くように次々と外へと出ていっている。一体何が起こっているのだろうか。
「泰典はんっ‼」
「わかっているっ!」
舞美子が即座に陰陽師の泰典へ叫んだ。泰典は何やら術を掛けているようだったが、上手くいかなかったことは後の泰典の表情ですぐにわかった。
「くそっ!」
陰陽師の術でも上手くいかないようだ。これだけでも冬馬は胸の奥から不安な気持ちが沸き起こってきた。良からぬことが起こっている。それも取り返しのつかないような大きなことに違いない。そう思うと、やはり霊気が負の感情に吸い寄せられるように集まってきた。普段よりも一段と凶悪になっていると感じた冬馬は嫌な予感しかしなかった。これ程までに強力な負の感情では、耐えられない者もいるはずだ。
「大丈夫!?」
冬馬は準たちが気になり後ろを振り返ったが、返事は返ってこなかった。三人は蹲って苦しそうにしていたのである。
「ちょっと待って! 今すぐ治すから!」
冬馬は三人に駆け寄り体に手を触れた。霊気を体内へ送り、状態を安定させようとした。だが、上手くいかない。冬馬自身もまだ不安な気持ちを抱いた状態も相まってか、思うように水気の霊気を操ることが出来なかった。
「ダメだ……このままじゃ三人が……」
冬馬がそう呟いた時だった。
「我々も退避します」
発言したのは望楼月也だった。その声は落ち着いた声色だったせいか、余計に重苦しく響いた。主家当主のその言葉に異論はないようで、皆は後方の黒鳥居へと向きを変えて次々と社殿から離れていく。
「直輝…………」
冬馬は後ろ髪を引かれる気持ちを抑え、動けない準を肩で抱えた。光太と勇一の二人は天端石雪に抱えられ、程なく守護師たちは黒鳥居の下を潜り抜けていった。
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