44話 守護霊現る!
冬馬は守護師として初めての術を使った。
そして、そこに現れたのは……
黒光りした『対い鶴』の紋から出て来たのは、歳が十代にも見えるような若い青年だった。何もかもが初めてだらけの経験である冬馬から見ても、それは明らかに魔霊秀吉とは違っていた。
青年の容姿を見てみると、黒い短髪でクリッとした大きな目。比較的目鼻立ちははっきりとしているだろうか。少し大柄だが、ややほっそりとした体形だ。出て来たことを楽しんでいるようで、口角を上げて笑っている顔がそう印象付ける。
そして、特筆すべきはその姿だ。人の姿ではあるのだが、魔霊秀吉のような羽織袴を着ていない。冬馬や準のように、現代に生きている人の格好なのである。白いTシャツの上に丈の長い黒のチェスターコートを羽織り、ブラックジーンズを穿いている。まるでどこかその辺りの街にいる若者が、いきなりここへ連れて来られたような雰囲気さえ漂っている。
皆が注目する中、両腕を夜空に向けてグッと上げて大きく伸びをした。
「やっぱり人の姿になるのは気持ち良いなあ! それにしても、久しぶりにこの姿になるから色々と迷っちまったけど、まあこれで良いだろう!」
恐らく、自分の着ている服装のことを言っているのだろう。顔を下に向けてから左右の手足を見て、それからまた前を向いて「よしっ!」と一声挙げた。青年はさらに大きな声で笑い飛ばした後、程なくして宙に浮いていた体を地に下ろした。まるで生きている人間の如く、顔や声まではっきりとしている。いや、見る限りは生きている人間にしか見えない。冬馬にはそう感じた。
そして、それは少し離れた場所で見ていた準も同じように感じたらしく、出てきた青年に圧倒されながら見ていた。
「……あ、あれは!?」
絞り出したような声で呟いたその言葉に、根石明日美が「ウキャキャッ! お前知らんのか!?」と言って笑っている。その横で妹の美音がなぜかドヤ顔全開で話し出した。
「クックックッ、お主は見たことないのか? まあ、未熟な新入りなら仕方あるまい。我が説明してやろう。あやつは守護師に代々と受け継がれている秘術、『御霊降ろしの術』を使ったのじゃ。つまりは、あれが守護霊なのじゃ!」
「あれが守護霊……! 守護師の秘術を、あの冬馬が使うたんか……!」
準の横で見ていた光太と勇一も驚きを隠せないようで、
「あいつが守護霊を召喚するなんて……!」
「これが名家の力なんだね。凄いとしか言いようがない」
という驚きと共に、感心しているような目で見ている。この二人は冬馬を見る目が確実に変わってきているようだ。
準は驚いた顔のまま、冬馬から出て来た守護霊へと視線を移した。その守護霊の黒いチェスターコートの背中には、向かい合って羽を広げている二羽の鶴の紋が描かれており、それが否が応でも見る者の目に飛び込んでくる。
「あの家紋って言うたら……」
これには天端石雪が無表情のまま口を開いた。
「あの『対い鶴』は蒲生家。先代当主もそうだけど、二之丸家当主が代々召喚している守護霊」
「二之丸家が代々……そうか……。冬馬はほんまに名家の血筋なんやな」
準は歓喜の表情の中に、どこか寂しさのような表情を滲ませながら呟いた。
そんな準の心情にお構いなく、本丸家当主が不快そうな顔で冬馬を見ながら大声を張り上げる。
「なんだ、そういうことか! 守護霊がいたから色々と知っていたのか! 新入りにこの状況が飲み込めるなんて、おかしいと思ったんだ。フンッ! それにしてもいきなり守護霊召喚とは、二之丸家は相変わらずだな」
「やはり彼も二之丸家の……」
本丸家当主の嫌悪感丸出しの顔とは対照的に、その横にいる三之丸家当主の顔は少しだけ曇っている。
「やはりあいつを呼び出したか……」
陰陽師の泰典はどこか懐かしむかのような表情で成り行きを見ていた。だが、今は式札の方に集中しているのか、すぐに表情を引き締めた。
そんな中、主家当主の美姫と月也に、根石家当主の舞美子は冷静な態度のまま見ていた。
「舞美姉さん、ひょっとしてさっき守護霊が反応しなかったのはこれのせいなの?」
「そうでしょうなぁ。『相承の儀』で二之丸家当主の力が受け継がれ、そして守護霊を召喚する。ここまでのシナリオを用意していたのかもしれませんなぁ」
舞美子は相変わらず不敵な笑みだったが、何かを感じているのか少しだけ控えめに目を細くした。
「守護霊たちが……?」
「なるほど、腑に落ちましたよ。彼等もただの守護霊ではありませんからね。色々な思惑が絡んでいても不思議ではありませんよ?」
月也の意味深な言葉に美姫は眉を顰めたが、舞美子はわかっているのか、それには何も答えず夜空に浮かぶ十四夜月を見上げた。これから起こるであろう事の顛末が彼女には見えているのだろうか、その表情は次第に厳しい顔つきに変わっていった。
歓喜や感嘆や羨望、はたまた好奇や嫌悪や憂心といった様々な心情が混じり合った守護師たちを他所に、守護霊として出て来た青年は優しい表情でゆっくりと冬馬へと向いた。
「やあ、冬馬。こうして会うのは久しぶりだな。まあ、お前は覚えちゃいないだろうけどさ」
「えっ!? 会ったことがあるんですか!?」
「お前がまだ赤ん坊の頃さ。まあ、今はその話はいいだろ。それよりも、手筈に抜かりは無いようだな」
守護霊はキリッとした表情に変えた。
「は、はい! ……言われた通りにしましたが、これで良かったんでしょうか」
「問題ないさ」
実のところ、ここまでの流れは全て冬馬が自我喪失中から目覚める前に、この守護霊である“父の同志”から教えられていた事なのだ。侵入者が居ること。その侵入者が魔霊秀吉と繋がっていること。そして、それにどう対処するべきなのか。
冬馬は夢の中の出来事を思い出していた。
◇◆◇◆
⦅ああ、それとな。目覚めた時、お前にやっておいて欲しいことがあるんだ⦆
(……? やっておくことって何でしょうか?)
⦅それは、あの鬱陶しい猿をやっつけるための準備さ。ただ、これはやっつけたらいいなんて、そんな単純なことではないんだけどな⦆
(どういうことですか?)
⦅ややこしい状況になってるってことさ。この山には、お前たちの他にも入って来ている奴等がいるからな⦆
(入って来てるって、確か陰陽師の人がここは誰も入って来ちゃいけない場所だって言ってたような……。ぼくたちの他にも本当に誰か居るんですか?)
⦅ああ、確実に居るな。招かざる客ってやつさ。そいつらがこの戦いの裏で糸を引いている可能性がある⦆
(この戦いの……! 何のために?)
⦅それはわからない。ただ、悠長に事を構えていると、取り返しのつかない事になるかもな⦆
(取り返しのつかないって、どういうことですか?)
⦅この国で生きている、全ての人間の命に関わることさ⦆
(全ての人間って、そんな……! あっ! でも、ここには凄い人たちばかりいるから、もう気付いているんじゃないですか?)
⦅いや、それがまだ気付いていないようだ。この神社には結界が張り巡らされていて、今は八下の守護師たちで周りを固めている。更には山全体を陰陽師が取り囲んでいる。万全のはずなんだが、それでも紛れ込んでいる程の実力者ってことだな。まあ、ちょっと厄介な奴等のようだからな⦆
(――!)
⦅そいつらを炙り出さないと、陰で何を仕出かすかわからないぞ⦆
(そんな危険な人たちなんですか!?)
⦅ああ。だから、何があるかわからないから急いだ方が良い。それにはまず、根石家当主が張っている結界を使え。結界を狭めれば、それで追い込むことも可能だろう⦆
(根石家って、心を読むあの人か……)
⦅でもな、それだけじゃ恐らく無理だ。霊気だけじゃ見つからないだろうからな。だから、陰陽師の式札で魂を捜させるんだ。そうすれば時機に向こうから現れるさ⦆
(陰陽師……! そ、それで、ぼくはどうすれば……)
⦅お前はその後に俺を呼び出したらいいさ⦆
(呼び出すって……まさか、あなたも魔霊なんですか!?)
⦅バカ言うな! 俺は正義の味方さ⦆
(でも、そんなことを言われても……。術なんてわかん…………いや、何となく……知ってる……?)
⦅フッ、冬二から貰ったもんでいけるはずさ。あと、犬走家と望楼家の当主にも呼び出すように伝えておけ! じゃあ、頼んだぞ! 急げ!⦆
(……はい!)
◇◆◇◆
冬馬は改めて守護霊を見た。会ったことがあると言われたのだが、当然ながら覚えていない。それでもどこか懐かしいと感じたことは、遠い記憶の中に薄っすらとあったのかもしれない。
ここで、ふとした疑問に思い当たる。物心つく前は霊気を感じることが出来たのだろうか。そもそも、どうして今まで霊気を感じることが出来なかったのか。冬馬は一年前に突然覚醒したような感覚だったのだが、他の守護師たちは子供の頃から霊気を感じていたはずである。どうして自分だけ遅かったのだろうか。考えれば考える程、不可思議なことだらけである。
だが、今は深く考えていても仕方ない。そんな余裕も時間も無いのだから。
冬馬が短い時間ではあるが思考に耽っている間、冬馬の守護霊は目の前にいる魔霊秀吉を真剣な眼差しで見ていた。次第にそれがやや怒りを滲ませているかのような表情へと変わっていく。一方の秀吉は「ちっ!」と舌打ちをすると、こちらはあからさまな嫌悪感を隠そうとはしなかった。
それでも、まだお互いに声を掛けることはなかった。
しばらくして、守護霊は陰陽師の泰典へ言葉を掛けた。
「それで、や……ゴ、ゴホンッ! 陰陽師よ、侵入者は見つかったのか?」
「……いや、まだだ」
ギロッとした目で睨んだ泰典を苦笑して見た後、守護霊はバツが悪そうに冬馬へと向いた。
「まだなのか、そうかそうか! じゃあ、それまであの太閤殿下をなんとかしないとな!」
この守護霊の言葉でボーっとしていた冬馬の意識が現実へと戻って来た。
「あっ、そうですね! そういえば、あなたの名前をまだ知りませんでした。お聞きしてもいいですか?」
「おお、そうだった! 自己紹介がまだだったよな? 悪い悪い!」
パッと表情を明るくさせた氏郷は、一呼吸おいてからニヤリとした表情へと変えた。
「聞いて驚くなよ? 俺の名は、蒲生忠三郎氏郷さ!」
「…………」
冬馬の薄いリアクションを見て、守護霊は少々焦りの色を見せる。それでも気丈に言葉を紡いだ。
「が、蒲生忠三郎氏郷とは俺のことさ! 俺はな、二之丸家を代々守護してきた水気の伝道師ってやつだ。ふふん! まあ、顔は知らなくても名前ぐらいは知っているだろうが、間違いなく本物だぞ? ハッハッハッハッハーッ!」
蒲生忠三郎氏郷と名乗る守護霊は腰に手を当て仁王立ちのまま、上を向いて豪快に笑い飛ばした。だが、次の冬馬の一言で奈落の底に突き落とされることになる。
「がも……ちゅう……? えーっと……誰ですか?」
「…………はい?」
氏郷は大きな目がまさに点になり、口をぽかんと開けて呆けている。
「すみません、聞いたことない名前だったんで。ぼくは父さんの同志って言うから、てっきり秀吉さんみたいに有名な人が出て来るのかと思って。あっ、でも知らない名前だから、もしかして秀吉さんのような戦国時代の人じゃないってことかな? あっ、わかった! 服とか見ても現代の人っぽいし、ひょっとして異世界から来た人とか!? 魔法が使えるとか、特殊能力があるとか!」
「えっ、ちょ、ちょっと待て! ……お、俺のこと、知らないのか!?」
「知るわけないじゃないですか、初対面みたいなもんなんですから! あっ、でも力を貸してくれるなら、異世界の人とか関係ないですよ。どんな人でも全然オーケーです! 魔法も超能力もオーケーです! お願いしますね、がもちゅうさん!」
「が、がもちゅう……!?」
明日美と美音の姉妹が口を押えて必死に笑いを堪えている。
「それにしても、がもちゅうって名前はモンスターみたいですね。水系じゃなくて雷系が得意技だったりして!」
遂には「ウキャキャキャキャキャッ!」「クククククッ!」と姉妹が声を上げて笑い出したのは言うまでもない。
「……マジか。……俺のこと何も知らないのか。……お前もなのか。それにツッコミどころが満載で何も言えねえ……」
氏郷はあまりにもショックだったのか、肩を落としてあからさまにしょんぼりしている。眉を八の字にさせ、今にも泣き出しそうな、まるでこの世の終わりのように悲愴な面持ちになってしまった。
「あ、あかん……冬馬の天然が炸裂してもうてるわ」
準が呆気に取られている横で、光太と勇一がひそひそと話し始めた。
「あいつ、戦国武将のこと全然知らねえのか?」
「そうだろうね。でも、仕方ないんじゃないかな。結構微妙だから、蒲生氏郷って」
「言われてみれば確かにそうだな。戦国武将人気ランキングとかでも上位には来ねえもんな、蒲生氏郷って」
そこに準が追い打ちをかける。
「戦国好きからしたら結構有名やねんけどなあ。でもまあ、興味ない人からしてみればそんなもんかもしれんな、蒲生氏郷って」
三人が好き勝手言っている側で、氏郷は落としていた肩を今度はプルプルと振るわせ始めた。そして、グワッと勢いよく三人へ振り返る。
「おい、そこっ! 思いっきり聞こえてるぞっ! そ、そんなこと、ほ、本人を目の前にして言うことじゃないだろう!?」
怒っているような声色だが、顔を見ると涙目で今にも泣き出しそうな表情である。
「すみません!」
準たち三人が恐縮している姿を見て元気を取り戻したのか、氏郷は腕を組んで踏ん反り返った。
「まったく、これだから新米の守護師共は。俺の凄さをこれからしっかりと教育しないといけないな。うんうん、そうだそうだ。教えてやればいいだけのことさ!」
腕を組んで一人でブツブツと呟いている氏郷を、魔霊秀吉が冷やかな視線で見ていた。
「ええ加減にするだぎゃ氏郷よ。もうそんな茶番は見飽きただぎゃ。前の当主にも同じ反応されとったじゃにゃあてか?」
「ほっといてください」
「……わからにゃあて。おみゃあは相変わらずそうやって守護師にバカにされちょるのに、なんで守護霊になっとるがや。好きなことを好き放題出来るこっちの方が気楽でええぞ?」
「俺が魔霊に? ハハハハハッ! 冗談は顔だけにして下さいよ。それに俺のことをあなたに理解してもらおうなんて、これっぽっちも思っちゃいませんからご安心ください。まあ、悔恨の塊であるあなたでは話してもわかるはずもありませんけどね」
そう言って氏郷はニンマリと笑みを浮かべる。対照的に秀吉はどんどん不快な顔へと変わっていく。
「ちっ、小賢しい奴だぎゃ。おみゃあかて志半ばで死んでしもうたんではにゃあてか? 美しい妻を残して、なあ?」
「…………」
「心残りの塊のおみゃあなら立派な魔霊になれるだぎゃ。そう思わんかあ?」
「ハハハハハッ!」
「何がおかしいだぎゃ!」
「バカバカしい。あなたと一緒にしないでいただきたい」
「小癪な……!」
それから秀吉は大きく舌打ちをした後、鋭い眼つきで氏郷を睨んだ。氏郷も負けじと眉間にしわを寄せて睨み返す。張り詰めた空気が流れ始めたかと思えば、秀吉はいきなりニヤリと笑った。
「まあええだがや。だどもなあ、おみゃあ如きが出て来ただけで何が出来るんだぎゃ? そこの小童の言う通り、所詮おみゃあは無名の大名止まりではにゃあてかあ? クククッ、後世に名の知れた天下人のワシと違うてなあ? ギャハハハハハハッ!」
これには氏郷も渋い表情をしたのだが、すぐに秀吉と同じようなニヤリとした笑みを浮かべた。
「何を言うのかと思えば……。あなたは殿が築き上げた天下を、運よく転がり込んで来たから取っただけじゃないですか。それに、あまり俺を舐めていると痛い目に遭わせますよ? これでもあなたには結構、いや、かなり気を使っているのですから」
「……なんじゃと? 氏郷如きが生意気なことをぬかしおって! かつての主に逆らうつもりかっ‼」
「俺にとって、本当の殿と呼べる人は生涯でただ一人だけですよ。当然あなたではありませんけど。ハハハハハッ!」
「何を……‼」
今度は秀吉に笑みはない。怒りに満ちた表情そのものになっていた。まさに一触即発の雰囲気に様変わりした。否が応でも場の空気に緊張が走る。
「ちょうどいい。俺の力をあいつらに見せつけてやろうじゃないか」
氏郷はそう言うと、ニヤリと不敵に笑った。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!
更新が亀ですが、この先もまだまだ書き続けますので次回も読んで頂ければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願いします!




