32話 想いを乗せて
なかなか勇気が出なかった冬馬。だが、舞美子が教えてくれた父の言葉に迷いは無くなった。
冬馬が今、覚醒する……!
冬馬は父の言葉を聞いただけで迷いが吹っ切れた。“相手を傷つけるのではなく、救うために霊気を使う”という、その言葉を聞いただけで弱気になっていた心に勇気を貰ったのだ。もちろんそんな術など使ったことはない。だが、父がそうしていたのであれば不思議とやれるような気がした。とにかく今はやるしかない。出来るのは自分しかいないのだから。そう自分に言い聞かせるように、教えてもらった父の言葉を胸に光太のいる黒い鳥居の下へと向かった。
舞美子は駆け出して行った冬馬の背中を、優しい眼差しで眺めていた。それを不思議そうな顔で美姫が見つめている。普段は冷静な態度を取っている美姫ではあるが、この舞美子が相手だとそれが少々崩されるみたいだ。それも知っているのだろうが、あえて舞美子は美姫に尋ねる。
「そないな顔して、どないしはったん?」
舞美子はすでにいつもの不敵な笑みに戻っていて、美姫の返事を待っている。
「ハァー……。舞美姉さんがあそこまで細かく教えるなんて珍しいと思ってね。しかもかなり回り諄かったし。そこまでする必要があったのかしら?」
「まあ、あの子の力やったらある程度言うただけでもそれなりに出来たと思うけどなぁ。そやけどこれは大事なことやさかい、慎重かつ念入りにやったんやぁ」
「それってあの魔霊を呼び寄せるため?」
魔霊とは悪霊の中でも強力な力を持つと言われている厄介な存在である。戦国武将の魂が実体化したものと言われている。
「うーん……それはちょいと違うかなぁ。確かにうちらが望む、“桐”が来てくれはったらそれに越したことはあらへんけどぉ」
「あの胴木のバカに憑りついてるのって、まさかとは思うんだけど……」
「それも祓うてみんとわかりゃしまへんし、まあ、ただの魂やあらへんのは確かみたいやけどなぁ」
「ここからがこの試験の本番ってわけ?」
美姫の目つきが鋭くなる。それでも舞美子は変わらず不敵な笑みのまま返した。
「試験やったらもう終わってるわぁ」
そう言って舞美子はまた冬馬の背中を見つめた。
「これはあの子がやらされてやってるようじゃあきまへんのやぁ。自分で考えて理解して、納得してから本気でやらな意味がありまへんのやぁ。今はあの霊気の使い方の方が大事やからぁ。あれは水気の基本やからしっかり教えとかへんと後々、なぁ?」
「……なるほどね。それが舞美姉さんの二之丸家先代に対する恩義ってわけね」
舞美子はそれには何も答えず、代わりに会釈して返すだけであった。
冬馬は改めて人が怨念に憑りつかれることへの恐ろしさを痛感していた。それは光太の様を見れば誰でも一目瞭然ではあるのだが、戦ってみてその異常を感じざるを得なかったからである。その力が尋常ではないのだ。
光太は鳥居の下で冬馬が来るのを待っていたようで、冬馬の姿を見つけるや否やいきなり襲い掛かって来た。その力が凄まじく、一発正拳突きを喰らっただけで弾き飛ばされそうになる。恐らく光太は力の加減などしていないのだろう。
それは思考するというものではなく、本能で行動しているからである。今の光太の頭の中からは理性という概念が無くなっているに違いない。これが『箍が外れている』と言われる所以なのだ。
「攻撃させるとやっぱりマズいよね。あまり時間を掛けてると、この人の体が持たないかもしれない……」
しかし、冬馬の心配とは裏腹に光太は薄ら笑いを浮かべながら、右拳を振り上げて殴り掛かって来た。
「くっ……!」
冬馬は仕方なくそれを素早く左手で外側へ払う。するとほんの一瞬、光太の体の重心がそちらへ傾いた。だが光太はその勢いを利用して左足を高く上げ、冬馬の顔付近に上段蹴りを繰り出して来る。
「見える!」
冬馬は光太の靴紐が目の前に迫って来る寸前で少し身を屈めて交わす。
光太は空振りして勢い余った足を下ろし、体勢を崩しながらもそのままもう一回転しながら再び左足を地に水平に蹴り出して来た。今度は下段蹴りである。
冬馬はそれを避けるため、思わず上にジャンプした。身体強化をしているので、軽く数メートルは浮いた状態になってしまう。そこへ光太も冬馬を追うように上へ跳んで突っ込んで来たのだ。
「あっ!」
さすがに浮いている姿勢だと避けるのは難しい。冬馬は必然的に光太が突進して来る攻撃を耐えるしかなかった。
霊気を使って防御に徹する。体を屈めて丸くなるようにして力を入れた。
「んぐっ!」
霊気と霊気がぶつかり合い、霊気の分散と共に双方とも弾かれるように下方へと飛ばされる。
冬馬は降りる場所を見据え、体を包み込むように霊気を使って着地に備えた。もちろん、体に衝撃を受けないようにするためである。これは先程飛んで来た美姫や舞美子たちの姿を見よう見まねでやっているのである。
「へえぇ、あれを教えんでも使えるんは、あの子センスあるかもしれまへんなぁ」
舞美子の顔がどこか嬉しそうなにも見える。その顔を少し呆れた表情で見ていた美姫がツッコんだ。
「そんなこと言ってる場合? 早くしないとバカの体にダメージ残るわよ」
「まあ、そうですなぁ。ほな、ちょっとだけ」
舞美子はそう言うとさらに不敵な笑みを増していった。
冬馬と光太はお互いに数メートル離れた場所に着地した。冬馬は何とか手を突いて屈んだ状態で降りたのだが、光太は地に足が着いた瞬間に靴が脱げてしまい、バランスを崩して尻餅をついたのだ
完全に無防備になった光太に対し、冬馬は瞬時に立ち上がった。
(今だ!)
冬馬は手を合わせて目を瞑り集中する。
「みんな、お願い!」
周りの霊気にお願いするように、そして自分の想いを伝えるように霊気へ託していく。
攻撃するという気持ちではなく、救いたいという想いに込めて。
もう後悔はしたくない。今を懸命に生きるという強い想いを抱いて、今の自分が出来る精一杯の想いを集まって来る霊気へと乗せていく。
冬馬はこの時、時間や光太の状態、それに周囲の状況もわからなくなるほどに集中していた。今まで霊気を使ってそんな事が起きたことなど一度も無い。恐らくそれは守護師指輪をしているからだろう。自分の想いが霊気へ確実に伝わっていく感覚しかなかった。そして霊気も冬馬の想いに応えるかのように次から次へと冬馬に寄り添っていく。
この時の冬馬は、自分ではどうなっていたかは知る由も無かった。だが周りにいる者たちは、この不可思議な奇跡をしっかりと目撃していたのだ。冬馬の周りに夥しい霊気が集まり、それが次第に冬馬の体を眩い光で包み込んでいくその姿を。
「な、なんやあれは!? 水気だけやないんか……!」
準がそう叫んだのは、冬馬の体を包んでいる光が一色だけではなかったからだ。冬馬の属性である水気である黒の微かな暗い光だけではなかったのだ。青い光が見えたと思えば赤に光る。そして黄色になった後に白く光り輝く。その五色の光が渦巻くようにして冬馬の中に入っていった。
それはほんの一瞬の出来事だったが、身体強化をした守護師ならばそれを認識することは十分可能であった。
「舞美姉さん、あれって!」
美姫が思わず大声を上げる。クールだった表情も今は目を見開き、その光景に見入っていた。
「これは……想定外やわぁ。まさかここまでの霊気が集まるとはなぁ。しかも一瞬やったけど、五気の霊気を同時に操るなんて、さすがにうちでも見たことあらへんわぁ」
舞美子も口調は同じだったが、表情が明らかに違っていた。驚きと共に歓喜にも似たような明るい表情になっている。それにこれまで無表情だった雪でさえ、口を開けてこの光景に釘付けになっている。
座り込んでいる勇一も黙ったまま眺めている。明日美と美音の姉妹も手を止めて興味津々と言った表情で見ていた。悪霊もまた冬馬の霊気の変動でなぜか動きが止まっていたのだ。
そしてこの男も例外ではなく、冬馬のその姿に惚れ惚れとした顔で見入っていた。
「二之丸家の受け継がれし力……! だがこれはあいつとはまた違う。進化しているというのか……!」
そんな泰典の独り言を舞美子が不敵な笑みで聞いていたのは恐らく誰も気づいていない。
「まあ、普通やったら耐えられへんはずやけど、あの子の落ち着いた表情見てると平気みたいやなぁ。これは面白いもんが見れるかもしれまへんでぇ……!」
そして次第に舞美子もこの状況に目を奪われるのであった。
そんな周囲の反応など知る由もなく、冬馬は無意識のうちに体が動いていた。何をどうしたのか覚えていない。冬馬は意識が戻ると、すでに光太の目の前に立っていた。
その顔は意識が朦朧としているのか、目の焦点が定まっていない。それでもいきなり冬馬の顔に目掛けて握り拳を叩きこんで来た。
――しかし
冬馬は右手をサッと顔の前に出し、いとも簡単にその拳を止めてしまった。
五気の霊気が体を循環することにより、冬馬の感覚はより一層研ぎ澄まされていたのだ。
体の中に色んな霊気が流れ込んで来る。そしてそれが自分の気持ちとリンクして思うがままに操れる感覚が膨れ上がっていく。
「これが本当の霊気の力……」
止め処なく溢れ出る霊気の力に、冬馬は意外と冷静にその力を感じていた。
これが父も感じていた力なのか。そう思うと気持ちが高揚するが、今は目の前の光太を救うことが大事なんだと自分に言い聞かせる。
ゆっくりと光太の手を離し、そして殴るのではなく両手をそっと光太の肩に触れた。
すると、霊気を伝って光太のある想いが伝わって来たのだ。
それはとても切なくて悲しい想いだった。
強くて優しい父を誇らしく思っていた幼い頃に抱いていた想い。
その父に憧れ、父のような守護師になりたいと願っていた想い。
父といつの日か共に守護師として戦いたいと夢見た想い。
その想いが突然奪われてしまい絶望した哀しい想い。
夢と希望を失った喪失感に包まれた想い。
それからずっとそれを抱えて生きてきた寂しい想い。
そしてそこから生まれてしまった憎悪の想い。
光太がこれまで抱いてきた想いを感じた冬馬は、親友の直輝を失くした時を思い出していた。
「ぼくにとっては直輝がそんな存在だったのかな。でもぼくにはいつも母さんがいてくれた。いつも優しく、温かく見守ってくれた。だからぼくは立ち直ることが出来たんだ。やっぱりぼくは恵まれていたんだね。君がぼくとは違うと言ってたのもわかったような気がするよ……」
冬馬はそう言って言葉に詰まった。
光太は生きる希望を失って戸惑っているのかもしれない。そして人の優しさに飢えているのかもしれない。舞美子のように細かくはわからないが、霊気で『人の想い』に触れるのがどういうことなのか理解した瞬間であった。それと同時に、だからこそ自分に出来ることもあると思えた瞬間でもあったのだ。
冬馬は自分の感じたままのことを言葉に乗せた。
「ぼくも君と同じだとは言わないよ。そんなこと言っても信じてもらえないだろうし。でもね、悲しいまま生きていても詰まんないだけだよ。ぼくはそれに気付いたんだ。目標なんて急には見つけられないけど、楽しい事はきっといっぱいあるはず。ぼくはそう信じて前を向いたんだよ」
冬馬は優しく語り掛けた。冬馬から手を伝って光太の体に霊気が流れ込んでいく。相変わらず光太は無表情だったが、体は霊気の発光が強くなったり弱くなったりを繰り返している。
それから光太は突然両手で頭を抱えて悶え始めた。すると膝を地に突き、言葉にならないような呻き声を出した。
そして――最後に冬馬は光太に自分の思いのたけをぶつけた。
「だから、だから怨念に負けたら駄目だ! 自分に負けたら駄目だ! 絶対に負けたら駄目なんだっ‼」
冬馬は祈るように、そして想いを届けるように霊気を送るとそっと光太から離れた。
光太の体が一段と大きく光を放つ。
「あれは……!」
光太の体から黒い影のようなものがスッと上空へ飛び出していった。
美姫はその瞬間を見逃さなかった。美姫だけではない。舞美子と雪もじっと黒い影を目で追っている。
それから光太の体は光を失い、そして力が抜けたようにその場に俯せに倒れ込んだ。
「舞美姉さん!」
「わかっております。ですが、まずはあれからあの倒れた子を引き離す方が先かと」
舞美子は黒い影を目で追いながらも光太の方へ視線を移した。
「もちろんそうだけど、その後は――」
「承知しております」
舞美子は不敵に笑いつつも軽く頭を下げて、それから雪へ振り返った。
「雪ちゃん。あの子をここへ連れて来てくれへんやろか?」
「承知」
雪はいつもの表情に戻り、光太が倒れている方へと駆け出して行った。
「お、おいっ! 光太はどうなったんだよ! ……大丈夫、なのか……!?」
勇一は心配でならないようで、光太と舞美子を交互に見ている。
「心配せんでもよろしいわぁ。もう大丈夫やぁ」
舞美子がそう言うと勇一はパッと表情が明るくなり、立ち上がって雪の背中を眺めた。
冬馬は光太を見てホッとした表情を浮かべた。何がどうなるのかわからなかったが、光太に憑りついていた怨念が光太の体から居なくなったことはすぐに感じた。
しかし、どことなくスッキリとしなかった。それは何かに邪魔をされていたような気がしたからだ。確かに怨念が光太の心に纏わりつくようにしつこく絡んでいたようだが、ただそれだけではないように思えた。それでも今の冬馬にはそれが何なのか理解出来なかった。
一方、美姫と舞美子は光太から飛び出した黒い影をずっと目で追っていた。暗がりの中なので目で認識するのは難しいのだが、見失うことなく視線を外さない。
その黒い影は光太の頭上からそのまま真上に上昇していく。そして黒い鳥居の真上でピタリと止まってその場に留まっていた。
「やっぱりただの怨念が憑りついてただけとは違うたみたいやなぁ。さて、ここからどないしたらええもんやろかぁ」
舞美子は不敵な笑みから神妙な顔つきになって左手で髪を弄りだした。隣にいる美姫も同じように鳥居の上を見据えたままである。
この黒い影は一体何なのか。美姫や舞美子にはこの正体がわかっているようだが。
そこに突然美姫と舞美子の後方から男の低い声が聞こえてきた。
「これは良いものが見られましたね。皆さん集まった甲斐があったというものでしょう」
舞美子が後ろを振り返ると、いつの間にか長い黒髪を背中で束ねている男性が立っていた。
どこかのモデルと見間違えるほどの眉目秀麗のイケメンだ。守護師である証の檳榔子染の羽織を身に纏い、『桜』の字が入った紋が印字されている。
「月也様もこちらに来られたのですね」
そう言って舞美子は地に片膝を突いて頭を下げた。
「ここは戦場ですよ? そんな堅苦しい挨拶はいりませんよ」
優しく笑うイケメン守護師に対し、舞美子は会釈で返すと「失礼します」と言って立ち上がった。
「それにしても望楼家の当主様まで現場に出て来られるなんて、珍しいこともあるようで」
舞美子は先程までの柔らかい声の京都弁から、はっきりとした標準語の口調に切り替わっている。恐らくこれはこの月也と呼ばれた望楼家という主家に対し敬意を表しているのだろう。だが、話している言葉はどこか皮肉めいているのは気のせいだろうか。
「フフッ、何を言っているのですか。これが見られただけでも今日という日に集会を開いた意義がありましたよ。ねえ皆さん」
月也と呼ばれた青年の後ろにはさらに男性が二人並んで立っていた。この二人は中年男性で、気難しそうな顔の恰幅の良い男性と物腰が柔らかそうな顔のスマートな男性で、それぞれに『本』と『三』の字が入った紋様をつけた羽織を着ている。
月也は横目で後ろを見やり、同意を求めた。
「これは本丸家と三之丸家のお二方までお越しになるとは」
「そんな気遣いはいらんわ! それにしても、確か冬二の奴は水気と土気の二種を操っていたと記憶しているが……」
恰幅の良い本丸家当主は目を細めて冬馬を見ている。
「それで間違いありません。私もこの目で何度も見ましたからな。それよりも、今はあれの方が重要ではないでしょうか」
そう言ったのは三之丸家当主で、こちらは鳥居の真上にいる黒い影を見ていた。
「そうですね。あれはただの死者の魂ではありませんよ。やはり出ましたね、あれが。フフフッ、これもあなたの思惑通りでしょうか?」
望楼月也は舞美子に向かって口角を少し上げてニヤリと不敵に笑った。
そして舞美子もそれに不敵な笑みで返すのであった。
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