日常
五年前、七つになる私の娘は、車に殺されました。
□□県△△市**町の〇〇号線の道路を一つ折れ曲がった交差点でした。静かな住宅街でした。妻と結婚する前から話し合い「ここがいいね」と決めた土地でした。三十代に入ったばかりで、少し無理をしてローンを組んだ、二階建ての家でした。
事故があったのは五月の十三日、娘が帰宅する午後二時のことでした。集団下校から別れ、横断歩道の無い交差点を一つ渡るだけの場所でした。そこで娘は交通事故に遭ったそうです。――と言うのも、私はその時会社でした。その連絡を受け、病院に向かい、やがて帰った頃には事故の車さえありませんでしたから。翌日その道を見た時には、規制の奥にまだ車の残滓と、娘の一部が染みとなってありました。
死因は、車に跳ねられたことによる頭部外傷でした。一目でわかる大きな傷はありませんでした。頬や手足に痣や傷がありましたが、それでも、とても亡くなるようには思えませんでした。
加害者は二十代後半の男でした。黒髪の短髪。中肉中背。至って普通の男でした。健康に問題もないそうです。近所の人によれば、事故当時の様子は、下ろしたてのようにシワの無いスーツを着た、至って何処にでもいそうな会社員に見えたそうです。結婚指輪もしていました。事故の後、彼は気が動転していたものの、すぐに娘に駆け寄っては「誰かっ!」と叫び、自分で電話もして救護義務を全うしたそうです。
しかしそんな彼は、裁判の時には、無精髭を生やし、憔悴した、よれたワイシャツと猫背でした。
彼は少しだけ法廷速度を越えていました。渋滞に引っ掛かり、取引先の商談に遅れそうだったから、だそうです。だから、見晴らしのよい直線道路を少しだけ深く、アクセルを踏んでしまったのだと。また、見晴らしのいい道路でしたが、その時刻は彼の進んでいたほうから来ると、日が眩しく、目を幾らか鈍らせる時間でした。その為、一つ前の道から曲がって来た彼はすぐに日よけを下ろしました。ですが、その頃には既に娘が道路を渡っており、気付いた時には······。
ブレーキ痕をくっきり残しましたが、間に合いませんでした。
ちなみに、偶然居合わせた目撃者の女性によると、娘の不注意もあったそうです。娘は、空を見ながら小さな指で白の輪郭をなぞり、何かを口にしながら歩いていたそうです。事故は、目撃者の女性が、その指の先に目を移した時に起こったそうです。ドンッ、と、重たい荷物が落ちるような音だったそうです。指先の雲は、娘の好きな猫に似ていました。
五年三ヶ月の実刑判決でした。
それが決まった時も、妻は「娘を返して」「殺してやる」と何度も口にしました。彼女は裁判が始まる前からそうでした。私も同じ気持ちです。判決が決まった時は、飛びかかって男の首を絞めることを考えたほどでした。
ですが······どうしたらいいのでしょう。
そんな私達に、彼は必ず念仏のように「ごめんなさい」と頭を埋めるほどに下げて何度も泣いて謝るのです。それと共に必ず、傍聴席からは毎度同じ人の、すすり泣く声が聞こえました。しかし、薬指にあるはずの彼の指輪は、判決の頃には無くなっていました。
今日は······加害男性の出所日です。
ですが、あれから何も変わってません。私の時間も、私達の時間も、道路も、環境も。しいて挙げるならば、花が今も、時折置かれていることです。近所の――あの目撃をした女性が、今もまだ娘を悼んでくれているのです。
私は――私達は、あの日以来、車には乗れなくなりました。あれが、幸せの箱ではないことに気付いたのです。
何故、娘は亡くならなければならなかったのか。
何故、金をもらって一切嬉しくないのか。
皮肉にも、あの娘が残した痕は、私達に真理を教えてくれたのです。
交通事故というのは、決して高齢者だけに限らないと思うんです。人によっては「運が無かった」「能力がないだけ」「自分は大丈夫」なんて片付けるけれども『元々そんなものが無ければ』『もっと、日常から外れた場所にだけそれがあるなら』今回のような話は絶対起こりません。
現実でも、子供の亡くなる事故のニュースは正直つらいです。だから物語の中ならばと思い、今回書いたのですが、やっぱりつらいものですね。
いまだ数千とある、減らない交通事故の一番の原因は人の心にあって、僕はそれが『欲と幸せ』なんじゃないかと思ってます。そこに環境が。
今回の加害者のような『間に合わせたい』というほんの一瞬の欲。
もし仮にも彼が『怒られる』選択肢を選んでいつも通りでいれたなら、また、彼の上司や取引先が「焦らなくてもいいよ」と言ったのならば今回の事故は防げたかもしれない。
上司や取引先からすれば「自分は関係ない」と思うかもしれませんが、それこそが真理に繋がるのでは? と、僕は思います。
そんなたらればを挙げたらキリもないですが、もし今回の話を読んで、少しでもあなたの心に触れ意識を思い出して頂けたのならば、架空の人物も、現実の悲劇減らす役目を少し担えたのではないかな、と思う次第でございます。
お読みいただき、ありがとうございました。