呼び起こされる記憶
幼い頃から体格に恵まれた彼は、いつもみんなのリーダーだった。
「健くん、そっちにホワイトウルフが行った!」
「見えてるよ!」
答えながら金属バットを振り抜く大田健少年は、この変わり果てた世界でも子供達のリーダーを務めた。
「ふぅ、やっと日が昇るよ、今日もお疲れ様」
「おう」
仲間の声に短く答えて、見張り当番を交代する。
幼い頃はガキ大将として悪さも沢山してきた。
喧嘩っ早く、多くの子供達を泣かせる事もあった。
だが、今ではこうして親しまれ、頼られる存在であり、健自身も現状に満足していた。
「健くん、朝ごはん一緒に食べよ」
中央中学校一年生の大田健を誘うのは、同じく中央中学校一年生の少女、大井伶奈だ。彼女は同市の北小学校から進学して来たため、南小学校出身の健とは中学校で出会いを果たした。
彼女とはこの災害時に避難所にて仲良くなった。その他にも今避難所にいる子供達は皆、この災害によって大田健と親睦を深めていった。
それは大田健の強さ故だ。
彼の称号は戦士であり、体力は勇者に迫るBの値。
勿論勇者がいれば戦士の強さも霞んでしまうが、子供達にとって心強いのは、異世界人クラリスと勇者水谷零士の次に強いのが、子供である大田健だという事実。
大人や地球外生命体が強いのは当然だが、大田健はただの子供だ。子供達にとってもっとも親近感を感じやすく、頼りにしやすい、そんな存在だからこそ慕われた。
「それにしてもこんな恐ろしい世界なのに、どうにも危機感を感じられないよねぇ」
ボヤく伶奈を、健は咎めた。
「油断すんなよ。勇者やクラリスさんが守ってくれてるとはいえ、魔物も強く、多くなって来てる。それに今日みたいに二人がいない時にこそ細心の注意が必要だ」
「真面目だねぇ」
伶奈は笑った。
「でも、健くんがいると安心できるよ。君はカリスマだよねぇ、あの二人がここを留守にしても、君が子供達をまとめてくれる」
「いや、子供達しかまとめられないのは不甲斐ない」
「それはここの大人の殆どが腐っているからだよ。あいつら守られてる立場の癖に、食料が少ないだの、避難所が狭いだの、文句ばっかり言う。あんな奴ら死ねばいいのに」
「おい。言い過ぎだ」
「はは、ごめんごめん。君は大人だねぇ」
大人、か。
健はふと思い出す。
自分がガキ大将を卒業させられた出来事を。
あいつと出会わなければ、あいつにケンカを売らなければ、俺は今もどうしようもない悪ガキだったろうな。
けど、あの少年との出会いを嬉しく思った事はない。
この記憶は、トラウマでしかない。
自分はただ支配され、強制的に大人しくさせられたのだ。
「健くん? どうした? 顔色悪いよ?」
伶奈に顔を覗き込まれて、健は我に帰る。
「ああ、悪い。やっぱり夜間の見張りは疲れるな。飯食ったら寝るわ」
「ああ、うん。私も疲れたし寝るよ。次の当番も頑張ろうか」
二人は食べ終わった食器を食事当番の女子大生(水魔法会得者)に渡し、食堂として使っている給食準備室を出て行った。
そんな二人の背中を見つけた少年が、廊下の向こうから走って来る。
「健くん! 健くん!」
健は緩慢な動きで振り向いた。
「大声で二回も呼ぶなよ。聞こえてるって」
彼は南小学校から中央中学校まで一緒だった幼馴染、上田茂雄だ。
「いや、ごめん、それが、さ……あいつが来たんだ。避難ってわけじゃなくて、情報共有だとか言ってたけど、まあそれってつまり、この危険な世界を一人で遠くから歩いて来たって事なんだろうけど、まああいつならやりかねないわけだけど、ていうかだいぶ印象が変わってるけど、今はもう大丈夫なのかな、普通の人ならいいんだけど、でもやっぱり何考えてるかわからないところが怖いよな、先生たちはやく帰って来てくれないかな、ていうかあいつが早く帰ればいいのに、もう僕らに関わらないでくれよ……」
明らかに取り乱した茂雄を見て、健は嫌な記憶が呼び起こされる。
もともと臆病な茂雄だが、彼が他人に対してここまで恐怖するなんて、健は誰が来たのか想像出来てしまった。
「あいつ?」
だが、小学校が違う伶奈は首を傾げている。
「落ち着いてくれよ茂雄くん、あいつって誰のことだい? そんなに怖い人が来たの?」
伶奈の冷静な目を見て、深呼吸をしてから茂雄は答えた。
「うん……所謂サイコパスって奴だよ、美城サイは……」
小学一年生の頃、健は恵まれた体格を生かして好き放題やっていた。
「おいお前。俺と腕相撲して負けたらデザートのプリン寄越せよ」
最初は遊びとも取れる様な取引だったりしたのだが、健は他人が自分を恐れ、逆らわないことを少しずつ悟って行った。
「おい、お前俺のこと先生にチクろうとしてただろ。ちょっとこっち来い」
健の悪行は、大人が居なくて子供が多い場所で頻繁に行われた。沢山の子供に自分の力を見せつけたかったから。
「痛いだぁ? ふざけんじゃねぇ! 俺にぶつかっておいて口答えすんな!」
健は自分の力を示せば全員が自分の味方になると思い込んでいた。
「お前カッコいい鉛筆持ってんじゃん。それ、俺が貰うわ」
我儘放題、好き放題。誰彼構わずちょっかいを出し続ける健は、ある日教室の一番後ろの席で静かにしてる少年にケンカを売った。
「お前いつも澄ました顔しやがって、ムカつくんだよ。自分は他の子供と違うって言いたいのか?」
美城サイ。
出席番号順で最後だからか、彼はいつも一番後ろで、他の子供達と距離を置いていた。
「でもな、俺より弱い奴はみんな俺の手下なんだよ。わかったらワン、って鳴いてみろ」
これは休み時間に起こった事件。
「おい、どうした? 恥ずかしくて何も言えないのか? じゃあ選ばせてやるよ。ワンって鳴くか、顔が腫れるまで殴られるか」
クラス中の生徒が心配そうに見つめるが、誰も先生を呼びに行ったりしない。それどころか動く事も出来ない。
一歩歩けば標的が自分に変わることを知っているから。
「……」
対するサイは無言で筆箱から鉛筆を取り出した。
それを見た健は激怒した。
「てめぇシカトしてんじゃねぇ! そんなに勉強が好きか!? おいこっち向いてみろってんだ!」
健はサイの肩を掴み、無理やり自分の方に顔を向かせた。
そして振りかぶった右の拳を突き出そうとして――
「――フギァアァァ! ガァアァ!?」
悲鳴を上げた。
クラスメイト達が驚愕に見開いた目で目撃したのは、鼻の穴に深々と鉛筆を刺されて(それも尖った方)血を垂れ流して悶える健の姿。
しかもそれだけで終わらなかった。
「アァァァアーッ!」
床に尻餅をついている健の股間を、サイは右足で蹴り上げた。
汚い濁音で叫びながら健は鼻を抑えたまま蹲る。
更にサイは健の頭を右足で押さえつけながら両手で髪の毛を掴み、ブチブチと音を立てながら引き抜く。
頭皮からも血が流れ、女子生徒の殆どは悲鳴をあげ、男子生徒は走って先生を呼びに行く。そばで見ていた生徒は失禁している者もいた。
そんな中サイだけはずっと無言で、淡々と健を痛め続ける。
決して手を止めず、健が二度と立ち直れないように、何度も、何度も……。
担任の水谷零士がやってきた時には、小学一年生の教室かと目を疑う様な悲惨な光景だったのは言うまでもない。
だが、サイの恐ろしさはこれだけに留まらなかった。
「美城。お前どうしてあんな事したんだ?」
担任と生徒指導室で話し合っている時、サイは平然と答えた。
「やられそうだったから」
この時のサイは敬語も使えないし、それっぽい言い訳もできないし、そもそも自分がなぜ怒られているのか理解も出来ない子どもだった。
「あのな、明らかに限度ってものがあるだろ。大田が先に手を出したとしても、お前はやりすぎだ。大田はすぐに病院に送られたんだぞ」
「だからなに?」
「なっ……」
罪悪感の欠片も感じていないサイに、担任の水谷零士は言葉を失った。
サイはその隙に部屋を出て、自分の教室へと走った。
零士は何をするつもりかと、慌てて追いかける。
「待て! どこ行くんだ!」
サイは一年一組、自分の教室へと入り、黒板前で止まった。
この時この教室では自習が行われ、静かな時間が流れていたが、サイが突然入ってきた事により、空気が変わる。
サイは冷たい視線でクラスメイト達を見下ろした後、後ろを振り返り、追い付いてきた水谷零士と目を合わせた。
「先生、僕は太田健に怪我をさせた。それを怒ってるの?」
「ああ、それもあるが、もっと悪い事が沢山ある、別室で話をするから戻れ」
だがサイはそれを無視して生徒達に問い掛けた。
「今まで、大田健に酷い事をされた人は、手を挙げて。怪我をさせられたり、物を取られたり、悪口なんて皆んな言われてるでしょ? いいんだよ、正直になって」
これはサイの人を操る素質。
現在クラスメイト達は健よりもサイに対して恐怖している。普段は静かで、他人がイジメられているのを気にも留めなかった彼は、自らに対する害意を激しく叩きのめす人間だった。
そんなサイが手を挙げるように促しているのだ、無視したら何が起こるかわからない。
幸いにもここに健はいないんだし、イジメられてたのは事実なんだし。
生徒達はそんな思いで次々と手を挙げて行く。
そんな様子を見て、水谷零士は驚愕し、ショックを受けた。まさか自分のクラスでイジメが起きていたなんて。
また、この時の彼は教師として経験が浅く、若過ぎた。
「ねぇ先生。大田健は怪我をしたけど、みんなは大田健に傷付けられた。心や体や、自分の道具なんかを。大田健がいなければ、誰も傷付くことなんてなかったんじゃないの? 大田健がいなくなったら平和になるんじゃないの? なら、あいつをやっつけた僕は正しいよね。もう一度聞くけど、僕の何が悪かったの?」
だから何も答えることが出来なかった。
そして美城サイに罰は与えられなかった。
この日から水谷零士は教師として成長していくのだが、それは別のお話。
大田健は数日後、頭部に包帯を巻いた姿で教室に復帰するが、大人しくなった彼がクラスに馴染んで行くには、水谷零士の協力があっても難しかった。
健に少しずつ友達が出来始めたのは、二年生になってクラス替えをしてからだった。
尚、ケンカと呼ぶには怪しいサイの容赦無い暴力は、噂として学年に広まり、その後彼に近づく者は少なかった。
また、健はその日以降俯くことが多くなった。教室でも廊下でも、サイの目を見る事が出来なくなってしまったからだ。
それはまるで、狼と共存する羊の様な姿だった。
そんな過去を思い返して息を切らしている健に、茂雄は言った。彼も一年一組、あの時の悲劇を知っているし、健にイジメられたこともあったが、今の健とは友人だ。
「健くん、きっと大丈夫だって。ほら、あいつ、小学校高学年になった頃には普通の人だったでしょ? もう改心してるって、ね」
茂雄に言われて、暑くも無いのに汗を垂れ流す健は頷いた。
隣の伶奈は簡単に説明されただけだが、健の様子を見て、美城サイの異常さを理解した。
「それで……美城はなんて?」
健は服の袖で顔の汗を拭いながら聞いた。
「クラリスさんと話したいから、待ってるって。取り敢えず体育館にいてもらってるんだけど、暇だから見張り当番くらいやらせろって。それで健くんに相談しに来たんだ……どうしよっか?」
「ああ、わかったよ」
健は何度も頷く。ヤケになっている様にも見える。
「俺が行って話す。あいつが何を考えてるかわからないが、働いてくれるなら働いて貰おう」
「え、大丈夫?」
「心配いらねぇよ。何年も前の事だ」
明らかに強がっている健は、二人を置いて体育館に歩き出す。
茂雄と伶奈は顔を見合わせてから慌てて健を追い掛ける。
対する健は、二人に自分の表情を見られたく無いが故に、前を歩いていた。
呼吸を整える。
大丈夫、あれ以降あいつに何かされたわけでも無いし。
でも、もしあいつと敵対する事になったら、俺はまた成すすべもなく、情けもかけて貰えず、一方的に痛ぶられるのだろうか、もしくは殺される……。
いや、そんな事はない。今の俺は戦士だ。恐れるな。
前を向け。
そもそもこちらから攻撃しなければ美城は大人しい奴だし。何が怖いと言うのだろうか。
何度も自分を落ち着けようと、自分自身に言葉をかける健。
そうして心拍数が正常に戻り、息を整えたころ、体育館に到着する。
開けっ放しの入口から入り、正面のステージ上に腰掛ける少年を見て、健は再び心拍数を上昇させた。
少年はステージ下に降り、ゆっくり歩いてくる。
スローモーションのように、時が流れる。
見られている。
あいつの視線が、俺を射抜いている。
着ている服が汗で身体に張り付く。
「やぁ、久しぶりだね、健くん」
優しい声音でかけられた言葉に顔を上げる。
ほら、やっぱりこいつはいい奴で――
「……あぁ」
ダメだった。
瞳の奥に敵意があるわけでもないのに、口元に浮かべた笑みに違和感があるわけでもないのに、健にはこの少年が善人には見えなかった。
いや、そもそもこいつ――
――あの頃より凶悪じゃないか。
力の抜けた健は、床に座り込んでしまった。




