狼の庭
#misery side
レイノルド一家と食卓を囲んだ数刻後
私とベイカーは二階にある部屋の一室に
二人そろって寛いでいた
レイノルドさんは一人一室あてがおうとしていてくれたが
そこまで甘えるわけにはいかないと思い一室で過ごすことにした
「ミザ、とりあえずの目的地は王都でいいんだよね?僕らの今の持ち金じゃそこまで辿り着けるかギリギリっぽいけど」
『行けるの?私そんなにお金持ってないわよ…』
「僕が持ってるのが6万ニール、ミザは?」
『えーと…』
そばにあった自分のかばんを手繰り寄せ、中から革の財布を取り出し中をあらためる
『似たようなもんね。6万と7000ニール』
「二人合わせて12万と9500ニールか、たぶん大丈夫だと思うよ。王都に行くにあたって一番大きい出費は船賃だと思うけどそれでも、安い便を探せば二人で4万ニールもあれば行けるはずさ」
指折り数えているプランを練っているのだろう
こういうことはベイカーに任せておけばとりあえずは大丈夫だ
『プランはビーに任せるわ、私地理とかあんまりわかんないし』
「適当だなぁ、僕だってこんな旅とかは初めてなんだけど」
文句を言いつつも肩をすくめて広げていた地図を畳みはじめる
ふと何かを思い出したようにこちらに顔を向けた
「そういえば、レイノルドさんが話してたこと、ミザはどう思う?」
『ん…四つ脚とかいう話?そういう悪魔がいてもおかしくはないんじゃない?』
「そう言われればそれまでなんだけど。不思議ではあるよね、聞いた話じゃ国の要所といえるような場所に現れては荒らし回っていくなんて、、」
『じゃあなに?意思を持ってるっての?だいたい四つ脚ってどういう意味なのかしら』
なにやら神妙な顔をしているがベイカーもこれといった推測さえないのだろう
「闇雲に暴れるだけの悪魔じゃないのかも…四つ脚ってのは…要するに四足歩行するってことじゃないのかな?」
『まぁ、悪魔一匹ってんなら噂の遊撃隊長さんとやらがどうにかしてくれるんじゃないの?』
「いくら強いって言っても、ただの人間がどこまで対応しきれるのか」
どうにも話が長くなりそうだ、ベイカーは夢中になると時間を忘れてしまいがちになる
軽く両腕を前に伸ばしソファに横になる
『どーだかね…私の魂がもう寝る空気になってるからお先に失礼するわ、ビーも夜更かしすんじゃないわよ』
腕を組み瞳をとじる
「わかってるよ、それじゃお休み」
寝る準備をしているような雑音
続いて聞こえてきた布ずれの音を聞きながら
私は眠りに入った
そしてふとまどろみの中、宿屋の姉弟のことを思い出した
(リヅ…あんなに懸命にバッツのことを守ろうとしてた…私も、お母さんを守ろうとした時同じ様な気持ちだったんだろうか?)
ミザリーは機械の身体になって過ごせば過ごす程
なんだか当時の気持ちが曖昧に思えて
もどかしくなっている
そしてやはり答えを出せぬまま
意識が途絶えた
# another side
ルグリッド公国 王都ソーデラル
首都であるソーデラルの中心に位置する王城
そのとある一室
いくつかの蝋燭により
薄明るく照らされているその室内には
広々としたスペース
隙間なく敷き詰められた絨毯
部屋のいたるところに調度品が品良く配置されている
その真ん中
どっしりとした重厚感のある大きな机
そして同じくその机に合わせて作られたやはり重厚感のある椅子に一人の男が座っていた
50代を過ぎているであろうその男は
背筋も伸び、開いた目元や真一文字に結ばれた口元には力強さが漂っている
白髪ではあるものの座っている状態からでも背の高さや体の厚みが見て取れる
屈強な出で立ち
手元にある一枚の手紙のようなものをじっと見つめていた
その目はまっすぐ手紙を見据えていたが
どこかなにかを堪えているようなそんな空気も感じられた
〈コンコン〉
不意にその広間に扉をノックする音が響き渡る
顔を上げたその男は扉に視線を向けると一言
「入ってくれ」
力強くだが静かに告げた
〈ガチャリ〉
分厚い木製の扉を開け一人の初老の男性が顔を覗かせる
「イグダーツか…」
座っていた男が初老の男の名を呼ぶと
初老の男性はゆっくりと机の前に歩を進めてきた
「感慨深そうですな…どうなさいました。王よ」
そう呼ばれたとおり
椅子に座っていた男性こそが
このルグリッド公国の王 ハーディン・ウェイヤードであった
そしてこのイグダーツと呼ばれた男は王の片腕 右大臣イグダーツ・バルシュ
ハーディンが国王に着任したときより万事に共する国政の要だった
そして彼らはよき友人でもあった
「どうしても……受け止められないことがこの世にはあるものだな」
ハーディンが呟く
イグダーツはその王の零した言葉が手元の手紙に起因するものだと知っていた
「ええ…そうですとも…」
そしてそれについて言及することがなんの慰めにならぬことも知っていた
「すまない、四つ脚のことだな?」
息をひとつつくと顔を上げてイグダーツを見据えた
「はい、先日ベリーズの砦を落とされたこともあり、王都から西へ派遣する際、兵の補給地が一つ見込めなくなりました。まずはベリーズの再興を考えるべきですが四つ脚の所在が掴めぬ今、下手に人員を送るのも得策ではないかと」
「四つ脚か、巡国遊撃部隊は…リーダ・バーンスタインは今どこに?」
「遊撃部隊は今現在、その部隊を四つに分隊し各地へと派遣されています。リーダ・バーンスタインはその四つの部隊とも離れ単独でベリーズに確認に向かっているとの報告がありました」
「それはハイトエイドの指示か?」
ハーディンが口にしたハイトエイドとは
イグダーツと同格に座する左大臣
ハイトエイド・ベルラインのことである。
主に国政を担当するイグダーツと異なり、この公国の軍事を司っている
巡国遊撃部隊もそのハイトエイドの指揮下にある。
「左様で、いまだに四つ脚が留まっているか未確認のベリーズに頭数を割くより部隊を分け各地に散らばらせたほうが賢明との見方のようで」
「そうか…リーダは四つ脚に勝てるのだろうか?」
「わかりません、だが徘徊する四つ脚に人員を割きすぎては他の国民の周りが手薄になる。彼女にかけるしかないと言うのも確かなのです」
「そうだな…御伽噺のように誇り高き狼がいてくれたらと…つい願わずにはいられん」
「王もそのようなことを思うので?確か語り継がれる逸話でしたかな?」
不思議そうな顔でイグダーツが問う
軽く腰を上げ姿勢を正すとハーディン国王は語り始めた
「遥か昔の御伽噺だ、かつてもこの世の中には
魑魅魍魎、悪鬼跋扈、悪魔や魔物、災厄、様々な呼び名ではあったが人々が人ならざるものに蹂躙されていた。
このルグリッド公国も無論例に漏れずな。
しかし王城のある中心地にそんな地獄の中とは思えないような美しい庭があったそうな。
木々や花々が咲き誇り、青い風が葉や花びらを揺らし時さえ忘れさせる、そんな絵画のような庭が。
そしてその庭にある日、一匹の碧眼の狼が姿を現した。その場に居合わせた当時の王は、その狼が悪魔だということに気づいたがその佇まい、自然を愛し風に艶やかな毛並みを揺らすその様に何かを感じ取った。
そしてこともあろうにその狼に提案をした」
「提案とは?」
静かに耳を傾けていたイグダーツが問う
「それはこういうものだった。「狼よ、汝が望むのならこの庭をそなたに差し出そう。そして我らの血が耐えぬ限りこの庭にも木々や花々を絶やさぬと誓おう。代償とは言わぬ、どうかこの庭に居てはくれまいか」とな」
「返事はいかようなものだったのですかな?」
「言葉はなかった、静かに顔を上げるとその狼は一度瞬きをしたそうだ、そしてそれは了承の合図だった。その狼はその庭に住み着きはじめ、そしてその庭に近づく他の悪魔を屠り始めたのだ。まるで自分の縄張りを守るかのようにな」
「なるほど、そうこうするうちにその狼の悪魔を恐れた悪魔たちが寄り付かなくなったと?」
「その通りだ、王たちはその庭を守り狼は国を守った。だがなんとも御伽噺だと馬鹿にできん逸話があってな」
「逸話?」
「ああ、その狼に出会いその契約を交わした王の瞳は翠色であった。そして今に至るまで王族の血を引くものの目には同じく翠色が灯るようになった」
「血統の証明といったところでしょうか?王族の瞳は翠色…あなたを見つけられたのもその瞳のおかげですからな」
「一つの証明にはなるかもしれん…その狼の庭と呼ばれた場所も今では不明であり自然を愛するという誓いももはや果たせぬ」
「であるから今の世界の現状があるとお思いで?」
少し間を置いてハーディンが答えた
「かもしれんな、かつてこの国に平穏をもたらせた狼。もう一度この国を駆けてはくれまいかと思ってしまうのは弱気になっている証拠かなイグダーツ」
「いいえ、一縷の望みだろうと御伽噺だろうとわずかな光を求めて暗き道を歩くものを人と言うのです」
「…そうだな、王たるものが迷うわけには…弱音を吐くわけにはいかんな」
力強く立ち上がったその国王の目に月明かりがかかった
その瞳は燃えるような翠色が宿りただこの国の未来一点を見つめているようだった