六
浩平は、借りてきた本をそっとカバンにしまう。いつになく、心がふわふわした。
「どこ行ってた?」
「ん? 図書室」
不思議そうに声をかけてきた保に、浩平は答える。
「なんか、えらいご機嫌にみえるけど」
「……そうか?」
「珍しく、口角が上がっているぞ」
「気のせいじゃないか?」
浩平は言いながらも、ドキリとした。
実際、いつもより、心が浮き立っている。
真奈美が、浩平の『笑顔』に気が付き、『微笑み返して』くれた。
ほんの少し、はにかんだ表情が、なんとも可愛らしく、その顔が自分にだけ向けられたことが、嬉しい。
始業のベルが鳴る直前に、真奈美が息を切らして帰ってきた。
ちらりと視線を向けると、目が合った。
一瞬で、彼女の頬が紅潮したのに気が付いて、浩平の胸が躍る。
始業のベルが鳴り、授業が始まっても、浩平は得体のしれない高揚感に包まれたままだった。
「浩平!」
放課後。
荷物を持って、廊下に出ると、雪奈が扉の前で、待っていた。
下校時間だから、皆、自分のことで忙しそうで気に留めてはいないとはいえ、そこそこ目立つ。
そもそも、最上雪奈は自分が目立つことをある程度知っているけど、気にしていない。
大きな紙袋を持っている。
雪奈の意図を瞬時に悟った、浩平は頭痛を覚えた。
これで、また、浩平は周囲の男子からいらぬ嫉妬の目を向けられる。
「これ、翔太兄さんに」
小声ですっと紙袋を浩平に差し出した。
そこは、小声でない方がありがたいのに、と浩平は思う。
「直接、渡せばいいじゃん」
「だって、今日、委員会があるし。道場だと人目があって恥ずかしいもん」
雪奈は、ひそひそと話す。だから、ふつうに話してほしい、と浩平は思う。
「こんなところで、渡されたら、俺の方が迷惑なんだけど」
周囲から見たら、どう見ても浩平にプレゼントしているようにしか見えない。
「え? そんなこと、気にするようになったの?」
びっくりしたように、雪奈は浩平の顔を覗き込む。顔がにやついている。
「別に、突然気にするようになったわけじゃねえ。前から面倒だとは思っていた」
「おおっ、つまり、浩平にも、やっと春が来たんだ?」
どうして、そういう結論になるのか、浩平にはわからない。
幼い時から、雪奈は、思考がぶっ飛んでいて、ついていけないところがあった。
「兄貴に、渡してほしいんだろ?」
「うん! お願い! 頼りにしてる!」
雪奈は、紙袋を受け取った浩平の手をぎゅっと握りしめる。
きらきらとした恋する女の瞳。その瞳は、浩平に向けられたものではないけれど、誤解を受けるのには十分だ。
周囲の視線が痛い。
「……わかったから、手を放せ」
「ありがとう!」
雪奈はスキップしながら、去っていった。
浩平は、手渡された紙袋を見る。
今日は兄の翔太の誕生日だ。毎年、プレゼントを雪奈は、浩平経由で、翔太に渡す。
緊張しすぎて、渡せないとか言って。
バカじゃないかと思う。浩平を介することで、翔太に気持ちが伝わりにくくなっていることに、気が付いていない。
もうめんどくさいから、全部、ぶちまけてやろうかとも思う。
浩平はため息をつきながら、顔を上げた。
泣きそうな顔をした真奈美と視線がぶつかる。
──え?
真奈美は、ぎこちなく微笑むと、くるりと背を向けて、走るように去っていった。
たぶん、次回がラストです。