【悲しい話】
【悲しい話】
私の前にその女が現れたのは、夕刻に染まる、茜色の空が差し掛かったときである。
黒い質素なエプロンドレスに、ぼやけた様な漆黒の瞳、濡れ場の様な漆黒の髪――
今思えば、居姿からして不気味だったかもしれない、けど――
その子はとても寝ぼけた表情で、私を見据えていた。
磔にされている、私を――
「……」
「何?」
「何をしているのかしら、と思いまして」
「磔にされるのは大抵罪人よ」
茫漠とした意識の中、私はそう答えていた。
何を思ったのだろう、誰を重ねたのだろう――
そう――私は――
私は、とある屋敷の使用人。
別に大きくも無い、小さな街の小さな豪邸――そこのお屋敷の使用人。
妹と二人で――
「そう、貴女は……悪い人なのね」
「……そうよ、悪い人よね」
私が……罪人、か――
「ウソね」
――ッ?
何を――
「顔を見ればわかるわ。
貴女、罪を犯したとは思ってないわね」
眠そうな顔で、退屈そうな顔で――
私は磔の上から、
彼女は寝ぼけ眼で真下から――
でも、深い瞳は――私を見下ろしている。
飲み込まれていく――
「ねぇ、何をしたの?」
まるで興味なさそうに、意味の無さそうに――
その子は――妹に似た娘は、語りかけていた。
だが、私の話などよくある悲劇だ。
貧しい姉妹が居ました。両親は死んでしまいました。
姉は必死で働きました。
妹も姉に従いながら、一緒に生きていました。
働き先で、妹が妊娠しました。
妹は売女と罵られて、女将に殺されました。
死刑に処せられました――
私は――復讐しました。
「結果――この様、か」
不意に、蓮っ葉な物言いに変わり、彼女の瞳が――相変わらず眠そうな瞳だ。
「そうよ。これ以上、私に関わらないほうがいいわ」
不意に、零れた透明な雫――
思わず、私から驚嘆が零れた。
漆黒の暗闇から零れた、一滴の涙――
それは私ではなく、彼女から――
黒い少女からの涙だった。
「私は思う。家族を思う貴方は、間違ってはいない、と」
「……はは、ありがとうね。でも、もう――」
もう、妹もいないもの――
「ならば、私が勝手に暴れる」
と、ようやく私を見張っていた若い衆が、その闖入者に気づき、
私は――見た。
漆黒の翼――翻った巨大な大鎌と、娘を覆う漆黒の衣服。
嗚呼、私は気づいた。
単なる伝承に過ぎないと思っていたけど、そうか――彼女か。
アズリエル、生死を司る化物――
私の町は、一夜にして滅んだ。
私の前にその女が現れたのは、朝日の差し込む、霞がかった青空が覗いた頃。
白い質素な袴にに、凛然とした蒼い瞳、濡れ場の様な漆黒の髪――
あの子に似ていた、でも違う。
傍らにあの子と似たような容姿の、黒髪黒衣の少女が居たが――彼女は不気味なことに、目元を手拭か何かで覆っていた。
目が、見えないのだろうか――
「尋問。妹を探しているのだが……こう、黒いメイド服で、眠そうな顔をした娘なんだが」
「……その子といい、貴女といい――まずは私の姿に驚くとかしないのかしら」
……?
「否定。別段、不自然な姿ではないと思う。むしろ、不自然なのは私たちのほうなのだから」
「いいえ、異常というべきじゃないかしら」
小さいほうが喋った。
「だって、貴女もう、死んでいるじゃない」
ふと、振り返れば――意気消沈した妹が立ち尽くしていた。
まぁ、あれだけ焔が上がっていたのだ、大暴れしたんだろう。
「疲れた」と、一言。
死してくたびれていた、十字磔の娘の遺体――さて、いつ死んだのか、自分で気づいていたのか。
私の妹は、その辺が疎い。
死者と会話する、異能。いや、魂や残留思念、もっと言うなら、記録――記憶を読む。
この眠たそうな顔に隠された表情に気づくのは、最も身近に居る私でさえ難しい。
「阿呆。私たちの今晩の宿はどうする気なのだ」
「ルル姉ぇ、我侭すぎるわ」
「……女子供をこんな簡単に野晒しにする町に泊まれ、と言うのか?」
と、妹は――磔にされた女を見据える。
もう一つ……妹の異能。
私は、この異能を知っているが、妹は多分、気づいていない。
死者の魂を、取り込む。
妹は、死者に縁があるという、
だが妹は、死者に引き寄せられている、
そして妹は、死者を喰らう……いや、こんな悪食、聞いたことが無い。
死者の感情を、直接自ら取り込む――この悪食。
悲しみや痛み、妬みや恨み、そして呪いと言ったものを、全て飲み込んでしまう。
……私にはそんな力は無い。
ただ、死者は見える。死体はな――
音に関しては、もう一人の妹、レメラ――レミィが聞き取れる。彼女はそう言う娘なのだ。
妹――ルルダは、一滴、涙を零す。
いつも、一滴だけ――気づいたら、涙腺を止められるらしい。
泣きたく、ないのだろう。
そんな妹を、強く抱きしめて――
「移動。次の町では、暖かいベッドがあると信じよう」
レミィの手を引いて、ルルの肩を抱いて、
私たちはまた、旅を続ける。