飢えたるものへの民俗舞踊
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
やっほー、つぶつぶ。もうフォークダンスの練習はバッチリ?
私はどうもステップが苦手でさあ、今も足がこんがらがっちゃうんだ。
左足はサイドステップ。右足はクロスステップって、理屈では分かっているんだけど、身体がついてこないのよ。とほほ……。
でも、あたし、頑張るわ。普段は異性と縁のない私が、男子と公に手をつなげるチャンス! うざい顔をされないためにも、しっかりやらなきゃね。
――え? つぶつぶのこと?
う〜んとね、ノーカン。
て、言ったら怒るかしら? うん、怒ったわね。
だ〜いじょうぶよ。私はもう、つぶつぶで満たされているんだから。つぶつぶなしじゃ生きていけないの〜。
――わざとらしくて、あきれる?
ちぇ〜、むっつりなんだから。それとも、今はお腹いっぱいって奴?
あんまりいけずな真似ばっかしてると、いつか「腹減ったよ〜」とか泣きついてきても、袖にしてやるから、覚悟しなさいよ。
ホント、人間て、満たされても満たされても、飢えるわよねえ。体も、心も。
飢え過ぎてスペースが空くと、余計なものが詰まって来るみたいなのよ。それをあたしに教えてくれたエピソードがあるんだけど、聞いてみない?
さっきも話したように、異性とおおっぴらに手をつなぐ機会よね、フォークダンスって。
これさ、フィクションだときれいめな女子を狙って、男が発奮するシチュエーションでしょ。少年漫画とか見ると、鼻息荒すぎってくらいだけど、実際、男はどう思っているのかしらね、つぶつぶ?
――手をつなぎたくない奴とつながらないことを願う、消化試合? 本気でやるのは一部の奴だけ。
うん、赤裸々な意見、ありがと。
ウチの女子もそんな感じよ。あんたらの見ていないところで、男子の品評会、腐るほどやっているから。
あいつとは絶対にイヤ。手をつなぐどころか、同じ空気さえ吸いたくないって話している子がたくさん。
ぶっちゃけ、「鏡見てから言えよ」って子も、けっこういるけどね〜、ふふふ。
――な〜に、つぶつぶ? 女子の間での、自分の評判が気になるの?
ふふん、気持ちは分かるけど、絶対教えてあげな〜い。
ガールズトークを根掘り葉掘りするもんじゃないわよ、さびしんボーイさん。ま、決して悪いものじゃない、とだけ言っておくわ。
けれど、中には尋常じゃないほど、ピュアな子がいるのも、確かなのよ。
その子、入学した時から、ずっと想い続けていた一つ上の先輩がいたの。
中学校って、学年ごとにフロアを区切ることが多いじゃない。1年生は2階。2年生なら3階、という具合に。
これって、なかなか特別感を煽らなかった? 別の学年のフロアに、移動教室以外で留まるの、居心地が悪くなかったかしら?
その子は別の学年の教室に突撃していく勇気はなかったし、ばったり廊下ですれ違っても、思わず顔を背けて、すれ違うことばかりしていた。ただ、向こうからこちらに話しかけてくれるのをじっと待っていたのよ。
恋は秘めるのが華。そんな考えがあったのかどうか知らないけど、どこまでも自分からアクションを起こさない様は、王子様が連れ出してくれることをひたすら待ち続ける、お姫様のようだった。容姿がお姫様にふさわしいかは、ともかく、ね。
でも、彼にとって彼女のことは、有象無象の女子の一人に過ぎない。当然、話しかけることはなかったわけ。
そうなると、身勝手な考えが、心にはびこるのよね〜。
「どうして話しかけてこないの。話しかけてきてくれたら、いくらでも答えてあげるのに。誰よりも、いっぱい、たくさん。なのにどうして?」という具合にね。
行動を省みれば、きっかけすら作らない自分に原因があるのに、相手に鈍感のレッテルを貼り付けて、自己防衛の自己正当化よ。
うふふ、人間って本当に勝手よね。
そして、他学年込みで、異性と公に手をつなぐ機会が訪れる。
林間学校のキャンプファイヤー。そのフォークダンス。オクラホマミキサーと、マイムマイムよ。
その子は一生懸命、ダンスの練習をしたわ。学校でも同学年の生徒同士で、何度か練習したけど、相手の男子はじゃがいもか何かと思うことで、ひたすらにこなした。
林間学校が一日、一日と近づいていく中、彼女の心は勝手に高鳴っていく。
自分と先輩が手をつなぐ可能性。かなり低いけれど、非現実的とは言えない数字。神様さえ微笑めば。
学校で彼とすれ違う日があると、彼女は家に帰って、ずっと部屋にこもりきり、本棚に満載した小説や漫画の中から、意中の相手とフォークダンスで踊るシーンばかりを抜き出して、何度も何度も読み返して、妄想を膨らませたそうよ。
ヒロインを自分に、男を先輩に取り換えて、先輩がささやくであろう愛の言葉。
その一言、一言を、自分で紡ぎ、自分で耳に入れながらね。
けれど、その充足はあくまでまやかし。ベッドに入って酔いが冷めると、どうしようもなくさびしくて、仕方なくなったの。
体が水を求めるのと同じように、充実を求めてうずいたそうよ。
文章に酔う。昔の人は、よく言ったものね。
どんなに美しい文、美しい作品を持ってしても、切らしたら、どうしても現実を求めてしまう。
嫌なら溺れるしかないわ。どこまでも、どこまでも。自分を墓場に送るまで。
創作は極上の酒。自分が作ったものに溺れ、死んでいく人さえ生み出す。その人が本来持てた未来の可能性を、根こそぎにして。
それは物書きにとっては、名誉かしら? 不名誉かしら?
どう思う、つぶつぶセンセ? ふふふ。
そして、林間学校の当日。
ゴミ拾いも、飯ごうすいさんも、テント張りも、彼女にとっては、どうでもよくて、あっという間に通り過ぎる、夢のようなひととき。
やがて夕闇が立ち込め、キャンプファイヤーが燃え盛り、フォークダンスの時がやってきたわ。
チャンスは2回。オクラホマミキサーとマイムマイム。
前者で一緒になれれば、極上の幸せ。後者でも上々の運び。
先生方が手分けして配るくじを受け取りながら、彼女は先輩が参加しているかどうかを確認。2年生の輪に、同級生と話している先輩を見て、胸をなでおろしたわ。
やがて開票に伴う位置決め。女子の輪と、それに重なるような男子の輪。
彼女の執念か、先輩を自分の組の輪に呼び込むことができたわ。けれど、思ったよりも遠い。巡り合えるかどうか。
音楽が始まる。
ショティッシュ、ショティッシュ、ステップホップ。
前、後ろ、回って、ミクサー。
彼女は先輩以外に眼中がない。目の前の男子を無表情でいなし、交代しながら、余裕があれば先輩をちらちらと見る。
先輩に回される女たちを、何人も何人もにらみつけながら。
――終わらないで、終わらないで……。
ただそれだけ、彼女は願い続けたわ。
事前の練習で、何人交代できるか調べたはずなのに、そんなデータは先輩を目にした時から、彼方に吹き飛んでしまっている。
先輩の手を、先輩の目を、先輩の身体を、先輩のぬくもりを、浴びたい。ただ、その一心に飢えていた。
音楽が途絶える。先輩まであと一人というところで。
彼女はしばし、呆然としたけど、すぐにマイムマイムに入る。
マイムマイムの円陣は、男女で交互に並ぶ。つまり、両手に男。
彼女は強引に、近場の先輩へと手を伸ばす。けれど、それは身の程知らずの暴挙。
先輩は、女子二人と手を握り、さっさと円の一部になってしまう。彼女が一歩を踏み出す、その前に。
彼女はもう、何も見えなかった。先生に注意され、手をつながされて円に並ばされたが、どうでもいい。
先輩をぼんやり眺めながら、心、ここにあらずな顔。それでも音楽は始まり、進まなければ詰まってしまう。
彼女はほぼ無意識に、前・横・後・横とステップを踏んでいくけど、すぐに異状はやってきた。
もよおしてきてしまったの。
さっきまで何ともなかったのに、急に。
両手を上げながら、中心に集まる時なんか、もう我慢ができないくらい。
彼女はとうとう円を抜けて、トイレに飛び込んだわ。
新しめの洋式便座。そこに腰を下ろした途端。
あふれたわ。体中から水が。
下だけでなく、上からも。その眼、その鼻、その毛穴に至るまで。
汗、涙、嘔吐、小水。そのいずれでもない。ただ純粋な、水。
服や下着は、もう、絞って水を出すことができるくらい、ぐしょぐしょ。着ていられるものじゃない。
――でも、良かった。先輩にこんな姿、見られなくて良かった……良かったよぉ。
彼女は、マイムマイムが終わり、自分の体から吹き出す水が止まるまで、トイレの床と便器を濡らし続けたそうよ。
のちに彼女は、マイムマイムが、元々は水を掘り当てて人々が喜ぶ様を歌った曲であることを知ったわ。
飢えをとらえた音楽が、身体の中で水をあふれさせたのかしら。酔い続けている、自分を醒ますために。
彼女は今でも、しばしば、その時のことを思い返すのだそうよ。