4.歳月がもたらしたもの
「さて、今日も頑張って仕事しなきゃね」
それはムクが入って来た時間より少し前。ヒバリもまたこの世界、クリム界に入っていたのである。
ヒバリはとても充実した生活を送っていた。小学四年生からクリム界の仕事を手伝い始めたヒバリは、多くの犯罪予備を阻止し捕まえ、目覚ましい活躍を見せている。また、中学生へと学年が上がった彼女は、たくさんの友達に囲まれ、勉強にも部活動にも積極的に勤しみ、その裏ではクリム界の仕事も完璧にこなしていた。
ヒバリの役職は、この世界の治安を維持する「治安統括局」に所属する"ガーディアン"であり、仕事はその名の通り街の治安維持である。このガーディアンという職は、夢残以外は付けない仕事になっている。
そしてこの日もヒバリはすこぶる健やかな中学生活を送っていた。先のテストで上位の成績に入り、部活動も新人の中では期待されているほどの実力を持ち、練習も積極的に参加させてもらえるレベルである。また、品行方正な所も認められたためか、時期生徒会入りも示唆されている位だ。正に青春を謳歌しているといっても過言ではないくらい忙しい模様である。そのおかげか――もしくは原因か――彼女はいつもより早く眠りにつき、クリム界に来たという次第だ。
しかし、彼女には一つ悩みがあった。
それはあの夜――クリム界では昼だが――にたった一度だけ出会った少年、ムクのこと。
以来、彼女は頭の片隅に彼のことを思っていた。恋と呼ぶには遠いものの、焦がれていたのには間違いがない位に。
仕事をしている最中も合間を縫っては彼を探し、何もない時は物思いに耽ったり、ひたすらに探していたりしていた。
その結果として、事前に起こりそうな事件を探り当てたり、犯人を仕留めたりできていた。彼女はこの世界でコードネーム『バード』と呼ばれており、治安局の最強ガーディアンと言えば、この名前が挙がるほどにその名は轟いていた。要はムク探しの副産物が今の結果につながっているということである。
勿論、話してきた通りムクには会えるはずがない。彼はあの夜以降の出来事がきっかけでクリム界を訪れることはなかった。その為、いるはずのない存在をいくら探しても見つからないのは当然であろう。
彼女は今日の仕事を確認するため、右の腕についている機械を操作した。見ていくと急な案件もなく事件も発生していなかった。
(今日は大した用事もないし、また探しに出かけようかな)
そう考えほっと溜息をついてから端末を閉じ、どこに向かうともなく歩き始めた。
ヒバリは探すついでに、街の見回りも行う。それはもう、ここ数年続けてきた癖のようなもので、前述したようにこのおかげで彼女の仕事振りが評価されたのである。
歩き始めてしばらくしてからヒバリは、とある交差点の真ん中で茫然としている少年を発見した。
(ん? あの姿は……)
背は大きくなり、顔つきも少し大人びてはいたものの、彼女の脳内に記憶していた姿とほとんど一致していたため間違いようがない。
(ムク!)
六年経った今、ヒバリはようやく巡り会えた。表情に出していないが、会えた感動に胸を震わせる。
(良かった! やっと見つけられた!)
ムクの元へと飛んでいって、あれこれ話をしたい気持ちが強まる。更にこの六年間、何をしていたのか、どこにいたのか、どれだけ探してどれだけ心配したかという気持ちを打ち明けたかった。
ところが、
(……あ、あれ?)
ヒバリはムクの表情を見てその思いを沈めた。顔は確かに六年前と一致するが、幾分表情が暗い。いや、明らかに暗かった。かつての底抜けた明るい笑顔はなりを潜め、表情には何か大事なものを失ったように影を落としていた。
何かあったのかなと思い、ヒバリは近づくことはせず遠巻きに観察していると、突然彼は前を向いて動き出した。
何をするのか分からないが一抹の不安が過る。ヒバリは彼を追うことにした。
一時間程追っかけているが、彼は周囲を見渡しただ歩いているだけであった。その内に休憩に適したベンチに腰を掛け、また何もない虚空をただただ虚ろに見ているだけとなった。
(あんなに明るかったのに……。何があったんだろう……)
ムクの後ろから壁越しに観察しているヒバリは、心配になっていた。昔に一回会っただけの関係だが、彼女の中のムクのイメージはとても快活で少々臆病で、しかしながら勇気のある行動ができる少年だった。
ただ、今の状態を見ているととてもそのような感じが見えない。
怯えているというよりも、全てのことに絶望している様子だ。
歩いている後ろ姿には元気がなく、よくないものに憑りつかれているようにしか見えない状態では、ヒバリが心配になるのも仕方のないことである。
その彼が不意に目線を前方に向けた。ヒバリはムクと一緒になって目線の先を見ていくと、そこにはいかにも柄の悪そうな若い連中がいた。
(なんであんな連中なんか気にしているんだろ? へっ!? ムク、急にどうしたの!?)
いきなり襲ってきた憎悪の念に、ヒバリは驚いた。後ろからでは表情を読み取ることは出来ないが、ムクが何かしらに怒っていることだけは分かる。だがそれも一瞬の出来事で、すぐに落ち着いたものとなった。
ほっとヒバリはひと息つき、もう一度ムクの目線の先に目をやる。六人組の集団を作り、その先頭は人の顔をしていた。恐らく知っている顔なのだろうとヒバリは見当をつけ、じっと観察を続ける。
するとこんな会話が聞こえてきた。
「そう言えばよ、名守って奴がいてさ、そいつがすげぇ馬鹿なんだよなぁ。いい加減、学校に来られてもむかつくのに、懲りずに来るんだぜ」