4.誤った道へ
ムクは混乱した。目の前にいる少女は間違いなく人の顔をしているが、どう見てもお父さんと呼んでいるその人は、端的に言って彼女と似ても似つかない人外なのである。
ムクは更に困惑した。
「ちょっと待ってヒバリ! あの人がお父さん!? 色々とおかしくない?」
「ちょっと、どういう意味よ!? 私のお父さんカッコいいでしょ!」
ムクは呆れて言葉が継げない。
(いやぁ、どう見てもお父さんじゃないと思うんだけど……)
そうこうしている内に、お父さん(らしき人物)が二人の元に辿り着いた。身長は百八十cm位でくたびれたスーツを纏っている。そして、その高身長から見下ろされる狐の鋭い眼光に、さっきのチンピラ共に囲まれた状況よりも強い恐怖心が支配する。
「すまない。待たせてしまったようだな、ヒバリ。そっちの君は?」
「あっ……、えっと……、そのヒバリ……さんと、その……さっき友達になって……」
恐怖で喉から息のような声しか出ていない。もう既に下腹部が温かい気がするが、そんなことを気にしている余裕がムクにはなかった。
羞恥心よりも恐怖心が勝っている。
足の震えが止まらない。
不意に、ムクの上から大きい影が覆いかぶさってきた。心臓の高鳴りが聴こえてくるほどに打っている。目を閉じてじっと耐える。と、
(…………?)
頭を何か擦る感触が伝わってきた。ふと目を上げると、いつの間にか目の前に狐の顔が迫っていた。
ただし、今度は優しい笑顔で。
「そうか、娘と遊んでくれていたんだね。そして、助けてくれてありがとう」
そして、優しい声でそうムクに告げ、そして、優しい手つきで頭を撫でていた。それだけで、ムクはこの狐顔の人が好きになった。
「この世界ではね、みんな好きな姿で過ごすことができるんだよ。だから私のお父さんも、こんな格好なんだ」
ヒバリがそんなことを笑顔で捕捉する。
なるほど、それなら納得がいく。この世界はどこまで行っても現実ではなく夢なのだ。ということは別段、普段とは違う姿で過ごしていてもおかしくはないということである。
そうなると気になるのは"自分は本当に自分の姿で過ごしているのか"、と、"ヒバリは今の姿が本物なのか"、という二つの疑問が湧いてくるのだが、ムクの場合、先ほどのヒバリの表情を知っているため、何も言わずにおこうと決めた。
しかし、前者の質問は街を歩いていた時に答えが出ていた。何故なら、
(さっき窓に映った僕は……)
紛れもなくムクだったため、前半の質問は看破できる。ということは、どうにかすれば、自分も姿を変えられるのだろうとは考えるものの、それはまたの機会にしておくことにしたようだ。
「君も記憶を持っているようだね。こんなに小さいのに大変なものを背負っているな」
「え?」
どういう意味なのか意図を図れずにいた。
(大変なものを背負っている?)
何故夢の世界に来ただけでこんな忠告をされているのか、ムクには分からなかった。ただ、分かることと言えば今の状況はあまりよろしくないのだということだ。
「名を何というのかね?」
「ムクって呼ぶようにしたんだよ、お父さん!」
「ヒバリには聞いてないだろうが……」
呆れ顔で注意するヒバリ父と、舌を出しつつも叱られたことに謝るヒバリ。それは確かに親子の風景だった。そうして、ひとしきりムクを撫でた後、ヒバリの方に向き直り、顔に深い笑顔を刻み告げた。
「それじゃあヒバリ、そろそろ起きようか」
「うん、そうだね」
そのほほえましい風景を見て和んでいたかったが、それを聞いてムクは焦った。
「えっ、すみません。僕はどうやって帰ったらいいの?」
「「あっ……」」
その言葉を聞き、二人は撃たれたような表情をした。
何故かと言えば、この世界の帰り方は……、
「実は、君の場合は私達と違って、時間が経つまで待たなければならないのだ。私達はこの様な通行証をとある場所にかざせば、扉が開いて帰ることができるのだが……」
そう言って取り出したのは顔写真と名称が載っているプラスチックのカードだった。このカードを使うことにより、「夢の回帰門」という場所から現実世界へ帰ることができる。
この世界の記憶を持っている者で仕事をしているものには、このカードが配られることになっているのだが、たまたま記憶を持ってしまったものは時間が経つまで帰ることは出来ないのである。つまり、本来であればムクは時間が来るまで待たなければならないのだが、ヒバリ父はまぁしかし、と前置きをして、
「君には娘と遊んでくれたことと助けてくれた恩があるし、今回は特別に一緒に帰ろうか」
実を言うと通行証を持っている人物が認めた者であれば、同時に通ることで現実世界へと戻ることができるという仕組みなのである。因みに、共に通れるのは最大二人のため、ヒバリとムクの二人を帰すことが可能なのだ。
「あ、ありがとうございます!」
それを聞いたムクは笑顔満点にこう答えた。それを見たヒバリもつられて笑顔になる。
「良かったね、ムク!」
「それじゃあ、夢の回帰門は向こうだ。はぐれないように手を繋いで行こう」
そうして三人(?)は横並びとなって手を繋ぎながら門へと向かった。
目覚めても記憶は確かに消えない。寧ろ、鮮明に頭の中に刻まれていることをムクは不思議に感じた。
(夢だけど、夢じゃ……)
どこかで聞いたことのあるセリフが頭の中を駆け巡る。
しかしそんなことはどうでもいいとかぶりを振って、ムクはもう一度夢の世界を思いだす。日本に似た景色と明らかに人とは違う多種多様な生物たち。正に空想の世界に放り込まれた気分だ。
本を良く読むムクは、通常であればそのまま異世界に残るのが基本設定となっているのを知っている。しかし、こうして帰ってきたということは、案外本もあてにならないものなんだな、と感じていた。
時間を見るともうすぐ七時。瞼はまだ重いが、学校までは歩いて十五分程度、学校の始業は八時十五分のためそろそろ起きて支度をしなければならない。様々な疑問を抱えた頭で今日一日を過ごさなければならないのは大変だが、
(そうだ、今日見た夢をみんなに自慢しよう! きっと喜んでくれるぞ~!)
持ち前の明るさを発揮するいい機会だと考え、ムクはクリム界のことを話すことにした。どんな反応をするか分からないが、期待してムクは布団から這い出るのであった。
その選択が間違いだったということに気付くのは話した直後のことである。
ムクは予定通りにクリム界のことを話したが、みんなの反応は予想を裏切った。
“そんな世界あるわけないじゃん! ”
“名守くん気持ち悪い! ”
“ちょっと、近寄らないでよ! 嘘つきがうつるじゃない! ”
興味を持つどころか煙たがられ、その日一日で彼の教室内での順位は最下層まで一気に下降した。
それから彼は嘘つきの称号を与えられてしまい、クラスの生徒からは虐められるか無視される破目となった。勿論、彼は嘘をついたわけではない。しかし残念ながら、クリム界の記憶を残すのは限られたものだけであり、彼のいる小学校にはそのような生徒が他にいなかったのである。それが余計に彼の立場を追い込むのに拍車をかけた。
次の年には、違うクラスからやってきた生徒からも酷い扱いを受け、それ以降は学校全体から変な奴というレッテルを張られ、遠巻きにされてしまった。すると、先生方からも忌み嫌われ、学校には居場所がなくなっていく。それでも両親に迷惑をかけないようにするため、登校だけはしていた。勉学が良かったかと言われるとそんなことはないが……。
そうする内にムクのあれだけ活発で好奇心旺盛だった性格が、消極的で根暗な雰囲気へと変貌してしまった。両親には何とか誤魔化しながら生活をしていたが、部屋に入れば、元々人と過ごすのが好きな性格のため今の状況を好ましく思うはずがない。故に泣くことが多かった。そしてそのまま、夢の世界へと引き込まれていくという形だ。
話は変わるが、ムクはあの一件以降クリム界へは行けなくなっていた。いや、それは正しくない。
実際には、ムク自身が行かない様にしていた。常にクリム界を意識しないように眠っていたため、意識がクリム界に引き摺り込まれそうになっても、朝の起床時に布団を剥されまいとするかの如く、必死に耐えていた。そのおかげかは分からないが、中学に入るまで見ることはなかった。
そう、中学生になるまでは……。