6.縁(えにし)を結んだ者
その道中も街をチラチラと眺めていると、前方に誰かがふらふらと彷徨っているのが見えた。いかにも迷子というような感じである。
(また新しい夢残が現れたかなぁ……、ッ!?)
その様子を観察していたヒバリの目が、驚きで大きく見開かれた。近づいていくとやはりそうだと分かり、ヒバリはそれとなく声をかけてみる。
「ねぇ、神代くん?」
しかし当の本人――神代は自分の名前を呼ばれたことに気づいておらず、歩みを止めようとしない。
「神代くんってば」
怪訝に思ったヒバリは肩を叩いて、もう一度名前を呼んだ。すると相手は振り返ったが、何故かその目は疑念に満ちている。
「誰だよかみしろって? 俺のことからかってんの?」
(えっ?)
どういうことか一瞬分からなかったが、ヒバリはとある考えに思い至り、恐る恐る呼びかける。
「ってことは、黒田くん?」
その名前で呼ばれた途端、神代の顔が嫌そうに歪んだ。
「はぁ? なんで俺の名前を知ってんだよ。お前、俺と初対面だよなぁ?」
その答えでヒバリは状況を把握した。しかし把握したものの、脳の回路が予想以上に追い付かず、固まってしまう。そしてようやく一つの結論に達した。
(まさかこっちに……、夢残になったの?)
予想だにしなかった自分の解答に驚きつつ心を落ち着け、ヒバリはまじまじと神代――もとい、黒田を観察する。病院で見た時と変わらない顔立ちだが、身長は現実よりも低い感じで、髪の色は少し茶色気味に見える。
「な、なんだよ。俺は何も持ってないぞ。俺とやりあう気か?」
「別に盗む気はないよ。ただ、初めて現生人から夢残になった人を見たから珍しくって」
少し喧嘩腰になった黒田の言葉を軽く流し、ヒバリは淡々と自分の解答だけを口にした。しかし黒田はヒバリの言葉を気にしたのか、怪訝な顔でヒバリを睨みつける。
「なんだ、リアラー? レフター? 意味分かんねぇことをしゃべってんじゃねぇよ」
怒気を強めてヒバリを脅しにかかる。
「それよりもここはどこだ!? 俺は寝ていたはずだ! なんでこんなところにいるんだ!? お前が連れ去ったのか!? お前は何を知っているんだ!?」
自分の置かれた状況が分からなくなった黒田は、恐怖と怒りでパニックを起こし、声を荒らげてヒバリに食って掛かった。周囲にいた人々が何事かと伺う。
「落ち着いて。私も少し驚いたけど大体どういうことか解ったから、ここじゃなんだし人の目がないところに行こう。君だって、目立つのは嫌でしょう?」
それでもヒバリは冷静に黒田を宥める(なだめる)。ここで騒がれると、またどんな小言を上から言われるか分からない。そしてそれ以上に、黒田の疑問を解消しないといけないため、言い争っている場合ではないからだ。
しかし、黒田はそれに耳を貸さない。
「なんで連れ去ったかもしれない相手の言うことなんか聞かなきゃいけねぇんだよ! 馬鹿かお前は! いいからここで教えろ! そうじゃなかったら痛い目見せてやる!」
その発言でヒバリの堪忍袋の緒が切れ、ヒバリもムッとしてしまう。
「もう、私は犯人じゃないって! ここだと話しづらいから別のところに行こうって言ってるだけなのに! ほら行くよ!」
そう言ってヒバリは、黒田の手を掴んで引っ張ろうとした。
「何すんだよ、くそ女! 離せよ!」
だが、それに黒田は抵抗する。
「きゃあっ!」
黒田の力が勝りヒバリの手から離れてしまった。
「めんどくせぇ! 俺は行かないって言ってんだろ!!」
苛立ちが最高潮に達した黒田は、ぎらついた眼でヒバリを更に睨み、拳に力を入れる。
「こうなったら、女でも容赦しないからな!」
そして、ヒバリ目がけて右の拳を突き出す。体重の乗った勢いのある拳が眼前に迫る。
(仕方ない、手荒な真似は避けたかったけど……!)
それを見てヒバリは避けるようとはせず、逆に体勢を低くして黒田の懐へと入り込む。飛んできた拳を左手で掴み、右手を相手の胸倉に伸ばして掴み上げ身体を反転させると、思い切り体を前方へと倒した。
「わぁ! ちょっと待て、ちょっと待って!!」
抗議の声が聞こえてくるが、ヒバリは躊躇うことなく腕を引いた。勢い余った黒田はなす術なく投げられる。
「ぐふおぅ!」
ヒバリの背負い投げが決まり、黒田は全身をアスファルトに叩き付けられた。衝撃的な光景だったため、ギャラリーがざわつき始める。ヒバリは少し焦ったが、一つ息を吸って落ち着き、体を起こして、全体に聞こえるようにして叫んだ。
「すみません、お騒がせしました! 事態は無事解決いたしましたので、大丈夫です!」
なんだ痴話喧嘩か、といった呟きがちらほらあるものの、ヒバリの言葉が届いたのか、ほとんどのギャラリーはその場を去っていった。
(痴話喧嘩じゃないけどね!)
ただ、ムク以外の男と痴話喧嘩と思われるのは、何となく癪に障ったようだ。
それを見届けてから再びヒバリは黒田に目を向ける。しかし、黒田は動く気配がない。
(あっ、しまった……。やり過ぎたかも……)
恐る恐るヒバリは黒田の顔を覗くと、苦痛で顔は歪み、しっかりとした言葉が発せない状況ではあるが意識はあるようだ。ヒバリはほっと胸を撫で下ろす。
それから黒田の襟を引っ掴み、引き摺るようにして人目のつかない裏路地へと連れて行った。
連れてきたのは薄暗い路地の一角。周囲の建物の窓は小さく、人から見られる心配はない。少し苔生した場所で、辺りは何となく陰湿な雰囲気が漂っている。表で感じていた温かな風は感じられず、ひやりとした風が吹き抜けていた。
ここならいいかとヒバリは足を止め、黒田を壁にもたれ掛けさせた。まだ痛むのか、黒田は呻き声をあげている。
「ごめんね。ああでもしないと、あなたは話を聞いてくれなさそうだったから」
ヒバリは腰を屈めて、黒田に聞こえるような声で謝罪した。黒田は少し目を開き、ヒバリの姿を確認すると、良いって、と絞り出すようにして声をかけた。
「謝んな。手を出したこっちが悪いのは分かっているからよ。くそっ……、いてぇ……」
そう言って今の体勢が少しつらいのか、黒田は手をつき座り直す。それから大きく深呼吸をし、心を落ち着けるためなのか目を瞑って数秒沈黙した。
「ごめん。ちょっとこの状況があまりにも突然だったから、八つ当たりしてしまった。悪いのは俺の方だから」
静かに目を開けると同時に黒田が謝罪をする。逆切れされるかと思ったヒバリは、意外な一言に目を見張った。
(文野さんが立派な人だったからもしかしてと思ったけど、めちゃくちゃいい奴じゃん)
初めて話す相手だが、それ程心配する必要がないと感じ、ヒバリは警戒心を少し解いた。
「それで、教えてくれるんだろ?」
黒田の問いかけに一瞬疑問符を浮かべたが、あっ、と気が付き、
「ごめんごめんそうだったね。ちょっと待って、順を追って話すから」
そう言ってから腰を下ろし、ヒバリはクリム界のことを話し始めた。




