5.鱗の少女の疑念
前方からふいに声を掛けられた。鱗の眼光が声の主に鋭く移る。
そこには人間の顔をした少年がにこやかな顔でフォックスを見ていた。その顔に覚えがあり考えていると、
「貴様、一体何奴だ? 何ゆえ私達に声を掛けた?」
いつの間にか抜身の刀を相手に差し向けていた鱗が、懐疑的な目で問い詰めている。少年は驚いて少し後ずさりし、刀の切っ先から逃れようとしていた。
「ちょっと待て、鱗! お前いきなり何物騒なことをしてるんだ! 下ろしなさい!」
それを見ていたフォックスは慌てて刀を下げさせる。
「先輩!! 何かあってからでは遅いんです! さぁ、さっさと目的を話してもらおうか!」
しかし、鱗はその言葉に耳を貸さない。寧ろ、更に語感を強めて脅しに掛かっていた。鱗はその喧嘩っ早さと頑固さから一度疑ったり思い込んだりすると、梃子でも自分の意志を曲げようとはせず、何か晴れるものがあるまでは攻撃の瞬間を窺い続ける。
そんな折、フォックスはあることに気付いた。数年前にこの顔に似た少年がいたように感じ、一つだけ引っかかりを覚えた。
「君、もしかして六年前のヒバリを助けてくれた少年かい?」
そう問うと少年が激しく首を上下させた。その動作に鱗は驚き、フォックスと少年を交互に見た。フォックスもまさかのことに驚きを隠せていない。
ヒバリことバードが見知らぬ少年に助けられた事件はフォックスの周囲では有名な話であり、その少年を一目でも見たいと思っている夢残が少なからずいた。鱗もその一人である。
「そうです。すみません、いきなり声を掛けたりしてしまって。六年前にお会いした限りでしたね。ムクです!」
その少年――ムクは刀を向けられているにもかかわらず、にこやかな笑顔で元気よく自己紹介をした。
「そうか。あの時の子か。いやぁ、凛々しい顔つきになってしまったから、一瞬分からなかったよ。こんなに大きくなったのかね」
その名前を聞いてフォックスは六年前の幼かった彼の顔と当時の記憶を鮮明に思い出した。
会った当初は怯えており粗相をしてしまったが、こちらに敵意がないことを悟ると穏やかな表情となり最後は手を繋いで共に夢の世界から帰ったこと。その時のヒバリの表情がとても嬉しそうで思わず釣られて笑ったこと。チンピラにからまれてしまったことは悩ましい出来事であったが、それでもあの時の記憶は明るいオレンジのような色付けをされて残っていた。
「あの時はろくにお礼もできなくて申し訳なかったね。また会えて嬉しいよ」
それも相まって、フォックスはこの少年を疑うことをしなかった。自然と右手を差し出す。
「えっ……、あっ……。い、いえ、こちらこそ、そのように思っていただきとても嬉しいです」
少し逡巡してムクの方も右手を差し出し握手を交わした。フォックスもにこやかに手を握り返す。ムクの迷った動きに一瞬訝しんだ鱗であったが、尊敬する先輩がこれだけ信頼しているのなら大丈夫かと刀を下ろし、鞘に収めた。
それを見てフォックスも安堵の表情を浮かべ、ふと気になっていることをムクに問うた。
「そういえば、今までどこにいたんだい? 実はヒバリ……この世界ではバードって言うんだが、心配していたぞ」
「いや、あれからこの世界にちょっと来れない事情がありまして、最近ようやく来れるようになりました」
(来れない事情?)
フォックスはその言葉に疑問を持つ。
この世界はほとんど確実と言っていい程、眠ると飛ばされる世界だ。そんな世界のはずなのに、来ることができないということは、向こうの世界で意識を失っていたか、もしくは意識的に行こうとしなかったかのどちらかということになる。
(この世界に来れないということは、何かしらの病気を患ったか、もしくは大けがを負って意識不明の重体に陥ったかだろう。意識的に締め出すのは無理な話だろうからな)
そのような憶測をつけたフォックスは、少し寂しそうな顔をして、
「そうか、君も苦労したようだね。よくぞクリム界に戻ってきてくれた。私はとても嬉しいよ」
励ますつもりでそう言葉をかけた。
その言葉に一瞬困惑した表情を見せたムクは、次の瞬間には何事もなかったかのように振る舞い、
「大丈夫ですよ。色々と心配を掛けさせてしまい、すみません」
目を伏せてから言葉を紡いだ。それから何かを思い出したようにムクが言葉を重ねる。
「そうです! 今少しだけ時間がありますか? もしよろしければ、少しだけ話をしたいと思っているのですが……」
聞いた途端に鱗は再び柄へと手を掛け、いつでも引き抜けるような体勢を取る。
「だから落ち着きなって」
そう言うと、フォックスは刀を持つ右手に手を添えなだめた。
「少しくらいは大丈夫だから、立ち話もなんだ、近場の喫茶店にでも入って落ち着いて話を聞こう」
鱗の方を向き軽くウィンクをする。フッとひと息を吐いて、鱗は静かに手を離した。
「では行こうか」
これを合図にして先頭をムクとフォックスが横並びで歩き、後ろから鱗がついてくる形となる。鱗は睨みつけるようにムクを見ているものの、刀に手を掛けることはしなかった。




