1.ヒバリの尾行
ヒバリは気づかれることなく尾行を行っていた。
(直接話ができればいいんだけど、私も危ないだろうから……)
何をしでかすか分からない状況では、目を離す訳にも、気づかれる訳にもいかないため、ヒバリはもどかしさを感じていた。
ムクから嫌われることをヒバリは望んでいない。だから、ヒバリは気持ちの面でも行動面でも、話し掛ける踏ん切りがついていなかった。そういう訳で、とりあえず着いていくしかないのである。
そんなことを考えていると、ムクがキョロキョロし始めた。と、ヒバリの方向に向かってくる。
(あっ! こっち来る!)
ヒバリは路地や物陰に隠れながら尾行していたが、近づいてくるムクに驚いて、もう一本路地の奥にある細道に隠れる。
路地に入って来たムクは辺りに人がいないことを確認する(実際にはヒバリが奥で見ているが)と、おもむろに屈伸運動を始めた。見ているヒバリには疑問に思う行動で、少々戸惑った。次の瞬間――
一気に足を伸ばし上へと跳び上がった!
あまりに突然のことでヒバリは見失いかけたが、すぐさま上を見上げる。ムクがビルの屋上に着く直前で、何とか視界に捉えることができた。ヒバリも気づかれない様に両サイドに立つ壁を交互に蹴って、屋上へと向かう。
一旦近くの足場になれる外階段に降り立ち、懐から鏡を取り出し、屋上に放り投げてムクの様子を窺う。一瞬だけ見えたムクは屋上の縁にしゃがみ込み、眼下の表通りを見ているようだった。それを確認し、再度屋上へと向かう。
なるべく遠く、足音を立てずにムクの背後に降り立った。ムクはそれに気付いていない。
ちょうど背後で観察していると、ムクは望遠鏡の替わりにしているのか、右手で輪を作り外の景色を見ていた。表情が見えないため、何を考えているのかは全く分からないが、恐らくこの街の全体像を把握しているのだろうとヒバリは予測をつける。
すると不意にムクが自分の右手を見つめる。その顔には驚いている様子が窺えた。ヒバリのことを視界に捉えることが可能な角度で顔を向けているが、全くと言っていい程気にしていなかった。いや、気にする様子もなかった。
ムクが再度確認するように、何度も右手をかざしたり外したりを繰り返す。
それを見ていたヒバリは少し警戒心を和らげた。その様子はさながら好奇心で色々試している子供のようだったからだ。
(私の心配は杞憂に終わるかな……)
希望的観測ではあるが、今のムクの姿は確かに小さな少年のそれである。ヒバリがこう思うのも無理はないだろう。
そんなことを考えていると、いきなりムクが立ち上がった。ムクは上って来た路地と反対側の路地に向かって飛び降りる。
慌ててヒバリも追っかけようとするが、一歩踏み出してから思い留まる。
(このまま屋上から観察した方が良いかもね。その方が気付かれる可能性は少ないし)
そしてヒバリはムクを見失わないうちに屋上の端へと移動し、彼を上から追う。
ムクは既に路地から出て表通りにいた。立ち止まってきょろきょろと辺りを見渡したかと思うと、何かを見つけたのか来た道を引き返し始める。ヒバリは気になってムクの視線の先を追った。そこにいたのは、
(あれは、ムクが倒した奴?)
後に戻ってきたのか、仲間が担架を持って神代を運んでいた。ムクは仲間たちに気付かれないよう十m程の距離まで近づくと、右手で輪っかを作り神代を見る。そして何かを確信したかのようにくるりと身体を反転させ、神代から離れていった。その時のムクの表情を見て、ヒバリは絶句するしかなかった。
(何、あの笑顔……。明らかに良いものじゃなかったんだけど)
不敵に笑ったのをヒバリは見逃さなかった。それは神代を倒した後の表情と類似しており、ヒバリは改めて警戒心を強める。
道中、ムクはしきりに右手で輪っかを作っては外し、作っては外しを繰り返して周りを見渡していた。途中で左手や左目でも試し始め、しばらくすると半ばあきらめたような雰囲気を出して、ただ歩くだけとなる。ヒバリにはその動作が、獲物を狙う猛獣のように見えて仕方なかった。
上から追跡していると、途中でビル群がなくなり、街はずれの森の近くまでやってきた。ヒバリは仕方なく屋上から降り立ち、物陰からムクを追い掛ける。そしてムクがまたもや周囲を気にしたかと思うと、草木をかき分けて森の中へと分け入っていく。ヒバリもまた、音で気づかれない様、一定の距離を保ち森へと入った。
一方のムクは追い掛けてくる人影に気付かず、奥へ奥へとただひたすらに歩いてく。草木が服を汚していくがお構いなしに茂みを突っ切っていく。木陰からそっと見守るヒバリは頭に疑問をもたげながら見つめていた。
(どうしてこんなところに来たんだろう? ここって何もない森なんだけど)
それでもあの不穏な笑顔に何を隠しているのか分からない以上、どういう行動を起こすのかも分からない。だからこそ、彼から目を離すわけにはいかない、何かあった時には自分が止めなければいけない、という使命感にヒバリは駆られていた。
(例えムクと争うことになっても構わない。止めるのは他の誰でもない、私の仕事なんだから……)
目を伏せてその誓いを改めて心に刻み、今一度自分を鼓舞する。だがこの一瞬をヒバリは悔やんだ。
(あっ! しまった、見失っちゃう!)
もう既に点になりつつあるムクの後ろを慌てて追いかける。既に最初の目を離さないという誓いは微妙な所だ。
やっとのことで追いつくと、ムクは広い原っぱの中心に立っていた。改めて周囲を確認したムクは、何かを認めて駆けだす。ヒバリは一瞬こっちに気付いたのか、と気にしたが、自分とは反対方向に向かうムクを見て胸を撫で下ろした。
(ほっとしている場合じゃないね)
行く先は分からないが、放っておける性分でもないヒバリは再び追跡を始めた。
追い掛けた先のムクの目的物を知って、ヒバリは驚愕した。
そこには確かにムクがいたのだが、そのムクと向かい合っているのは――
体長二mを超える程の熊であった。
(⁉)
流石のヒバリもあまりのことに言葉を失った。
(あんなの現実どころか、クリム界でも見たことないよ‼ って、そういうことじゃなくて……)
偶然、熊のテリトリーに入ったとかそういう類の話ではなく、明らかに自分から走り出し、そして踏み入れたのだ。
一体何をするのか? その疑問はすぐに解消された。
突然、熊が雄叫びを上げムクに襲い掛かると、ムクはその攻撃を躱し反撃しようと右拳を突き出した。
ムクは熊に決闘を挑んだのである。
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