5.不安による行動
ヒバリは唖然とした。発言にも驚いたが、それ以上にこの世界でこれ程までに強い思念を持っていることに意外感を示すしかなかった。
先にも話した通り、ヒバリとムクには遠くの会話がはっきりと聞き取れていた。夢残は現生人と違い、五感が鋭くなる。当然個人差はあるが、少なくとも現生人よりも様々な能力が高い。この場合、二人とも夢残のため400m(ヒバリの場合はそれ以上だが)程の会話が聞こえていたのである。
更に言うならば、一定の距離内にいる相手の会話だけに集中して聞き取ることが可能であり、ヒバリはその力を使っていた(ムクはたまたま聞いたことのある声に反応しただけだが)。
(彼からは夢残の様子は見当たらない。ということは、彼はムクに何かしら強い思いを抱いているのね。しかもこれは……)
明らかにムクを馬鹿にする態度。それだけでヒバリは全てを理解する。
(何が理由かは知らないけど、私のムクをいじめるなんて許さない‼)
もう一度注意しておくと、別にヒバリはムクに恋をしている訳ではない。しかし、何故か彼女の頭の中で、既にムクは、悪い言い方をすると所有物なのである。独占したい思いは会えなかった寂しさなのか、はたまたムクに対する小さな怒りなのか。それはヒバリにも分からなかった。ただ、ムクを馬鹿にされたことに対しては心の底から腹立たしかったようである。
そんなことをヒバリが考えていると、突然ムクが立ち上がり、その勢いのままその集団へと突っ込んでいく。そして、走る勢いを殺さずに人間顔――黒田文和――の傍まで近寄ったムクは――
両足でドロップキックをかました。
(ちょっと、ムク‼ 何やってんの!?)
これには流石のヒバリも目を丸くする。これほど大胆な行動を取れる人物には見えないため、なおさら強烈であった。
「お前……。この夢の中でもクズみたいな奴だったとはな」
あまりに突然の出来事に、黒田も遠目から分かる程、目を白黒させている。しかしすぐに立ち上がり、二人は対峙する形となった。そして、黒田がにたりと笑い口を開いた。
「お前がなんでここにいるか知らねぇが、これだけのことをしてくれたんだ。覚悟はできているだろうな。学校でも言い触らしてやるよ!」
(なんでこの世界でムクのこと覚えているのよ? どんだけ執着してるわけ?)
当然だが、現実世界とクリム界における現生人の記憶の蓄積は別個のものであるため、クリム界の記憶が現実世界に反映しないように、逆も原則ありえないことなのだが、強い思念を持っていると一部がクリム界にも反映されることがある。黒田は相当、ムクに対して(悪い意味で)強い思いを抱いていることが分かり、ヒバリは現実世界でのムクの暮しを心配した。
(もしかしてムク、色んな人からいじめられているの……? だったら、あんな顔にもなるよね……。でも、なんで?)
何が原因か、ヒバリには理解ができない。彼女からしてみたらムクはいじめられるような人間ではないという思いがあるからだ。だからこそ意外感が拭えず、ヒバリはそのことに悔しさを滲ませた。
「いつも俺のことをからかってくれてありがとう! そんな奴に足元はすくわれるものだと教えてやるよ!」
突然のムクの叫び声に、ヒバリは頭で集約していた考えを霧散させた。すぐさま関心を戻す。顔を向けると最悪な状況に陥っていた。黒田が既に左手に拳を作り、ムクへと放っている。一瞬の戦慄がヒバリに奔った。
「ム……‼」
思わず右手を伸ばし、名前を叫びかける。しかし、その直後に起こった出来事でヒバリは固まってしまった。ムクは少し後退しながらもその攻撃を避けたのである。
躱されたことに苦々しく思った黒田が、右手にも握り拳を作り今度は腹に向けて放った。しかしこの攻撃もムクは涼しい顔で身体をくの字に折り曲げて躱す。
その後も、連続して繰り出される拳に間一髪で避け続けるムク。周りでは取り巻き達が騒いでいるが、ムクは気にせず相手の一挙手一投足に集中していた。
「くそっ! 意外とすばしっこいな」
黒田の苛立った声が聞こえてきた。どうやら、攻撃が当たらない状況に驚愕しているようだ。
(恐らくあいつはパンチの撃ち過ぎで疲れているね。しかも、イライラしてるから余計に体力はなくなっているんじゃないかな)
ヒバリは即座にムクの勝ちを理解した。黒田は苦痛に顔を歪めているのに対し、ムクは未だにクールな表情を保っているのである。誰が見てもどっちが優勢かははっきりしているが、それでも黒田は一発でも食らわしてやりたい一心で殴打の応酬を止めない。しかし、その瞬間は唐突に訪れる。
「しまっ……!」
黒田の体が一瞬動きを止め、左のストレートが遅くなる。この好機を逃すまいとムクは黒田の懐へと入りこみ、右の拳に力を入れ、勢いと共に黒田の鳩尾を殴った。
「ふごっ!」
黒田が地面に沈んだ。倒れている横には睨みつけているであろう、佇むムクがいる。
(さすが、ムク! やっぱり凄い奴だよ‼)
ヒバリは当然に思うと同時に、ムクが昔と変わらず強いこと(?)に嬉しさを噛み締めていた。ただし、それはほんの一瞬の思いで終わってしまう。ムクから感じる雰囲気が変化したからだ。
沈黙がその場を支配し、周囲が固唾を飲んでムクを見ていた。
数秒後、顔を上げるムクは周囲を見渡す。そして、邪眼で睨みつけながら取り巻き達へ向かって怒声を放つ。
「お前らもこうなりたくなかったら、さっさと失せろ‼」
その声に周囲の人々は脱兎の如く逃げ出した。ヒバリは遠くからそれを見つめていただけだが、背筋が凍るのを感じた。
(まずいかもしれない……)
その危機感が何かは分からない。ただヒバリは、止めないとムクがムクでなくなると直感した。
するとムクが再び動き始めた。その顔には先ほどのような暗い影は見られなかった。代わりにどす黒い影が潜んでいる笑顔が刻み込まれている。
夢残を取りまとめる機関に連絡したいのは山々だったが、まだ何も大きな問題を起こしておらず、更に言えば友人であるムクを突き出すわけにはいかないと考えたヒバリは、決意を固めムクを単独で尾行し始めた。




