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第三楽章

すいません、前書き後書き書くの忘れてました。

ラス前のつなぎです。最終章は2/5 19時投稿。

 安全靴の足音、重機を点検するような金属音で清美は目を覚ました。

 (え、こんな早くから従業員が出勤するの?)

 身をすくめると清美が横になっている布団の周りはパーティションで囲まれていた。岩田親子が気を遣ってくれたのだろう。しかしこの早くから、しかも昨夜の停電騒ぎにもかかわらず操業とは、町工場侮り難し。自家発電で動かすのだろうか、それとももう送電は始まっているのか。聞き耳を立てていると人数はそう多くない。二人か、多くても三人だろう。会話が全く聞こえないので推し量れない。清美を囲っているパーティションを不審がらない様子からすると、岩田から話を聞いているのだろうか、それはそれで恥ずかしい。身体の具合を確認した。鎮痛剤と湿布のおかげで背中の痛みはかなりひいているが、首は相変わらずだ。やはりむち打ちを起こしているのだろう。バイクには乗れるだろうか、無茶をしなければ大丈夫だろう、となるべく前向きに考える。睡眠は短時間だが、海の底に墜ちたように熟睡したらしく頭ははっきりしている。大いびきをかいてなかったかしら、と考えてもしょうがないことをつい気にしてしまう。

 髪はぼさぼさ、衣服は泥だらけ。今すぐシャワーを浴びて着替えたいが贅沢を言っている場合ではない。布団をたたんで従業員を意識しパーティションから出る。キーワードは〝笑顔〟だ。ある程度の素性は知られているだろうから、せめて第一印象は良くしたい。

「おはようございます!」

 精一杯の笑顔であいさつすると、従業員は全員外国人でちょっと面食らった。

「あの、岩田さんは」

「シャチョウー、ニッカーイ、ショクジチュー」

 無駄にリズミカルな返事をして、褐色で彫りの深い男が人差し指を立て階段を指した。


 従業員がコーヒーを煎れてくれたので、岩田達に挨拶にいく前に彼らと話をした。

 一番日本語が上手なガラン君が中心になって相手をしてくれる。

「きのうのアースクエイク、とてもこわかったですね」

「にほんはいつもこんなにアースクエイクあるのですか」

「昨日のは大きかったけど、いつもはあんなに大きくないよ」

「でもアースクエイクいっぱいおこるんですか」

「うん、よくあるね」

「のらねこは、へいきですか」

「? 野良猫のことは、よくわからないなぁ」

「しゃちょうがあなたのこと、のらねこといってました」

 カチン。

「私は野良猫とは関係ないよ」

「そうですか」(わかってるんだろうか)

「わたしのくにで、あんなアースクエイクきたら、みんなしんでしまいます」

「日本は地震大国だから、備えがあるんだよ」

「じしん? なんですか?」

「地震大国。地震がいっぱい起こる国」

「すんでるのこわいですね、なぜにげないんですか」

「生まれた国だから」

「だから、にほんじんはつよいんですね」

「どうかなあ。地震と強さは関係ないと思うよ」

「にほんはすごいですね。ちいさいくになのに、ぶんかやけいざいで、せかいにはとてもおおきくかんじるくにです」

「みんなは日本に何しに来たの」

「おかねとべんきょうのためです」

「何を勉強するの」

「のうぎょう、こうぎょう、ふくしかいご、いろんなべんきょうにきています」

「ガラン君は?」

「わたしはこうぎょうのべんきょうをしにきました」

「ふーん」

「わたしのくにでは、わたしトップだったけど、にほんにきたらしらないことばかりでした。びっくりしました」

「そうかあ」

「にほんはたのしいです。ごらくがいっぱいあります」

「例えば?」

「げーむ。みんなとおかねだしあってかいました」

「私もゲーム大好きだよ」

「げーむそふともすごいです。あめりかのもいいけど、にほんのげーむきれいでおもしろいです」

「他には?」

「まんが。にほんのまんがはせかいいちですね」

「手塚治虫って人は知ってる?」

「もちろんしってます。まんがのかみさまですね」

「そんなに有名なんだ。どんなマンガが好き?」

「お前はもう、死んでいる」(ここだけ声色も変わった)

「えっ!」

「わたしのすきなまんがです。アニメにもゲームにもなっています」

「びっくりした」

「ワタシモソノノマンガスキ」別の子がいう。

「むかしのまんがのほうが、やすくてかいやすいです」

「ずいぶん大昔の漫画だよね。でもいきなり私を殺さないでね」


 布団は従業員の一人が運んでくれた。自分ですると遠慮したのだが「シャチョウーニ、シカラレル」と言われてしまえば従うしかない。褐色のアフリカ系外国人(だと思う)が先頭になって階段を上がる。

「シャチョウー、ノラネコ、オキターヨ」

「おう、ごくろうさん。今日もよろしくな」

「イツモ、ガバッテルヨー、ノラネコ、アバヨ」

 どういう日本語教育をしているのか。しかしよくみると精悍でセクシーな男だ。業務後は女たらしに精を出している、という想像は失礼だろうか。

「Thanks、Thanks」

「ドイタシマシテ」

 どっちが外国人かわからないやりとりをして、男は降りていった。

 野良猫は非道いんじゃないですか、と開口一番文句言おうとした瞬間、それが目に飛び込んできた。

「ちゃぶ台だ!」

 清美の瞳はきらきら光った。

 ブラウンの木製、丸いテーブルで若干開き気味の四脚がとてもバランスがいい。古典漫画ではお馴染みだが実物を見るのは初めてだ。台にはお約束のように目玉焼きと味噌汁、ご飯、漬け物と湯飲みがのっているからまた嬉しい。やっぱり岩田が怒るとこれをひっくり返して良平が父さん止めて! とか叫ぶのだろうか。勝手な妄想に耽っていると、

「どした、姉ちゃん、そこ座れや」

 と岩田が醒めた声をかけた。

 野良猫とちゃぶ台とついでに外国人でちょっと頭が混乱している清美に、良平がご飯をよそってくれる。

「あ、ありがとうございます。昨日はお世話になりました」

「ん」つまらなそうに岩田が答える。良平も「いえいえ」という。そこでようやく岩田親子の様子がおかしいことに気づいた。

 清美の顔を読んだのだろう、岩田が良平に「あれ見せろや」と声かける。

「全く嫌な役目は全部僕なんだからなー。これ、今朝従業員が持ってきてくれたの」

 ぼやきながら一枚切れの新聞紙を渡してくれる。新聞の号外だ。

 「え?」

  ___________________

 |首都消滅 都市機能崩壊

 |北の弾道ミサイルか? 北否定

 |国事機関壊滅 政財界用人の安否絶望的

 |永田町兜町連絡不能。どうなる日本経済

 |原因未だ不明揺れる各自治体

  ___________________

 清美の頭は真っ白になる。手にした新聞の文字がぐにゃりと歪む。

「え?」

「ん」

「消滅って」

「消えたんだろうね」

「消えたって」

「蒸発したのかな」

「そんな」

「わからん」

「そんなことって」

「俺たちにもわからん」

「北なの」

「その可能性は低いと思う」

「だったらなんで」

「僕たちにもさっぱりなんだよ」

 なけなしの記事を追う。国会議事堂、首相官邸、総務省、法務省、外務省、財務省、全て連絡不能、存在確認もできず。内閣総理大臣/国務大臣/政務次官/事務次官連絡不能、生存確認できず。

「テロですか!」

「かも知れん」

「でもこれだけの規模を……可能なのだろうか。出来過ぎだ」

 台所に立っている良平が言う。

「わからん。そうかも知れん、そうじゃないかも知れん」

「やっぱり北が」

「この国には自衛隊がある、専守防衛なら世界一級だろう。海上保安庁もある。飛び道具でそうやすやすと本丸を落とさせるほど馬鹿でも無能でもないよ。第一、北の攻撃ならとっくに連中は威風堂々と作戦成功を誇示しているよ。少なくとも否定なんかしない」

「台風に乗じて撃ってきたとか」

「だったらここまで見事な命中精度はない。海に落ちるのが関の山だ」

「一つ考えられるのは」

 良平が言った。

「核攻撃ならこんな曖昧な報道にはならない。調べればすぐ分かる。ミサイル攻撃も然りだ。これは北にもテロにも当てはまる」

 核攻撃、核戦争後の社会。それ自体がもう古典SFの世界だ。世紀末救世主伝説。

「こんなパーフェクトな仕事をするテロ組織は日本にないだろう。下準備ですぐに足がつく」

「わかっていることは」

 清美が呟く。

「原因不明だけど全てが消えてしまった、ってくらいだ」

 良平が次ぐ。


「父さんのところへ行きます!」

 清美は叫んだ。

 岩田親子は辛そうに互いを見つめ合っている

「昨晩、今朝父からのメッセージを聞きました。父は無事です。至急職場に来いともありました。そこは安全だという意味だと思います」

 そうだ。父はこれを知ってメッセージを吹き込んだのだ。大至急来いと。

「ところで姉ちゃんのお父さんって何者だ」

 清美は父の職業を伝えた。

「なるほどね」

 良平が言う。

「それなら信頼できるな。行けば何とでもしてくれるだろう。しかしな」

 岩田はらしくなく真剣な目になる。

「道中が大変だぞ。危険すぎる」

 良平が続ける。

「日本は水と安全はただ、と言われた時代があったらしい。でも今は違う。やくざ、マフィア、シンジケート、少年窃盗団、もはや裏社会なんて言葉も曖昧なほど悪人がはびこっている」

 それはもちろん清美も知っている。昨日バイクごと小破されたのもおそらく少年窃盗団の類だろう。

「そんな奴らはこういう有事で混乱しているときにこそ乗じて活動する。昨晩だって非人道的な方法でハメられて死ぬとこだったでしょ。この号外、そして続報でタチの悪い奴らがわんさか出てくる。いや、もう十分に出始めてると思う。いま都内に向かうのは連中の思うつぼだ。おすすめできないな」

「それにな」

 岩田は階段に顔向けて気まずそうに言う。

「外国人も沢山増えた。もちろん皆が悪い奴らじゃない、下で働いている連中は優秀なエリートさ、気さくで真面目、申し分ない。しかしそうでない輩もたくさんいる。わかるだろう」

 連続婦女暴行殺人事件を起こした外国人のニュースを思い出す。彼は余りに自分勝手で残忍だった。しかも彼のケースは氷山の一角、外国人による犯罪は年々増えているとニュースの解説者は憂いていた。

「くどいが外人全てが悪ではない、決してない。日本に勉強に来る奴らはむしろいい奴ばっかりだ。しかし毎年各国から日本にやってくる中には、危険な奴らもいるんだ。いや、希望を持って来日した彼らが日本社会に潰されて、危険分子になるんだろうな」

「それに」

 良平が続ける。

「もちろん日本人だって十分危険だ。富裕層と貧困層の格差がとんでもなく広がって社会問題になってるだろ。貧困の差別を受けている人間の敵意はまさに殺人的だ。事実富裕層を狙った無差別殺人が多発してる、何を起こしても不思議じゃない。昨日定置網を仕組んだ少年窃盗団も恐ろしい。連中は罪の意識が低く遊び感覚で人を傷つける。カタギには手を出さない、なんて格好いいモラルもない。時には殺人も犯す。罪を問われると大人のせい社会のせいにするかたちが悪い。結局、日本で犯罪を起こすのは日本人が一番多い。当たり前だけどね」

「加えて」

 岩田が引き継ぐ。

「そういう連中が目の敵にしているのが車やバイクだ。今日び余程収入が安定しているやつじゃないと、車やバイクは買えないし維持できないからな。姉ちゃんのバイクはいいバイクだし、ウチのトラックだって安くはない。徒党を組んで襲われたら一巻の終わりだ。昨晩の件もある」

「つまり、こういう事態になった以上、女の子一人バイクで新宿まで行くのは自殺行為だ」

 良平が断ずる。

 清美は岩田親子の助言を咀嚼する。昨日の出発が如何に無謀だったか思い知る。それでも。

「それでも父が呼んでるんです。至急来いと知らせているんです」

 彼らに比べれば全然理屈になっていない返事しかできない。

「迎えには来てくれないかな」

「こんな時に、私一人のために人を手配することは出来ないと思います」

 岩田は細く短く嘆息する。良平は空を見て考え事をしているようだ。


「良平、一緒に行ってやれ」

「それしかなさそうだね」

「え!」

「姉ちゃん一人より、二人連れの方がリスクは低くなる」

「トラブルがあったとき対処も幅が広がるしね」

「あの」

「ああ、バイクの免許はあるから大丈夫だよ。っていうか大概の車両免許は持ってるよ」

 良平はけたけたと笑う。

「いやそうじゃなくて、それではあまりにご迷惑では」

「このままのぐちさん一人を放っぽり出せないよ」

「それにしたって、さっき自分で危険だって言ったじゃないですか」

「だからこそ二人の方が危険度は低くなる」

「姉ちゃんよ!」岩田は清美の肩を軽く叩いた。

「一飯の恩っていうじゃないか。ここまで来たら、最後まで付き合わせてくれよ」

 一飯の恩って、立場が逆じゃないか。どうもこの親父といると調子が狂う。清美の心を察してか、

「だって俺も良平も姉ちゃんから飯おごってもらったんだぜ」

 といたずらそうに言う。昨晩、岩田と良平がすすっていたカップラーメンを思い出し呆れる。あれが一飯ですか。


「そうとなったら準備をしなきゃ。おっとその前に」

 良平が忙しそうに部屋を行ったり来たりしながら、なにか詰まっている布袋を持ってくる。

 見ると半円形の布(たぶんお便所の座椅子カバーだろう)に細かい軽石を詰めたようなものだ。

「これをこう首に巻いて、ちょっと顎を上げて、マジックテープで貼る。さあどうかな」

 どうやら首のコルセット代わりらしい。細かい隙間は清美自分で微調整する。

「あ、なんかいい感じです。特に首の後ろが楽です」

「うん、即席にしちゃ上出来かな。あくまで気休めだけどね、ないよりましでしょ」

「いえ、あった方がずいぶん楽です。こんなのいつ作ったんですか?」

「昨日あれから二階に上がってから」

 なんという発想と行動力。見た目が知的な学者風なのは伊達じゃない。それともこれが町工場のスピードと柔軟性か。いずれにせよ舌を巻く。

「ヘルメットかぶる時は中の軽石の位置を調節してね。それじゃ、支度してくるよ」

 ありがとうございます、とお礼を言って、朝食をごちそうさせてもらった。

 食事している間、ちらりちらりと号外に目を移す。バラバラのピースが組み始めている気がした。


 なんと良平は濃紺のライダースーツで現れた。肩・肘・膝にプロテクターの付いた本格仕様だ。腕に抱えているのは鋭角的なジェットタイプのヘルメット。長身な上に体格もいいのでやたら格好良い。子供たちのテレビヒーロー、もしくはデパート屋上のアトラクションのようだ。

「ウチのトラックで行くことも考えたんだけどね。渋滞に巻き込まれるのは避けたいし、路面が悪くなっている場所もあるだろう。敵意ある連中に取り囲まれたらアウトだ。フットワークのいいバイクで行こう。もちろんのぐちさんのね」

 清美が慌てて食事をすまそうとすると、

「あ、飯はゆっくり食って。どうせ出発は食後三十分以上経ってからだから」

 妙に細かいことを気にする人だ。健康フェチだろうか。

「のぐちさんプロテクターなかったでしょ、後でこれを付けてね」

 ポイポイ投げてよこしたのは肘と膝のプロテクターだ。頭の下がる思い、思慮の浅い自分が嫌になる。

 食事を終えた清美は工場に戻って自分の荷物をまとめ始めた。従業員は黙々と単調だが精密な作業を続けている。レインコートはスレている箇所が多々あるが大きな破けは見つからない。頑丈なのとエアバッグのおかげもあるかも知れない。プロテクターを付け昨日出発した時と同じ服装になるが、良平のそれと比べると貧相で泣きたくなる。まるで王子と乞食だ。ちょっとしおれた気分で二階に上がり用意が出来た旨を伝えた。良平は清美の姿を見ると、

「あ、ごめーん、すっかり忘れてた。これだから男所帯は駄目だね」

 良平が大げさな声を出す。

「のぐちさんシャワー浴びたいよね。ずぶ濡れの泥だらけだったから。今から浴びてく?」

「そうすると湿布は貼り直しだぞ」

「それもそうか、また買い出しに行かなきゃならないね」

「第一湿布の効力からして、貼り替え時でもあるわな」

「いや、いいです。このままで」

 実は願ってもない魅力的な提案だった。だが岩田の言う通り湿布の買い直し張り直しが必要になるし、あの号外を見たあとではとても落ち着いてシャワーを浴びられる気分ではない。垢と一緒に緊張感や覚悟も流れてしまいそうで恐くもある。良平がいるから大丈夫だと思うが、エロ親父と同じ屋根の下で全裸になるのもちょっと不安だ。

「そうだな、いろいろ振り出しに戻りそうだし、姉ちゃんが我慢できるならいいか。向こうに着いたらゆっくりしろい」

 エロ親父は意外にも清美の断りを素直に受け入れてくれた。


 外はまだ雨だったが雨量は幾分減った。風は相変わらず強い。雲がすごい勢いで走っている。案の定台風は停滞しているな、と清美は思う。しかし空が明るくなっただけでも、昨日のような閉塞感を感じない。今晩中には去ってくれるだろうか。

「ちょっと試運転してくるからのぐちさんのIDカード貸して」

 車もバイクも所有者以外のカードではエンジンがかからない仕組みになっている。良平はエンジンをかけゆっくりと走っていった。見送る清美の横に岩田が立つ。

「アレはああ見えて結構頼りになる奴だ、親のひいき目と思うだろうが信頼していいぞ」

 とんでもない。全幅の信頼を寄せられる。何よりも思慮深く気遣い良く、常に最悪を想定して物事に準備する人だ。一刻も父の元へ、と啖呵を切ったはいいが清美一人では具体的にどうすればいいか考えもしてなかった。岩田親子と離れて再び一人旅。想像するだけで不安に苛まれる。昨夜のような孤独感やトラブルはまっぴらだ。良平なら最善を尽くしてくれるだろう。

 数分で良平は帰ってきた。

「うん、さすがだね。感度良好。ちょっと荒くステアリング切ってみたけど違和感ない。ボディやフレーム剛性、サスも問題なし、完璧な修理だね。エンジン周りに損傷なかったのも幸運だ。できればタイヤ交換をしておきたいけど、さすがにスペアはないからね、しょうがない」

 岩田はさも当然としている。

「ただエアバッグだけはメーカーに修理出さないと駄目だからな。いざという時はお前がエアバッグ代わりに守ってやれ」

「へいへい、僕はいつも損な役回りだよね」

 良平がけたけたと笑う。エアバッグは不能、これは清美も頭に入れておかなくては。


「さて、三人そろっての最終会議と行くか」

 工場の屋根が届く場所に移動し、岩田はアスファルトにあぐらをかく。確かに岩田とはここでお別れだ。清美も良平も腰を下ろす。

「気づいたと思うが送電は早朝復旧した。あくまでこの地域は、の話だがな」

「ライフラインは一通りですか」

 清美が問う。

「通信がどうも芳しくない。固定電話、携帯電話は不通。IP電話も不安定だ。ネットも今回ばかりは当てにならないらしい」

「一七一が使えたのは幸運だったんですね」

「うむ、姉ちゃんが無闇やたらとお父さんの電話をコールするよりは余程ましだったわけだ。結果論だがな」

 父が無闇やたらと自分にコールする状況を考えた。あり得ない。

「で、昨日の話の延長にもなるが」

 議長の岩田が言う。

「姉ちゃん、昨日の地震談義と今朝の号外、突き合わせるとどう思う」

 それは清美が今朝から一番考えていたことだ。冷静に見解を導き出す。

「昨夜未明首都圏中枢部でナニカが起きました。その影響で周辺各地域に中規模地震と感じる大地の震えが発生し、同時に大規模停電が起きました。その直後、誘発されるように大型の地震が再度発生しました」

 岩田は良平に向き直る。

「どうだ」

「依存はないよ」

「つまり二度目の大型地震はおまけだと」

 清美と良平の言葉がシンクロする。

『その通り』

 岩田は頭をかく。

「三者会談は三人そろって見解一致か」

 清美も良平も驚かなかった。岩田はこれを確認したいために最終会議を開いたのだ。

「問題はそのナニカだな」

「それを確認するためにも、のぐちさんと同行したいんだ」

 清美は軽く傷ついた。私を守るためではないのか。

「いやもちろん、のぐちさんを無事に連れて行くのが最優先だけどね」

 取って付けの言葉にも清美はしょぼくれる。

 年の功なのか、岩田は清美を気を遣って念を押す。

「姉ちゃんを守ってやれ」

「もちろんだ」

 良平は請け合う。


「僕は最後の支度をしてくるから、のぐちさんは可能な限りで柔軟体操でもしていて」

 良平は移動しそうになってあっと振り向く。

「それから昨日のライトセーバー、ちょっと貸して」

 清美は荷物から金属棒を取り出し手渡す。工場から工具をいくつか選定して、良平は二階へ上がっていった。背中の痛みは緩和したが、首は辛い。両腕両足、腰の柔軟を始める。左太股や脇腹はだいぶ回復しているようだ。それとも単に鎮痛剤が効いているだけだろうか。そこで清美は思い出し、昨日受け取った鎮痛剤を飲んでおいた。眠くなるのは不安だが、この緊張下でウトウトすることはないだろう。

 後ろから岩田が声をかける。

「こんなこと、俺が言えた義理じゃないが」

 清美は振り返る。

「良平をよろしくたのむ」

 やはり人の親だ。息子が心配なのは当然だろう。

「はい」

 返事をして唇を引き締め、深々とお辞儀をした。

 戻ってきた良平はさらに異様な装いになっていた。ライダースーツの上にブラウンのベスト、さらにその上から毛皮のフードが付いた黒い革ジャンをまとっていた。

「南極にでも探検に行くんかい」

 岩田の言葉に清美も思わず吹き出してしまった。

「念には念を、万全には万全を、ってね」

 良平は自信ありげににやりと笑った。なんだかよくわからないが頼もしい。

「それから、はい。ライトセーバー」

 受け取ったそれは特殊なラップのようなビニールに巻かれていて、筒の両端に新しく穴が空いて麻紐がつながれていた。ラップは防水対策だろうが、この紐は。

「肩にかけてみて」

 なるほど合点がいった。左肩にかけると反対腰にちょうどライトセーバーがぶら下がる。

「うん、長さは丁度良かったね。肩に加重が掛かるけど大丈夫?」

「これくらいなら大丈夫です」

 麻紐が細すぎで痛むのではと思ったが、厚手のレインコートのお陰で思ったより苦ではない。遠足の時に持っていく水筒のようだ。

「でも長時間担いでいるとやっぱり辛くなるかもね。レインコート、いやその下に着ている上着の肩口をゴムで固定しよう」

 良平はまた工場をうろちょろして、小さな板チョコのようなゴムを見つけ出す。一端清美のレインコートを脱がせ、強力な両面テープで上着の肩口とゴムを接着した。

「よし、これでオッケー」

 良平は満足そうだ。確かにゴムのお陰で紐の圧力はほとんど感じなくなった。

「何の役に立つかわからないけど、いざって時に荷物からごそごそ取り出してる暇はないでしょ。こうやってぶら下げておけばすぐに使用できる。ビニールラップは幾重にも巻いたからこの雨の中でも大丈夫でしょう」

 自身の発明を謙遜はしていたが、やはり頼りになる得物なのだろう。清美はとっさに身構えるポーズを何度かとり、二人を笑わせた。

「前後を間違えないでね。お腹が感電しちゃうから」

「おんな佐々木小次郎って感じだな。格好いいぞ」

 岩田がちゃちゃを入れる。

「紐は鋼線にしようかとも思ったけど、何かに引っかかった時危険でしょ。逆に麻紐は水に弱いけど、なるべく耐水性が高いのを選んだから」

「ありがとうございます」清美は改めて礼を言う。本当に至れり尽くせりだ。この男、只者じゃない。今の服装も含めて。


「それじゃ、メットのペアリングしておこうか」

「はい」

 バイクの二人乗りは車のそれと違って会話がしにくい。特に今日のような大雨では尚更だ。なのでバイクのメットにはワイヤレス通信機が搭載されている。あらかじめペアリング(接続設定)をしておけばクリアに会話が出来る。会話可能距離は5m未満と短いが必要十分だ。清美のメットと良平のメットを近づけてペアリングスイッチを押す。これだけだ。念のため会話できるかチェックする。問題ない。

「最初は僕が運転するよ。のぐちさんは体力を温存しておいて」

「わかりました」

 きっと清美に気を遣って言ってくれているのだろう、そして最後まで運転する気なんだなと清美は思う。同時に気が付けば良平に頼り切っている自分を恥ずかしく感じる。岩田の言葉を思い出す。そうだ、良平を無事岩田家に送り届ける、これも私の責務なのだ。

 良平が運転席に座り、清美はタンデムシートに座る。良平はアクセルを軽く空噴かしする。ガソリン駆動が低ノイズで音を鳴らす。

「それじゃ、親父、行ってきます」

「いろいろお世話になりました。また必ずご挨拶に伺います」

 岩田はおう、と応じる。

「さっさと帰ってこいよ」

「そのつもりだよ」

 良平がバイクをスタートさせる。岩田の陰は一瞬で豆粒のようになってしまった。


 バイクのタンデムシートは乗り心地がとても悪い。それが自分のバイクなら尚更だ。アクセル・ブレーキ、特にハンドリングが人任せなのでジェットコースターに乗った気分だ。岩田の工場から幹線道路までは本当にすぐそばだった。

「あの辺りにのぐちさんが転がっていたんだよ」

 良平が説明してくれるが位置は特定できない。

「タイガースファンが転がってるって大騒ぎになった」

「野球とは関係ありません」

 清美は抗議する。

「あれ、そうなの。だったら」

 良平はしばらく沈黙して、

「列車の踏切りファン?」

「なんですかそれは!」

 清美は大声を出すけたけたという良平の笑い声が聞こえる。

「だったら何なの、このカラーリング」

「す、、」

「え?」

「スズメバチです」

 今度は良平の大爆笑が聞こえた。言うんじゃなかった。

「なるほどね。蜂の一刺しってやつだ」

「それは蜜蜂のことだと思います」

「なるほどね」

 またけたけたと笑う。何がなるほどか。

「昨日からバッテリーチャージしているから、この辺りからドライブモード切り替えるね」

 バイクの振動が極端に少なくなる。代わりにジェット掃除機のような甲高い金属音が聞こえる。とても小気味いい。

「うわ、これはいいバイクだなぁ。官能的なノイズだね」

「私の自慢の娘です」

「スズメバチだけにね」

 良平がまた笑う。

 人に運転に身を任せるのは幼少期のサイクリング以来だろうか。いや、継母と自転車で買い物した記憶も蘇る。継母は運転が下手な癖にいつも清美を後ろに乗せたがっていた。乗りたては不安だった良平のタンデムシートも、郷愁とともに気が緩んでいく。


 道中は至って順調だ。緊急時であることすら忘れさせる。良平は文字通り安全運転で、スピードは出し過ぎず安定したハンドルを切る。車両専用道路を過ぎると、街並みが見えてくる。風雨ではっきり見えないが、やはり被災した家屋は見当たらない。飲食店も営業しているということは、ライフラインはほとんど復旧しているのであろう。

 一般道に出ると、ちょっと早いけど休憩しよう、と良平から提案があった。あまりに早過ぎるので面食らったが、コンビニに寄りたいという。地震後の清美と同じで情報収集が目的だろう。

 バイクを停めると、良平はさっそく新聞販売機の前に立つ。見出しが派手なスポーツ紙は避け、適当に一般紙を購入した。コンビニの屋根で雨宿りしながら広げるが、号外以上の確定的な情報は載っていない。清美も横からのぞくが、一面一面黒ベタの大見出しに胸が悪くなる。憶測と不安を煽る内容ばかりだ。北はあくまで攻撃を否定し、テロ組織はその影すら見つからない。

 新聞を脇にかかえて、良平は清美と共にコンビニに入る。おにぎり・弁当コーナーは空っぽだ。ペットボトルの飲料水など申し訳程度に持ちレジへ向かい、良平は店員に話を聞く。

「東京方面に行く車両は多いかな」

「いやー、めったにいないんじゃないですか。ほとんどが脱出組ですよ。でも何が起きているか分からないぶん、つまり緊急性が実感できないぶん、流れものんびりですね、大渋滞も起きていません」

 多弁な店員で助かる、と清美は思う。

「何が起きてるか聞いてる?」

「僕もその新聞程度しかわかりません。今朝の新聞、情報無いにも等しいですよね」

「本社からの連絡とかは?」

「全くありませんし通じません。それを思うと嫌な気分ですよね」

 客が少ないのもラッキーだ。

「上り方面はどう思う?」

「かなり物騒らしいですよ、噂程度しか聞きませんが。こういう時テレビマンや新聞記者とか命がけでしょうね」

「物騒というと?」

「やっぱり物取りじゃないですかねぇ。今はみんな現金持たないから、高級品目当てとか、やっぱり直接車やバイクをとか」

 IDカードで買い物する時は、所有者がカードの所定位置に親指をあてがい認証しないと機能しないので、他人が盗んでも意味がない。ちなみに多少タコができたり切り傷があっても本人確認できるらしい。一般には指紋認証と言われているが、詳細な認証技術は公表されていない。猟奇事件で犯罪者が殺した相手の親指を切り落としカードを使おうとしたが、エラーとなり使用不能だった、という都市伝説もある。

 IDカードは他人が持っても意味はないが、車両とセットとなると話が変わる。IDカードが車両のキー代わりになっているのにつけ込んで、カードと車両を両方一遍に強奪する犯罪者が軒並み増え、闇市場もあるらしい。もちろん強奪には暴力が伴う。岩田と良平が口を揃えて清美を心配した理由も主としてここにある、という話は今朝聞かされた。清美が昨夜ハメられたのは当然の帰結だ。

「お弁当とかは搬入がないの?」

「はい、昨夜の地震以来搬入ありません。お客さんに怒られたり泣かれたりで大変ですよ」

 やはり都市機能が麻痺しているのか。


 良平の後ろに客が並んだので、礼を言ってレジから離れる。

「どう思う」

 良平が聞く。

「うーん、特に目新しい話は聞けなかったですね」

「僕はね、都内に居る人はさほど慌てていない、ってとこに関心を持った」

「あー」

「もちろんナニカが襲った関係省庁付近は謎が多いし混乱もしてるだろう。でもそれ以外の地域では慌てていないみたいなんだよね。のぐちさんの目的地は新宿だったけど」

「父からも伝言ありましたしね」

「うん、そうすると新宿は大きな影響はなさそうだね」

「それから」

 良平は新聞紙をポンと叩く。

「これをみた感想は?」

「大見出しばかりで嫌な気分でした、写真がほとんどないですね」

「たぶん台風の影響だろう」

「あっ、そっか」

「うん、大事件が起きた際、良くも悪くも八面六臂の大活躍をするのはマスコミのヘリコプターだ。これが今回台風の影響でほとんど飛べなかったんだと思うよ。これは政府自治体も同じで、状況把握しようにもヘリが飛ばなければお手上げだ。もちろん今頃マスコミや調査団が決死の覚悟で現地に行っているだろうけど、その結果が報道されるのはしばらく後だね」

「ですね」

「それから」

 良平は視線を清美の高さまで下げ、瞳を見据える。

「これからは本当に命がけだ。相当の覚悟をして下さい」

 清美はお腹に力を入れて「はい」と頷いた。


 良平が運転席、清美がタンデムシートに座りドライブが再開された。出来れば運転を代わると言いたかったが、やはり首の具合が芳しくない。無理をして逆に迷惑をかけたら申し訳ないので、タンデムシートに甘んずる。ジェットコースター気分も慣れてきた。良平の背中にしがみついているととても楽だ。

 街並みは相変わらず安寧足るものだ。高層マンションも目立ってきた。やはり被災した気配はない。今回は地震と直接関係がない、という見立てが確信に変わる。風が幾分冷えてきた。そろそろ多摩川を越えるあたりだろうか。いくつかの信号にあうが、やはり電力は復旧しているようだ。交差点を過ぎては止まりしていると、じょじょに周りの車両も多くなってきた。

「さてと」何かの空気を察したように良平が呟く。意味が分からず黙っていると、オフロードタイプの旧式バイクが二、三台、清美たちのバイクに併走してきた。明らかに威嚇のアクセル音だ。TOMARE、といっているらしい、囲むように走行している。良平の様子を伺うが意に介さず、といった雰囲気だ。「どうするんですか」と声に発するが返事はない。一台のバイクが意を決したよう接触寸前まで近づき、足でこちらのバイクを蹴る。良平のハンドルさばきは絶妙で、揺れた車体はすぐに安定した。相手の行動を合図にしたかのように良平は右手でハンドルとアクセルを器用に操りながら左手で胸元をごそごそと探る。無造作に取り出したのは「拳銃!」清美は息を呑む。相手もひるんだろう、距離を置くが良平は容赦ない。至近距離まで近づくと「キン」とバネがはじけるような音がして相手の足に針のようなものが刺さった、ように見えた。ぐぁという悲鳴も聞こえた気がする。バイクは一気にスピードが下がり、その仲間も減速したバイクを気遣うかの様に後方へ消えていく。

「なんですかそれは!」清美はたまらず叫んだ。

「小型の水中銃、を改造したものだね」良平はつまらなそうに言う。

「本来は二十センチほどの矢を放つものだけど、そのままじゃさすがに危険だからね。三センチほどの銛を放つように改造した。但しこの銛、四重の逆さ針状になっていてね、受けた痛みより抜く痛みの方が辛いんだ。激痛だよ」

 良平はサディスティックに笑う。

 この男、コワい。今までの評価を改めて見直さなければ。彼の笑い声に清美は心底ゾッとした。

「でも立派な正当防衛だろ。僕は相手が仕掛けるまで我慢した」

 過剰防衛ではないだろうか。打たれたショックで相手が転倒したら命に関わる。そもそも良平がその武器を持っていること自体銃刀法違反ではないだろうか。

「ベストの中には他に何が仕込んであるんですか!」

「内緒! 使わないに越したことはないしね」

 色々な疑惑が清美の中で交錯する。清美の不安を察してか、

「これ全てのぐちさんを無事に送り届けるための用意だから」

 それを言われるとぐうの音も出ない。反論したい気持ちを押し殺して、清美は良平の背に身を任せるしかない。

 道中は長い。良平が律儀に法定速度を守ってくれているから尚更だ。清美ならとっくにすっ飛ばしているが、それが原因で昨日の網に掛かったことを思うと文句は言えない。

「一番怖いのは昨晩ハメられたような定置網だよ。それに比べればさっきの連中は可愛いものさ。自身の命もかけてる分、潔さも感じる、嫌いじゃないよ」

 良平はしれっと言う。

「まぁ日が明るい時間帯は定置網もそうそう仕掛けられないだろうけどね。用心に越したことはない」

 いちいちもっともだ。しかし清美はさっき良平が打った水中銃のショックが忘れられないでいる。

「くどいけどさっきの連中は可愛いもんだった。こっから先、どんなのが待ち構えてるかわからない。繰り返すけど覚悟しておいてね」

 しておいてね、で出来るものではないが、清美は腹を括ろうと努力する。何が起きても変じゃない。




 多摩川まで数kmといったところか。だんだん都会の空気を感じる。もちろん本当に空気が変わったわけではないが、街並みにチマチマして立体感がある。しかしそれも今までの感覚からすると違和感がある。路肩が汚い、というか下品だ。少年だろうか、アスファルトに座り込んで通行車両を藪睨みしている。スラム街? だかに入った気分だ。やはり今朝の号外で捨て鉢になってる輩が多いのだろうか。特に若者は繊細だ、正にも負にも極端になりやすいのだろう。

 正面で路上駐車していたアルミコンテナのトラックが急発進した。良平は自然アクセルを緩ませる。気が付くと後方からも同種のコンテナトラックが近づいてきた。清美は嫌な予感に襲われる。道路は片側二車線、前方に左車線のトラックと良平が運転するバイク。右車線にバイクと併走するように同種のトラックが走っていた。前方のトラックが徐々に減速していく。

 良平が行動に出た。今度はアクセルを握っている右手を離し左脇から水中銃を取り出す。今度は改造前の本物だ、と清美は直感した。併走するトラックの後輪を打つ。タイヤは金属音を立てるが変化はない。

「やっぱりそう上手くはいかないな」

 良平がまたつまらなそうに言う。

「貸して下さい!」

 清美は水中銃とスペアの矢を受け取る。装填して運転席を狙うと、

「駄目だ!」

 と良平が制する。

「それは反則だ」

 清美自身興奮していたのだろう、良平の言葉で我に返る。故意に人を殺めてまで助かりたくない。改めて併走車後輪を狙って放つが手応えがない。やはり高速走行中は無理があるのだろう。

「捨てちゃえ、そんなもん!」

 良平が叫んだ。

 清美は水中銃を投げ捨てた。良平も残弾であろうヤリをぱらぱらと捨てる。

 良平はすでに前方とトラックに併せて減速するしかない。右に避けようにももう一台のトラックが邪魔をしている。急減速してやり過ごそうにも脇道もない、交差点もない。

 遂にはトラックにあわせて停車されてしまった。清美の不安は膨らむ。良平はとっさに清美のIDカードを後ろ手に渡した。清美も慌ててレインコート内側のジーンズにカードを隠す。

 正面のトラック助手席からハゲタカのように陰湿そうな痩せた男がレインコートを着て降りてきた。

「まずはヘルメットをはずせ」

 従うしかない。これで内密の会話は出来なくなる。

「さて、兄ちゃん姉ちゃん、用件はわかるな。そのバイクを寄こしな」

 B級映画の悪党のような台詞を言う。トラックのフォーメーションは完璧だった。要求も端的、プロの手口だろう。

「そのバイク限定仕様車だろ。センス悪いペインティングしたって分かるんだよ。おとなしく渡しな」

 運転席から、絶滅したマウンテンゴリラのような男が雨ざらしのまま降りてきて言う。センス悪いという言葉にが引っかかったが今はそれどころではない。ハゲタカは丸腰だが、その余裕はゴリラの存在か。

「姉ちゃん、何だその腰にぶら下げている水筒みたいのは」

「水筒です」

「なるほど」

 興味がなければ聞かなきゃいいのに。

 前走のトラックにハゲタカとゴリラの二人、併走のトラックに同じく二人が降りてきた。ハゲタカがリーダーだろう。四対二だ。緊張と諦めの気持ちが行ったり来たりしていると、良平はコツコツと清美の腰にあるライトセーバーを改めてを叩く。今こそが使い時だ、清美は冷静さを若干取り戻し状況を睨む。

「参った、降参だ、好きにしてくれ」

 良平は良平のIDカードを投げて寄こした。「物わかりがよろしくて結構」ハゲタカは怪盗紳士のような台詞を吐いてカードを拾う。だがせっかく拾ったIDカードは、バイクに差すとエラー音を奏でた。

「おい、なめたまねすんじゃねーよ」

「ごめんなさい、彼女のカードと間違えました。許して下さい。僕のを渡します」

 良平の演技がかった情けない台詞に呆れながら心の準備をする。

 良平は胸元を探りながらハゲタカに近づく。多勢の余裕だろうか、ハゲタカは警戒心も持たず良平の接近を許す。ゴリラはハゲタカの斜め後方、残りの二人は清美に近づく。場合によっては人質というわけか。清美は良平が何をしでかすのかとハラハラしてみている。

 良平が胸元から引っ張り出したのはペンライトのような細長い棒だった。ハゲタカがうかつにも「んん?」のぞき込んだ瞬間、ペンライトが炎を噴いた。炎はあっという間にハゲタカの顔を覆う。ハゲタカがぐわっと悶えている間に良平は惜しげもなくペンライトを投げ捨て、ベストから再び新しいペンライトを引っ張り出す。

「清美さん!」

 良平が叫ぶ。清美は躊躇なくライトセーバーのスイッチを入れた。突如として青く輝く剣が電撃音と共に出現する、二人はぎょっとして数歩後ずさりした。柄を振るとわざとらしい振動音(子供のおもちゃ)が鳴る。岩田の言葉がオビ・ワンのように蘇る。〝人は未知の得物をみると本能的にビビるのだ〟。殺傷力はないと聞かされているので清美は全力だ。背の低い男の顔をめがけて突きを繰り出す。当然男は避けるので横薙ぎに振る。光の先端が男の顔をなでるとぎゃあという悲鳴を上げて尻餅をついた。もう一人は完全に及び腰だ。「や、止め」男の言葉を無視して今度は向かって右肩から反対側の腰にかけて思い切り斬撃をふるう。芯棒がしなるように相手の身体をなでる。男はやはり悲鳴を上げて腰砕けになった。

 振り向くと良平はゴリラにマウントをとられていた。ゴリラの顔は日焼けしすぎたように赤く、眉毛やまつげ縮れてなくなっていた。光の剣はまだ輝いている。清美は急いで二人に近づき、ゴリラの顔をめがけて剣を振る。ゴリラはぐっとうめき「痛えなこの野郎」と清美に向かってくる。剣を握り直し迎え撃つべく体勢を整えるがゴリラは全くひるむ気配がない。光の剣が忽然と消える、バッテリー切れだ。駄目かも! 清美は諦めかける。ゴリラは歩み寄る途中でぎやあああ、と絶叫し身体を痙攣させ倒れた。みると良平が這いつくばってゴリラの足に髭剃りのようなものをあてがっていた。本物のスタンガンだ。清美はその場にへたり込んだ。


「清美さんはその場で落ち着いて気を取り直して。僕は急いで処理するから」良平は自分のIDカードを拾い、清美に声をかける。

 処理? 何のことかわからないが清美は呆然と良平の動きを見守る。例の三センチ銛を放つという改造水中銃を握って装填? しているのだろうか。意識がはっきりしている清美が攻撃した二人から〝処理〟をはじめる。改造水中銃で相手の掌、ふくらはぎを撃ち、靴を脱がせて足の裏を撃つ。いちいち挙がる悲鳴に清美は眉を寄せる。ハゲタカも同様だ。

「覚えてろよ」ハゲタカは負け惜しみを吐く。

「忘れました」良平は両手両足を撃つ。

 最後にゴリラが残る。

 「この人はタフだったなぁ、炎にも屈しなかったし。きっと本物の格闘家だよ、プロレスだかレスリングだか。マウントとられた時は殺されるかと思った。打たれ強さも我慢強さも肝の据わり方も半端じゃなかった。見事だったよ」

 称賛しながら良平はゴリラの両の掌、二の腕、太股、ふくらはぎ、そして靴を脱がして両足の裏を撃つ。追いかけてくる事を想定して徹頭徹尾だ。

「さて、ドライブ再開と行きますか」

 良平に促されるが清美はいろいろなショックで立ち上がれないでいる。清茫然自失でへたり込んでいる清美を、良平は首根っこを猫のようにつかんで強引に立たせる。

「僕の武器はそろそろ在庫切れに近づいている。清美さんも虎の子のライトセーバーを使ってしまった。今度同じ目にあったら対処しようがない。急ごう」

 清美は震える自分の手足を叱咤し力を込める。残りはあとわずかだ。

 二台のトラックは完全に道路をふさいでいる。良平と清美は歩道にバイクをよっこらせっと載り上げ、トラックをやり過ごし再び公道に戻る。後続の車はどうするのだろう、と清美は余計な心配をする。

「首の具合はどう?」

 良平の問いに

「辛いですが、我慢できます」

 と正直に答える。

「もう少しだから頑張って」

 良平はバイクを発進させた。

 良平に身を預けている清美は問う。

「あの〝処理〟、やり過ぎじゃないですか」

「何で?」

 良平は涼しい声で答える。

「僕は僕なりに紳士的な〝処理〟をしたと思っているよ。致命傷は避けた。人体医学に詳しくないけど、胴体や動脈を傷つけなければ死ぬことはないでしょ。あの程度なら死ぬような痛みはあっても、放っておいて死ぬことはないよ、たぶんね。実際スプラッター的な出血はなかったでしょ」

「はぁ」

 言われてみれば出発してトラブルに巻き込まれたが、良平は一貫して四肢への、特に末端の方に攻撃をしていたことを思い出す。

「それより連中は計画的犯行だっただけに面子がある。たぶん連中が何かの手段で追いかけてくるだろう。それを少しでも防げただけでも、適切な〝処理〟だったと思うよ。もちろん仲間がわんさかいれば意味がないけど」

「そんなことより」

 良平は続ける。

「あのリーダーは中堅どころのやくざだったかも知れない。このバイクは落ち着いたらナンバー変更するか買い換えた方がいい。連中はきっとナンバーを覚えているだろう。しかもあの失態だ。血なまこになって探すかも知れない。住居も変えた方がいいかも」

 住まいを移すことには何の未練もないが、バイクを手放すのは惜しい。しかしあの場でいいなりになっていたらIDカードもろともバイクを持って行かれた。いずれにせよスズメバチとは別れなければいけない。悲しいが「もし~なければ」が考えても切りがない、諦めるしかない。そもそも昨晩の事故で無事だったことが奇跡なのだ。


 多摩川の橋を渡る前に検問があった。

「もうちょっと外側でやってくれればいいものを」

 良平が舌打ちする。清美も同感だ。そうすればあんなトラブルに巻き込まれなかったのに。同時に良平の完全武装をどう繕うのか心配にもなる。

 二人乗車と言うことで、清美と良平は別々に検問を受けた。ウソや隠し立ては却って疑惑になると思い、アパート出発から岩田親子との出会い、良平の「正当防衛」のための武装も訴えた。行き先と目的も話すが、取調官はつまらなそうにうんうんと頷く。清美は呆気なく解放された。

 良平はかなり時間がかかっているようだ。

 だいぶん待たされた後、良平が帰ってきた。

「武器は押収」

 良平は両手を挙げてけたけたと笑った。

「清美さんがフォローしてくれたからかな? 一応自己防衛グッズとみなしてくれたらしい。普通じゃあり得ないけど、やっぱり異常事態が起きているのかな。僕が持っていたのは大量殺人兵器じゃないから免除してくれたらしい」

 普通じゃあり得ない、やはり銃刀法違反にひっかかる防具もあったのだろうか。そういえばトラックとのカーチェイスで、良平が二十センチ矢の水中銃の破棄を命令したのを思い出した。本人も矢を捨てていた。これは偶然だろうか、清美は唸る。

 これで良平も清美も丸腰になった。役目を終えたライトセーバーがことりと清美の腰に存在する。お役目ご苦労さん、本当に助かったよ。でもまだ一緒にいてね、と清美は思う。


「さてと、道中もクライマックスだね」

 良平が気合いを入れる。必要のなくなった良平のベストは荷物入れに放り込んだ。一体これに何を仕込んであったのか、清美は問いたかったが黙ることにした。

「でも、これで私達は丸腰、不安ですね」

 清美が堪らずいう。

「ん? 逆だよ」

 良平は気楽に言う。

「さっきの様子だと、おそらく検問は多摩川を渡る道路で徹底的にやっていると思う」

 良平は伸びをして続ける

「トラックに阻まれた時は僕も真っ青だったし、清美さんにも厳しいことを行った。でもこの先は警察が検問を受けたものしか入られない。今からその検問の内側に入る。さっきまでと比べれば安全地帯だよ、人道的にはね」

 なるほど、外敵からは守られたエリアに入ると言うことか。しかし都内に滞在した悪魔も存在するだろう。

 清美の気持ちを察してか、

「大丈夫、まがりなりにも首都東京だ、問題ないよ。それより」

「はい?」

 良平の鼻孔にさっきから嫌な空気がまとわりついている。風下になったからだろうか。焦げ臭い? 火災現場? しかし見渡す限りでは火災が起きている様子も騒動も感じない。そもそもこの大雨だ、大延焼は低いだろう。それにこの臭いは木材が燃えた臭いではない。それよりはもっと……。だとしたら。

「いや、なんでもない」

 良平がポンとメットを叩く。

「新宿までもう少しだ、行こう!」

 良平がアクセルを回し、清美のバイクは無音に近いノイズを発した。


次回オーラスです。2/5 17時投稿。

何故にブラームスをタイトルにしたかもわかって頂けると思います。

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