夏目の言葉を借りて
さらさらと、ススキの穂の音が耳に届く。
既に陽の光はなく。
少し暖かいとはいえ、陽のない夜に浴衣は、少し肌寒い。
手を絡める。
その絡める手が、ほんのり暖かく感じる。
「ねえ、見て」
ふと、隣にいた黒髪の君が空を見上げた。
嬉しそうに微笑み、そっと空を指さす姿が、なんとも愛らしい。
「だから、私じゃなくて、あっち。あっちを見てよ」
そんな君にくすりと僕は微笑んだ。
「うん、わかったよ」
もう少し君を見ていたかったから、とても名残惜しそうにゆっくりとした動作で空を見上げた。
「ねっ! 綺麗な満月でしょ!」
「ああ、とても……月が綺麗ですね」
うっとりと眺めるようにそう僕が呟くと。
ぐいっと彼女が僕の腕を強く引っ張った。もう少しで転びそうになったが、飛び込んできた不機嫌な君の顔になんとかぐぐっと、堪えることが出来た。
「どうして、そこで他人行儀になるのっ!」
どうやら、僕の台詞にご立腹のようだ。
思わず、ふうっとため息を漏らす。
「夏目漱石って知ってる?」
「えっと、昔、お札になった人の事? どうして、その人が出てくるの?」
僕の言葉にどうやら君は面食らっているようだ。
近くにあったススキを一つ、もぎ取って、君の小さな白い手に優しく手渡す。
「その人がそういう風に訳したんだよ」
「訳したって、なにを?」
首を傾げるたびに、君の後ろに付けられた藍色のリボンが揺れる。
それもまた、君の愛らしさに深みを与えてくれていた。
「英語で『I love you』」
「ふうん……そうな………へ? えっ?」
そっけない反応から、頬を染めて慌てふためく君もまた、愛らしくて今にも抱きしめたくなる。
と、後ろによろけて転びそうになったので、さっと君の手を引いて、抱き寄せた。
音もなく、僕の手渡したススキが地面に落ちていく。
「……あ、ありがと」
「それは君を助けたことの事、それとも……」
「い、意地悪なんだからっ!!」
顔を真っ赤にして、僕を押しのけると、君は僕との距離を開けていく。
と、君が落としたススキを拾って。
「もお、帰ろ? 寒くなっちゃった」
「了解、帰ろ帰ろ」
ススキを持っていない君の手を、掬い上げるように手をつなぐ。
チカチカと揺れる電灯の下で、君は恥ずかしそうに、僕の顔を見ずに呟いた。
「わたしも……月が綺麗ですね」
そっと恥ずかしそうに空を見上げる君を、後ろから強く抱きしめ、そして、君の照れる顔を見た。
「本当に、月が綺麗だよ……とってもね」
電灯に照らされ伸びる、二人の影が重なった。
さやさやと風がススキを揺らしていく。
少し肌寒く感じるが、君と僕との間は、いつの間にか春を通り越して、夏が来ているようだった。