王様
王様
ある小さな国に、とても立派な王様がいました。
王様は国民のことが大好きだったので、一生懸命働いて素晴らしい国をつくりました。
王様には、とてもきれいなお后様がいました。
名前は『春風姫』といい、その春風のように暖かい笑顔は王様の心をいつも幸せにしてくれます。王様が忙しくてかまってくれない時など、たまに嵐のように怒り出し、王様や家来を困らせることもありますが、王様がそばにいてなぐさめると、すぐにまた春風のような笑顔に戻ります。
王様は春風姫のことを、世界中の誰よりも愛していました。
ある日、王様と春風姫は王国で一番高い山に遊びに来ていました。季節は春、空は晴れわたり、山の上には気持ちの良い春風が吹いています。元気に山道を駆け上がる春風姫の後ろから、王様はハンカチで汗を拭きながら登ってきます。
山の頂上からは、王国が一望できます。
「美しい国。あなたがいつも国民のことを考えて働いているおかげね。」春風姫は柵にもたれながら、暖かい笑顔で言いました。
「何よりも、君のためだよ。君が住む世界をもっと良くしてあげたい。君をもっと幸せにしてあげたい。そのために、今までがんばってこれたんだ。」
「ありがとう。私は今、とても幸せよ。でも、あなたはこの国の王様だから、何よりもこの国のことを一番に考えなきゃだめ。全ての国民の幸せが、あなたにかかっているんだから。」
王様は春風姫の横に並んで自分の国を見下ろしました。
「わかった。これからも、国民のためにもっと素晴らしい王国をつくっていくよ。約束する。」
その時、ひゅうっと強い風が吹き、王様のハンカチが柵の向こうの崖にひらひらと落ちていきました。
「あっ。」
春風姫が柵から身を乗り出したその時です。
『バキバキ・・・』
急に柵が折れ、春風姫が崖の向こうに吸い込まれていきました。
王様がとっさに伸ばした手は、空を切ります。
王様はすぐに柵を乗り越え、崖から飛び降りようとしました。
「お待ちください。」
一番近くにいた家来が王様を後ろから取り押さえました。
「姫を、春風姫を助けさせろ!」
王様はもがきましたが、屈強な家来たちに取り押さえられてしまいました。
王様は、暴れないように手錠をされ、王宮に連れ戻されました。
王宮に戻った王様は、しっかりと拘束され、部屋に閉じ込められました。
その日の夜、王様の部屋からは一晩中、悲痛な叫び声が聞こえていました。
翌日、王様は国の職人たちを王宮に呼び、カラカラの声で言いました。
「山の頂上の柵を作ったのはお前たちか?」
王座から立ち上がり、ゆっくりと階段を下りていきます。
「はい、あれは俺たち全員で作りました。」
「昨日、あの柵が壊れて私の妻である春風姫が崖から落ちた。」
職人たちの顔が一斉に青ざめました。
「それは・・誠に申し訳ありませんでした。」
職人たちは次々と床に頭をこすりつけて謝りました。
「お前たちのせいで・・私の大事な春風姫が・・・・」
王様は深く頭を下げている職人たちの前で立ち止まると、一番前にいた職人の顔を思い切り蹴り飛ばしました。
「本当に、本当に申し訳ありません。どんな処分でもお受けします。」
職人たちは必死に謝ります。
「お前たちの処分は決まっている。全員、死刑だ。この職人どもを引っ捕えろ!」
王様が叫ぶと、大臣が慌てて言いました。
「お待ちください。職人をみんな死刑にしてしまいますと、家や道路が作れなくなってしまいます。」
王様は大臣をぐっと睨みました。
「そんなことは関係ない。春風姫を殺された怒りは、こいつらを全員死刑にしないと収まらん。お前たちにできないというのなら、私がこの場で殺してやる。」
そう言うと王様は、腰につけた剣を抜きました。
「お、お待ちください王様。わかりました。この職人どもを地下牢に連れていけ。」
うなだれて歩く職人たちの後ろ姿を見送り、王様はしぶしぶ刀を鞘に戻しました。
王様が部屋に戻ったあと、大臣は家来たちを集めました。
「なんとか王様に怒りを鎮めてもらう方法はないだろうか。職人たちを全員死刑なんかにしたら、大変なことになってしまう。」
家来たちは大臣と一緒に一生懸命考えましたが、なかなかいい案が浮かびません。みんなが案を出し尽くして、黙ってしまった時、一人の家来が言いました。
「洞窟の魔女に相談してみたらどうだろう。」
みんなは顔をしかめました。大臣も眉間にしわを寄せています。
「いい案とは言えないが、試してみる価値はありそうだ。誰か、洞窟の魔女を急いで探しに行ってくれ。」
数人の家来が馬に乗り、山奥の洞窟に向かいました。
しばらくして、洞窟の魔女が王宮に着きました。ぶつぶつ文句を言いながら、馬から降ります。
「まったく、迎えに来るなら馬車くらいよこさんか。ちゃんと報酬はもらえるんじゃろうな。」
大臣が一生懸命なだめながら、魔女を王様の前に連れて行きます。
部屋で暴れていた王様も、家来たちに連れられてなんとか王座につきます。
「お前は洞窟の魔女か。よく王宮に来られたものだ。何か用か?」
「なるほど、たいそうお怒りでございますね。今日は王様の怒りを鎮めに参りました。」
魔女はにやにや笑いながら言いました。
「わたしの怒りを鎮めるだと? いくら魔女といっても死人を蘇らせることなどできないだろう?」
「たしかにそれはできません。ですが、王様の怒りを取り除くことはできます。」
「いい加減なことを言うな。春風姫を殺されたんだ。職人どもを死刑にしない限り、わしの怒りは収まらん。」
王様は歯を食いしばり、肘掛をおもいきり叩きました。
「あたしはあんたの怒りを取り除くと言ったんじゃ。つまり王様、あんたの『怒り』という感情そのものを、取り除いてしまう。そうすれば、怒りに支配されることもなく、冷静な判断が下せるのじゃあないかな?」
王様はしばらく下を向いて考えていましたが、顔を上げて言いました。
「おもしろい、やってもらおうか。」
魔女はさっきよりも余計ににやにやしながら、王座の前まで歩いて行きました。そして歩くのに使っていた杖を王様の冠に当てると、なにやら呪文を唱え始めました。
すると、王様の頭が真っ赤にひかり、光は杖に吸い込まれていきました。
光が消えると、魔女はすたすたと歩いて部屋を出て行きました。
王様はしばらくボーッとしていましたが、立ち上がり、地下への階段を下りていきました。大臣たちも慌てて後を追います。
地下牢の前に立った王様は、牢屋の扉を開けさせ、職人たちを外に出しました。
「君たちをこんなところに閉じ込めてすまなかった。あれは事故だ、君たちのせいではない。どうかこれからも、一生懸命働いて欲しい。よろしく頼む。」
王様は深々と頭を下げました。職人たちは大泣きしながら、これからも国のために一生懸命働くことを誓いました。
大臣と家来たちはホッと胸をなでおろしました。
王様は、もう怒ってはいませんでした。
次の日、王様は春風姫のお墓の前に来ていました。姫が好きだったきれいな花畑の真ん中に、墓石が建っています。
王様はお墓の前で大泣きしました。次から次へと涙があふれてきます。
「ごめんよ。私のせいだ、ごめん、ごめんよ。」
朝から晩まで泣き通し、涙が枯れても、声を上げながらお墓にしがみついています。大臣や家来たちがいくら言っても王宮に戻ろうとはしません。
大臣は困り果てて、もう一度、洞窟の魔女をお墓のあるお花畑に呼びました。
「今度はあたしに王様の『悲しみ』を取り除けというのか?」
大臣は深く頭を下げて言いました。
「どうかお願い致します。今の王様は水も飲まずご飯も食べません。このままではすぐに死んでしまいます。王様を悲しみから開放してあげてください。」
家来が大量に金貨の入った袋を持ってきました。
「まあ、あたしは報酬さえもらえれば、なんでもやるけどね。」
魔女はお花畑を横切り、墓石にしがみついている王様の後ろに立ちました。以前と同じように、杖を頭に当て呪文を唱えると、王様の頭から青白い光が杖に吸い込まれていきました。
大臣が後ろからゆっくり近づいて、王様の顔を覗き込みます。
王様はもう、泣いていませんでした。
「喉が、乾いた。」
王様は家来が持ってきた水をごくごくと飲むと、立ち上がりました。
「王宮に帰ろう。仕事がある。」
それからは、王様は元の立派な王様に戻りました。
もう、怒って暴れたり、泣いたりしません。
怒りも悲しみも感じない王様は、いつも冷静で合理的で、国はどんどん発展していきました。
その様子を見ていた、隣の大きな王国が、一つの提案をしてきました。
その王国のお姫様、『秋風姫』を、王様の妻にしてほしいと言ってきたのです。知らせを聞いた大臣は大喜びしました。大きな国からお姫様をもらえれば、いざという時にこの国を守ってもらえます。しかし、知らせを聞いた王様は、首を横に振りました。
「私の妻は春風姫ただひとりだ。彼女のことを愛する気持ちが私の中から消えることはないだろう。」
「しかし王様、今この国には王子がおりません。このままでは次の王様がいなくなり、この国は滅んでしまいますぞ。」
大臣はなんとか説得しようとしましたが、王様の気持ちは変わりません。
「妻はとらない。もしそれでこの国が滅んだところで、私は何も感じないだろう。怒りも、悲しみも、ずいぶん昔になくしてしまった。」
大臣は困り果てました。王子がいなくては、王国は成り立ちません。もう一度、洞窟の魔女に相談することに決めました。
「どうかお願いします。なんとか王様が隣の国のお姫様との結婚を決意できるようにしてください。」
大臣は魔女に頭を下げて頼みました。
「今度は私に春風姫への愛を取り除けというのだな?」
大臣は苦しそうな表情で、首を縦に振りました。
「それは無理じゃ。」
「報酬ならいくらでもお支払いします。」
「わしの魔法は、人の感情を吸い取るものじゃ。だから王様の怒りも悲しみも取り除けた。」
「ですから次は、王様の愛情を取り除いてもらいたいのです。」
「お前さんは誰かを愛したことがないのか? 愛情とは様々な感情と、思考の積み重ねじゃ。悲しみや怒り、喜び、時には妥協や憎悪さえも含まれる、非常に複雑な現象なのじゃ。愛する心を取り去ることなど、誰にも出来はしない。」
「それならば、王様に結婚の決心をさせることはできないのですか? このままでは王国は滅びてしまいます。」
魔女は黙り込んで、じっと杖の柄を見つめました。ガラスの球体の中で、赤と青の光が、らせん状に絡みあっています。
「王様と話をさせてもらおうかのう。」
魔女はため息をひとつつき、王宮に入って行きました。
王様の前に立った魔女は言いました。
「隣の国の姫とは結婚したくないそうじゃな。お前は王様じゃろう。国を守らなくてもいいのか?」
「私が守りたいのは春風姫ただひとりだ。春風姫を裏切ってまで、この国を守りたいとは思わない。」
王様は、淡々と言いました。
「春風姫が死んだあと怒りも悲しみも感じなくなって、私の心には大きな喪失感しか残っていない。この国が滅びたときのことを考えても、何も感じないんだ。悲しむとか、腹が立つとか、想像したら何か感じるはずなのに、できないんだ。」
王様は頭を抱えました。
「お願いだ。私を元に戻してくれ。もう一度、怒りや悲しみと向かい合ってみたいんだ。」
魔女は黙って王様のそばに行くと、杖を頭に当てました。赤と青の光が混ざり合って王様の頭に吸い込まれていきます。
がくんと、王様が前のめりに倒れました。
「ううわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
王様の叫びが王宮中に響き渡りました。拳で床を殴りつけ、王座を蹴り飛ばし、ガラスを割って暴れます。
家来たちが慌てて取り押さえようとすると、魔女が叫びました。
「放っておきな。しばらく暴れさせておけ。」
それから三日三晩、王宮には王様の叫び声と泣き声が絶えず響き渡っていました。家具は壊れ、ガラスは割られ、家来たちは毎日、王様が壊したものの後片付けをしていました。
そして四日目の朝、王様の泣き声がぴたりと止みました。
王様はふらふらしながら家来たちの前に姿を現し、倒れた王座を起こして座りました。
「秋風姫を、妻にとる。」
大臣も家来も、突然のことにぽかんとしています。
「何をしておるか、すぐに隣の国に連絡し、式の準備じゃ。」
みんな一斉に動き出しました。家来は隣の国に走り、大臣は結婚式の準備をします。壊れた王宮を直すため、たくさんの職人がやってきました。
王様はみんなの働きを、ただ黙って見ていました。
お花畑には、太陽の光がサンサンと降り注ぎ、心地よい風が吹いています。
王様は春風姫のお墓に花を添え、膝まづきました。
「これから、結婚式なんだ。悲しみと怒りに支配された僕に結婚の決断ができたのは、君と交わした約束のおかげだ。僕は王様として、この国を素敵な国にして未来に託すと約束した。この国は素晴らしい国になった。あとは次の王様にこの国を託すだけだ。秋風姫との間に子供が出来て、その子に王様が務まるようになったら、僕の役目は終わりだ。そしたら、すぐに君のところに行こう。だからそれまで、あと少しの間、このお花畑で待っていてくれ。僕が王様という束縛から解放されて自由になるその日まで。」
王様の頬を一筋の涙がつたいました。
「ごめん、ごめんよ。」
その時、お花畑に春風が吹き渡り、王様の涙を拭い去りました。
「王様、そろそろ結婚式に向かうお時間でございます。」
大臣が声をかけました。
振り向いて、お墓を背に歩き出した王様の目には、もう涙は浮かんでいませんでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
拙い文章ですが、楽しんでいただければ幸いです。