農夫の話
薄暗い森の中には人の気配は愚か、獣が通って形跡すら無い。
そんな深い森の中を一人のやせ細った男がよろけながら歩いていた。
本当にこの道で合っているのだろうか?本当に私はあそこに辿り着けるのだろうか?
そんな不安ばかりが男の胸から抜けていく。
「…ッげほ…」
こぷり
男は何度目かの吐血をする。
朦朧とした意識をなんとか繋いで、獣一匹居ない森を歩き続ける。
男は大きなブナの木の前を通り過ぎ、そこから5分程歩いたところに、庭に青い実のなる林檎の木が生えた青い屋根の家を見つけた。
「あぁ、あそこが」
魔女の家。そう呼ばれる小さな家の庭を、1羽の青いが飛んでいた。
そこで男の意識は途絶えた。
―――あら、死んでしまったのかしらね?
「…ッく」
目を覚ますと、そこは粗末なベッドの上だった。男の視界には煤けた天井と、10歳程だろうか?小さな子どもの姿が映る。
「道に迷ったのかしら?それとも貴方も不死になりたいの?」
青い鳥が少女の肩に止まる。
「助けてくれ…!私には時間がない、不死に…不死にならなくてはいけないんだ…!」
男は少女の言葉を聞くと飛び上がり、そしてすがるように少女に頭を下げる。
しかし少女は男を冷たく見下ろすと
「ダメよ」
と一言言葉をかけてカップの置かれたテーブルセットの元へと行ってしまった。
少女は椅子に腰掛けると、カップの中の温かい紅茶を一口飲む。
男は再度少女に向けて頭を下げる
「お願いだ…!私はこのままでは死んでしまう!私が死んだら家族が生活して行けないんだ…!」
少女は訝しげな顔を浮かべると、男に目の前の椅子へ座るようにと促した。
「座って。聞いてあげるわ、貴方の不死の理由を」
***
男は、東の小さな農村に生まれトウモロコシを栽培して生計を立てて居た。
特別美人では無いが、気立ての良い妻をもらい子供を3人もうけた。
大きな農園では無いために、人を雇うようなことは出来無かったが妻と3人の子どもと共になんとか日々生活をするだけの食べ物を得ることができていた。
男は幸せだった。
畑仕事は大変だが、妻と子供が家に待っていると思えば辛くは無かった。
収穫期には、妻も子供の世話をしながら手伝ってくれる。
不自由は多いが、幸せな生活を送っていた。
しかしそんな男の幸せは一年前の秋に全て崩れ去ってしまった。
不治の病に侵されてしまったのだ。
男ははじめは働いた。妻にも子供にも病のことは告げず、血を吐きながらも必死で家族のためにと働き続けた。
しかし、年が明けて山に彩りが戻る頃だった。
男は倒れてしまったのだ。畑を耕している途中に、クワを抱くように倒れている男を見つけたのは妻だった。
男の病を知ってしまった妻は男の代わりに畑仕事をするようになった。
しかし、子を育て、男の看病をしている彼女には畑仕事などまともにこなせる訳がなく、しばらくして妻も倒れてしまった。
幸いただの過労と言う事で大事には至らなかった、しかし次同じことがあった時も無事だとは限らない。
そして男は村に昔から伝えられている伝承を元に魔女を探し出したのだ
「私は不死になりたい。不死の身になれば病も何も無いと聞く。私は妻と子供を残して死ぬわけにはいかないのだ」
男の身の上を聞いてもなお、少女は首を縦に振ろうとはしなかった。
少女の口から出るのは相も変わらず
「ダメよ」
その一言だけ。
少女の言葉に、男が少女につかみかかろうとすると、それを制するように少女が言った。
「病身の貴方に、不死の私をどうにか出来るかしら?」
男の鶏ガラのような腕が空を掴んだ。
男の深く窪んだ目元から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「私は…私はどうしたらいいんだ…私が死んだら…誰が妻を…家族を養うというんだ…」
「誰も養わないわよ、誰も助けない。きっと死ぬわね。でもそこで悲劇は終わるのよ、それで全部終わり。完結するの」
少女は男の頬を撫でる
「さあ、おかえりなさい。」
少女の言葉を聞き、男はトボトボとそのまま帰路についた。
男が家族の姿を見ることはもう二度と無いだろう。
男は魔女の家へ辿り着くために全ての余力を使い果たしたはずだ。
――チチチ
青い鳥が少女の肩で鳴いた。